峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

緩やかにつながる

2017年11月30日 | 町内会長

今年3月で12年間務めた町内会長役を交代させていただいた。本当にいい経験をさせていただいた。15年間務めさせていただいた民生児童委員役と共に、これら2つの役割は、私の人生に想像も出来なかった彩りを添えてくれた。
中でも、50代半ばになってから私のことをよく理解してくださる方々と出会えるとは思いもかけないことであり、実に幸せなことであった。つくづくその巡り合わせに感謝したい。

とりわけ、各町内会の会長さんには何かとお引き立ていただいた。
時代が大きく変化していく中、各町内会が一つにまとまり、今日的課題に果敢に取り組み、一定の成果が得られたのは、各町内会会長さんのご理解あっての賜物だと改めて思うところだ。
特に、ほとんどの町内会長さんがこの町生まれの、この町育ちで子供の頃からの先輩・後輩の間柄という中、よそ者の、しかも若輩者の私をよくその先頭に立たせていただいたと振り返れば不思議にさえ思う。

そんな、私にとって良き理解者の方々と、町内会長を辞めたらお会いする機会がほとんどなくなってしまった。現役の町内会長の時のように、再び楽しく酒を酌み交わし、町のことについて、あるいは趣味のことについて、はたまた人生について語り合いたい。きっと、みなさんもそうに違いない。そう考え、連合会長時代に副会長として支えてくれた高校時代からの友人である藤田氏と相談して、町内会長OB会を立ち上げることにした。

先週土曜日の午後1時から3時まで開いた佐々町将棋同好会の忘年会の後、午後5時から同会の立ち上げに快く賛同いただいた8名にお集まりいただき、その発起人会を開いた。

決め事は無し。ただし、世話役に藤田氏と私が押し付けられた。言い出しっぺであり、一番年下だから仕方がない。
取り敢えず、1月中旬頃にジビエ料理を楽しむことを確認し、酒宴に入った。

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晴れ晴れと

2017年03月02日 | 町内会長

今年度最後、3月分の町広報誌その他を各班ごとに区分けしているところへ、最後の最後に何とか説得して、町内会長の後任として内諾を得ていた方から家族の了承が得られた旨の電話が入った。

間もなく区分けを終え、雨上がりの町内会を故・江頭宏さんから頂いた手押し車を引き、私にとって最後の配布物を各班長宅まで届けた。

汗が吹き出す真夏の暑い日も、耳が千切れるほどの寒風吹きすさぶ冬の日も、13年間、毎月月初め、区分けては届け区分けては届してきた。
今はただ、雨上がりの空のように晴れ晴れしい心持でいる。

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つなぐ

2016年10月16日 | 町内会長

きょうは、佐々町の町内会対抗「伝育坊・大綱引き大会」だった。
午前8時、主催者の栄町商工業組合理事長の西尾さんらと共に、大会中の事故や怪我がないよう地元の三柱神社へ祈願に赴いた。

思うところがあって、私の暮らす町内会の大綱引きに関わることの一切を昨年から若い人たちに委ねた。その反動で昨年は大綱引き大会への参加が叶わなかった。だからといってそれを元に戻すつもりはなかった。それは、私たちの町内会に与えられた試練だと捉えていた。

大綱引き大会の準備に入らなければならなくなった頃、町内会の若手世代のリーダーだと期待してきた磯本君から大綱引き大会に出ますとの力強い言葉を聞くことができた。

そうは言っても、果たして15名の選手がそろえられるかどうかの心配はあった。しかし、その後も一切の口出しをしなかった。そうして、きょう本番当日を迎えた。

開会式の時刻を迎え、各町内会毎に整列をしたとき、私たち町内会の列には磯本君と私の2人だけだった。
やがて、第1試合目の時刻間際になっても揃った選手はようやく10名、いろんな意味から不戦敗にするわけにはいかない。私は、掟破りに打って出た。主催者側と対戦相手の町内会長・選手のみなさんに了承を得て、他の町内会から応援を得て予選リーグ2試合を戦うことができた。

午後5時から、集会所で打ち上げを行った。
出席者は、磯本君と71歳の森山さんと私の3人だけだった。けれども、決して寂しい打ち上げではなかった。むしろ、私たちの町内会にとって希望の光を確かに感じることの出来る打ち上げだった。
今は細くとも良い、しかし、確かな道筋を見ることの出来るささやかな打ち上げだった。

