内閣府が発表している資料によると不登校の子供の数は小学校で21,243人、中学校では91,466人、高校で57,644人となっている(平成24年度)。私が子供だった頃、学校に行かないという選択肢はなかった。あの頃の少年の私が今を生きていたら、不登校になっているかもしれない。
同じく、高校を中途退学する子供たちの数は51,781人にも上る。
毎年毎年、5万人超もの子供たちが学校から放り出されているのだ。自ら辞めるという形をとっている(とらされている)子供もいるが、要は学業・生活、いずれかにおいて学校に救われることなく切り捨てられている。つまり、私たちの国の学校教育は、問題のある子供たちを切り捨てることで成り立っていると言えよう。
高校時代、私の友人も万引きをしたことで退学処分となった。確かに、万引きは犯罪だ。よくないに決まっている。しかし、万引きをするような少年の魂を救ってくれるのが学校であり教師ではないのか。そうでなければ、そのような子供たちを救ってやれるのは誰か。
私は、気が付いた時には教員に反抗する子供になっていた。教員に当てつけのつもりで勉強しなかった。愚かなことに、勉強なんてしてやるもんかと決心していた。こんな辛い気持ち、優等生には解り得るはずもない。
だが、そんな経験を持つひねくれ者だからこそ塾生に語ってやれることがある。親や先生に反抗するのはいい。けれども、自分自身の気持ちには素直でいろよと。
親や先生に気持ちを取られていると、自身の内なる声に耳を澄ますことができなくなってしまう。何のために人は勉強するのか?本当に勉強しなくてそれでいいのか?じっくりと自分自身に問いかけてみなければならない。
人生に無駄なことは一つもない。ある方がそう話しておられた。
いじめられたことが、学校に行けなかったことが、子供の頃に勉強しなかったことが、誰かの何かの役に立つ時がきっとくる。
原発事故で福島県から横浜市に自主避難してきていじめに遭ったという少年にもそう伝えたい。