峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

涙の卒業式

2008年02月29日 | 学校教育
有紀さんがきょう高校を卒業した。

午前7時40分、女房どのと2人で橘香館の卒業式に出席するため自宅を車で出た。ハウステンボスを右手に見ながら、やがて川棚、彼杵【そのぎ】を過ぎると右手に橘湾が広がる。きょうの橘湾はいつものような穏やかさを取り戻していた。岸に近いところで小さな漁船が操業している。何の漁をしているのだろう。

佐世保で朝のラッシュに遭い、いつもより20分ほど余計にかかり午前9時30分、橘香館に到着した。
先生方と挨拶を交わしながら式場の多目的ホールに入る。幸運にも保護者席の最前列2つが空いていた。
間もなく午前10時、厳粛な雰囲気の中、卒業証書授与式が始まる。館長の式辞や来賓の祝辞を聞きながら有紀さんのこれまでを思い、これからを思った。

式後、クラス毎に教室に入り最後のホームルームだ。それから表に出てクラスで親子共々の記念撮影、その後、そこここで先生方・後輩ら・保護者を交えての記念撮影が始まった。ひとしきり交歓した後、バスで謝恩会場に移動、ご馳走をいただいたく。ここでも先生方の思い、生徒たちの思いを1人ひとり聞くことができた。
有紀さんは、ここまで涙を見せなかった。しかし、お世話になった先生方に対する感謝の言葉を口にしたとたん、こみ上げてくるものがあったのだろう。しばらく顔を覆い、必死でそれを押さえていた。

帰り道の車中「橘香館の先生だったら、なってもいいかな」と有紀さんが言っていたというのを女房どのから聞いた。
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大人になりたい

2008年02月28日 | 将棋
昨年放送されたNHKテレビ「プロフェッショナル」の中で、最もアンコールの声が高かったのが火曜日放送分の羽生二冠の「直感は経験で磨く」だったそうだ。将棋ファンの枠を超え、多くの人が羽生さんに惹かれているのがうかがわれる。

ここという局面で若い頃は迷わず指せたのが、年をとってくるといろいろ考えるようになった。それが迷いを生じさせるというような意味のことを羽生さんは述懐しておられた。

羽生さんの話を聞いていて、どこかで同じようなことを聞いたと思った。
生物が持つ体内時計の研究で世界をリードするシステム生物学者の上田泰己【うえだひろき】さんの言葉だ。
上田さんは、宿命の敵は「大人」の自分であると表現していた。

羽生さん35歳、上田さん32歳、若き天才が「常識」的な「大人」になることを戒【いまし】めている。
大人にならなければならないが「大人」になってはいけないのだ。

羽生さんは、経験を積み重ねる中で培った直感や勝負の流れを読む大局観などを生かして勝負することを心がけるという。
一方、上田さんは、新しいことに向かうことで前に進んできたという。

羽生さんは、ここ数年、対局中、いつも「玲瓏(れいろう)」という言葉を思い浮かべるという。玲瓏とは「玉などが透き通り曇りのないさま」と辞書にある。対局中に生じる不安や迷いをなんとか払拭【ふっしょく】したいという思いからなのだろう。
まさに大人の心境ではある。
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さて本番

2008年02月27日 | 家族
土曜日、川原さんの告別式に参列した後、大急ぎで自宅に戻った。この日、有紀さんの退寮の日だった。
女房どのが用意してくれた昼食のうどんをかきこむ。車1台では荷物が収まらないかもと女房どのと車2台で大村に向かった。
大村まで1時間半、この日、春一番が吹き、いつもは鏡のように穏やかな橘湾も白波が立っていた。

寮に着き、すぐに荷物を積み込む。多感な高校生時代の3年間を有紀さんと共に過ごした品々だ。それらを愛車デリカに乗せ、有紀さんは女房どのの車に乗り込み、一路我が家へと走った。

愛車デリカは、子供たちの成長と共にある。家族を何度となく海や山に連れて行ってくれた。平戸島の先の大島にフェリーで渡ったときはフェリーの最終便に乗れず、旅館に泊まることもできず、家族5人デリカの中で一夜を過ごした。
絵理子さんも高校入学とともに寮生活を始めたのだったが、絵理子さんの入寮・退寮のときの荷物運びもデリカだった。大学入学時も佐々から山口市までデリカに荷物を積み込み走った。卒業式にも家族4人でデリカで山口に出かけた。

日曜日の朝、九大受験のため福岡に向かう有紀さんと、付き添う女房どのを、くるみさんと共に佐世保駅まで送った。
有紀さんにとって、先の福岡大受験は予行演習のようなものだったから旅行気分で絵理子さん・研二くん宅に泊まった。下見もせずに1人で地下鉄を乗り継いで受験に臨んだ。
さすがに今回は九大の近くに宿をとりたいと言ってきた。ところが、それが受験の数日前のこと、あわてて絵理子さんに探してもらいようやく押さえることができた。しかし、下見は予定していないという。それほどおおらかな有紀さんではある。受験場の下見はしておいたほうがよかろうという私の意見に、もともと一緒に行きたかったであろう女房どのが付き添うことになったのだった。
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人の情け

2008年02月26日 | 町内会長
土曜日、正午から川原さんの告別式に参列した。
ご遺族の密葬にしたいからとのご意向を受け、町内会のみなさんへのお知らせは控えていたのだが金曜日の地域デイサービスの際、すでにご存知の方からいろいろ尋ねられた。
多くのご高齢者は新聞の訃報【ふほう】の欄に目を通しておられる。私も、最近そうするようになった。いろいろお世話をさせていただくようになってからだ。

やがて、告別式は始まり、静かに読経が流れ始めた。
6年前に民生児童委員になって以来、親戚縁者以外の方の告別式に参列させていただくようになった。多いときは年に6・7回、少ないときでも2・3回ある。毎回、故人の人生を思いながら、己の生き方を思う。そして、私が死んだとき、だれが来てくれるのだろうと漠然と考える。

式が終わり、故人とお身内の方が最後のお別れをなさっておられる間、ロビーに出ると、紳士然とした方が声をかけてこられた。ご挨拶をいただき、町内で句会を主催している方だと思い出した。故人の奥様が句会に入られる際、お世話をさせていただいたことがあった。その方が「町内会長さんも大変ですね」とこちらのことをねぎらって言ってくださった。
私は、告別式に参列するのを厭【いと】わない。こんなときこそ他者の情けが身に染むことを身をもって知っている。
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正念場に どう立ち向かう

2008年02月25日 | 父親と子
きょう、有紀さんが九大の2次試験に臨んだ。
午前10時から正午まで英語、昼食をはさみ午後2時から4時まで数学だった。
英語はまずまずだったようだが数学がさんざんだったようだ。落ち込んでしまうところだが、明日の国語2時間に向けて「得意な国語で満点目指せ」「あきなめなければ逆転はある」とエールを送ると「とりあえず全力で解きます」と気力を見せてくれた。
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通夜【つや】

2008年02月23日 | 町内会長
昨年度、町内会の班長になられたことでご縁ができた川原さんが急逝【きゅうせい】された。
一昨年、心筋梗塞で倒れられたことがおありだったそうだが、その後回復され、このところずっとお元気だった。魚釣りがお好きで、しばしばお出かけのようだった。釣ってこられたばかりの魚をいただいたこともある。
とりわけ奥様にずいぶんとひいきしていただいている。お酒を愛しておられるご様子で、ご自分が男だったら私と夜を徹して飲みたいとおっしゃられたことがあった。美酒だったからと、時々珍しい日本酒やしょうちゅうをいただく。毎月の回覧や配布物を配るのは重くて大変だろう、余分にあるからと手押し車をいただいた。おかげで手さげ袋に3度、4度と分けて運んでいたのをいちどきに楽に運べるようになった。今や、私にとってなくてはならない存在となっている。

一昨昨日の明け方、ご主人が急に苦しいと訴えられた。奥様が救急車を呼ばれ、すぐさま病院に搬送された。が、病院に着いたときには事切れておられた。

その日の朝、お隣の方にご一報をいただきかけつけた。病院から戻られたばかりのところで、ご親戚がほとんどいらっしゃらず奥様と亡きご主人のお妹さんのお二人がついておられた。この日ご自宅で仮通夜をなさるということだったが、少しご事情がおありでひそかにお送りしたいというご意向だった。

夜、塾の仕事を終えて後の10時過ぎ、再びご自宅を訪問させていただいた。やはり、お二人だけだった。ご主人のお顔を拝ませていただいた。お声をかけると今にも目を開け起き上がってこられるかのようだった。
亡きご主人の傍で私たちはいろんな話をした。何本お線香に火を点【とも】しただろう。やがて、奥様がこっくりこっくりされるのを機にお暇【いとま】することにした。時計の針は12時を回っていた。お二人がよいお通夜になった。川原さんも聞いていたことだろうと声をそろえてくださったのが心にしみた。

出掛けに今夜は遅くなるからと言っておいたが、帰宅すると風邪を引き体調を崩していることもあって女房どのとくるみさんはすでに就寝していた。
それから1人で遅い夕食をとった。
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日々を噛み締めて

2008年02月22日 | 民生児童委員
午前8時半から町内会のご高齢者のための「地域デイサービス」の準備に入った。
正午にはご高齢者をお迎えしての会食だ。この日の昼食の献立の中心は豚汁、町内会の有志10人に朝から楽しく作っていただいた。4月の花見はどこに行こうかとか、今年の日帰り温泉バス旅行をどこにしようかなどと話は広がる。

紅色のボケの花を中心にいつもながらの見事な生花も場を和【なご】ましてくれる。食卓には小瓶に分けられた愛らしいスイセンが笑顔を誘う。甘い香りにうっとりする。
おしゃべりしながら、ゆっくり1時間かけて食事を楽しんだ。

食事が終わる頃、有紀さんから「福大の受験番号知ってる!?」とメールが入った。福岡大学の合格発表が今日だった。受験の際、メールで有紀さんに聞いていたので受信ボックスから見つけ知らせた。すると、午後1時1分「福大のホムペで発表されてるよ。合格しましたとメールがあった。間もなく女房どのからも「有紀ちゃんから合格の知らせ入ったよとメールが届いた。

有紀さん、合格おめでとう


食後、4月から75歳以上の方の医療保険が変わるが、その後期高齢者医療制度について福祉保健課職員の説明をみなさんにお聞きいただいた。

その後は歌を歌ったり、絵を描いたり、おしゃべりを楽しんだりと午後2時半過ぎまでみなさんと過ごした。有志のみなさんは、洗い物が済むとお帰りになっている。全員お帰りになった後、テーブルを片付け、敷物を片付け、掃除機をかけ、ゴミを仕分け整理し、生ゴミを保管する。
最後に雨戸を閉め、電気、ガス、石油ストーブをチェックし、集会所の玄関のカギをかけ帰途に着いたのは午後3時10分だった。

あ~ぁ、しんどでも、もちろんこれでこの日がおしまいではない。むしろ、これからだ。家に着くとすぐに洗濯に掃除、やがて4時半になり、小学生がやって来た。

しっかりと味わっていないと、楽しい日々は矢のように過ぎていく。
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ひたむきな青年の姿

2008年02月21日 | 家族
研二くんと絵理子さんの結納の日取りが決まった。
仲人を、研二くんは会社の上司にお願いしたが、その仲人さんと研二くんのご両親、それに私たちの三者の予定の調整を研二くんが一人でやった。

上司に仲人をお願いしたり、山口・福岡・長崎と距離のある三者の予定を調整するのはそれなりに大変ことだ。
研二くんは入社してまだ1年も経っていない。職場の環境に慣れるだけでも精一杯のところだろう。そんな中、彼は新しい家庭を築いていくための努力を誠実に積み重ねている。

昨夜、電話で研二くんと話した。彼の他者に対する思いやりが伝わってきた。ここに至るまでさぞかし神経を使ってきたことだろう。
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私たちは何を求めているのだろう

2008年02月20日 | 民生児童委員
救急搬送15病院拒否 容体急変、61歳女性死亡 小平(産経新聞) - goo ニュース

土曜日の朝、午前中は特別の予定もなく、この日くるみさんが楽しみにしていたケータイを求めることになっており、そのことで話が持切りだった。
そこへ、そんなのんびりとした空気を一変する報せが入った。顔馴染みのヘルパーさんがやって来られ、訪問先の93歳になられる吉田さん(仮名)が転倒され動けない状態なので救急車を頼んだというのである。
私は、まだパジャマを着たままだった。そこでズボンだけ着替え、パジャマの上からジャンバーを羽織ったままで、急いで吉田さん宅へ駆け付けた。

トイレに立たれた際、尻餅【しりもち】をつかれたとのこと、おしりから太ももの付け根にかけての部分が痛いと仰る。骨折が心配される。
間もなく救急車が到着、救急隊員が3名、担架を持って入って来られた。
椅子に座っておられる吉田さんを担架に移す。吉田さんは大柄だ。救急隊員3人に私も加勢をして慎重に進めた。

さて、搬送先だ。とりあえず佐世保市の労災病院に連絡を取ってみると救急隊員が言う。ヘルパーさんが付き添えないというので私が付き添うことにする。パジャマ姿に下駄履きという格好で来ていたので、いったん我が家に戻り支度を整えてくることにした。

家に帰り、女房どのに事情を話し、後で迎えに来てもらうことになるからと支度を整えて吉田さん宅に戻ると、労災病院が受け入れてくれることになったとの話、最近、冒頭の記事のような例をしばしば目にするのでホッとする。また、付き添いもヘルパーさんが行けるようになったと聞き、緊張が解けた。
救急隊員のみなさんによろしくお願いしますと頼み、救急車を見送った。

その後のヘルパーさんからの連絡で、吉田さんは骨折ではなかったとの連絡を受け喜ぶ。ただ、骨折ではなかったもの、吉田さんは歩けないどころか立つこともできない。しかし、骨折ではないというので労災病院では入院を断られたという。
仕方なく、付き添ったヘルパーさんはタクシーに吉田さんを乗せ、佐々まで戻ってきた。
幸い、吉田さんのかかりつけの町内の病院が受け入れてくれ、そのまま入院となった。

その後、ヘルパーさんから入院に必要な物を吉田さん宅から持ち出したいので立ち合ってくれとの依頼があり、再び吉田さん宅に赴いた。

介護保険、年金、1人暮らし、地域社会の崩壊、高齢者を狙う悪質な訪問販売、各種の詐欺事件、そして病院の受け入れ拒否と高齢者の悩み、苦しみは深い。

人間が年老いた後、安心して幸福に過ごすことができない私たちの社会、私たちは何を求めて生きているのだろう。
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信頼して任せる

2008年02月18日 | 父親と子
土曜日、くるみさんは自分専用の携帯電話をついに手にすることができた。

末っ子であるくるみさんは、当然2人のお姉ちゃんの影響を強く受けてきている。女房どのはそんなくるみさんを称して「真似っ子」と冷やかす。
ケータイに関しても、くるみさんはお姉ちゃんたちが使っているのを見てうらやましくて仕方なかった。やがて、小学6年生の後半にもなると、女房どののケータイを利用して友だちとの間でメールのやり取りを始めた。

くるみさんによると、小6ですでに自分のケータイをもっている子が数人いたという。中3の今、クラスの8割の子がパソコンを含めメールのやり取りをしているという。その中で、クラスの3分の1から半分近くの子がすでに自分専用のケータイを持っているらしい。

現在、くるみさんは4つのホームページにそれぞれ日記のコーナーを持ち、管理人をやっているHPもあるという。クラスの大半の子がそんな感じらしい。
過日、町内会長連合会の懇親会の2次会か3次会で行ったある居酒屋での私の様子が、くるみさんの同級生の日記に綴られていたことがあって家族で大笑いしたことがあった。昨夜、あらためてくるみさんに読み上げてもらった。

『きょう家でバイトした。いい社会体験になるのでこのバイトはけっこう重宝する。金ももらえるし、あ、あと、俺がバイトに出ている日じゃなかったけど、峰野という方がご来店しました。ん、どっかで聞いた名前…、学校で…まさかね。その人は男で大きな声で場を盛り上げていました。カウンターの中心人物になっていました。ますます怪しいと思い詳しく聞いてみると、その人はよくうちに来るそうです。う~ん、ずっと気になっていたことでした』

相当笑えた。

みんな、けっこう本名名乗ったりしているようだ。大人がやっているほど子供はデタラメなことはやっていない。それなのに大人は心配する。そういう大人は、自分を基準にするから心配になる。「信頼して任せる」だから、こんな簡単なことができない。
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