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辞められない理由

2016年10月11日 | 町内会長

おくんちが終わり、ようやっと冷涼な秋の空気が感じられるようになってきた。
一昨日の日曜日、古庄町長と西議長をお迎えして町内会の敬老祝賀会を開催することができた。
何事も事前の準備が肝要だが、町内会の各種行事・活動についても同様で、細やかな配慮を持っての準備が欠かせない。

今年度も、日にちの設定、町の助成事業につき、その補助金交付申請書類の作成・提出、周知のための回覧作成、来賓への案内状作成・届け、出席者数のとりまとめ、余興を行っていただく町内会内外の方々への出演交渉、料理を作っていただける方々への協力依頼等々から、弁当の注文、酒類の注文、菓子折りの注文、紅白幕の手配等々を抜かりなく行って当日を迎えることができた。

しかし、町内会長1人がどれほど頑張ってお膳立てしたとしても、多くの人の協力なくしては行事・活動は成立しない。今回の敬老祝賀会も、私の見込みをはるかに超えて、感激するほどたくさんの方々にそこここで力を合わせていただくことができた。
だから、容易に町内会長役を放り出すことができないでいる。

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神無月

2016年10月03日 | 町内会長

昨日は、毎月第1日曜日恒例の町内会清掃の日、午前7時丁度に町内会の有線放送でその旨案内をし、集会所清掃の準備を整えた後、刈り払い機で集会所周辺の草を刈った。
引き続き、午前8時から町内会有志により、年に1度の小浦自然公園のツツジの植え込みの除草作業を行う。
10月と言えど、この日も朝から暑かった。汗ぐっしょりになり帰宅する。

午後3時過ぎ、役場から届けられていた10月度の町広報誌や各種配布物、各種回覧、赤い羽根共同募金等々を11班分班ごとに分ける。それを、この日のうち配ろうと考えていたが、今月分は特に種類が多く手間取り、結局午後7時過ぎまでかかってしまいあきらめた。

10月は各種行事が目白押しだ。ほとんど土曜・日曜日が予定で埋まっている。行政関係への提出書類も溜まっている。

再度、台風が来襲しそうだ。午後、役場へ出向くと、総務課長から明日昼過ぎに「避難準備」を出すことにする旨の話があった。大自然が牙を剝いている。

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自主防災について考えることから生まれる何か

2016年09月25日 | 町内会長

私たちの町の町内会では各町内会長のリーダーシップの下、住民が主体となり全ての町内会で自主防災組織を立ち上げている。そして、それぞれの町内会で独自に防災の取り組みを始めている。

私の暮らす町内会でも、非常食をそろえたり、災害時の要援護者の名簿作りに取り組んでいる。
そんな中、役場総務課職員3名に協力してもらい昨日の土曜日午後7時から集会所に於いて、広く自主防災組織の話から、昭和32年・42年に発生した佐々町の水害や昭和52年の長崎大水害時の様子や被害状況の説明を受けたり、航空写真を見ながら町全域、そして町内会の危険な急傾斜地等を確認するなど防災について学んだ。

特に、航空写真では具体的にどの家屋が地滑り危険地域にあるのか、どの家屋が急傾斜地にあって土石流の危険があるのか等、町内会の地形や各戸の位置などを立体的に詳細に見ることができ、みなさん自然災害を自分事として捉えておられる様子だった。

最後は表に出て、家庭で使用する卓上コンロ用のガスボンベを用いる最新の非常用の投光機を実際に点灯するのを見せてもらい、午後9時にこの夜の学習会を終えた。

今後も、さまざまな形で学習を重ね万が一に備えると共に、自主防災について学び合う・考え合うことを通し、住民同士の新たな結びつきの大切さや、つながり合うことの喜びなどを模索していきたい。

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灯りが点る

2016年09月21日 | 町内会長

町内会の活動を行う際、あるいは西町町内会として何かの大会等への参加を検討する際、会員のみなさんの気が進まないものは止めましょう。
思うところがあって、昨年度から町内会の運営方針としてそう打ち出している。

そんなことから昨年度、2年に1度開催される町民運動会への不参加が役員会で決まり、これまで参加し続けてきた大綱引き大会への参加も役員会で見送ることを決めた。

そして今年度早々の役員会、各部の部長を決める際、婦人部の部長がなかなか決まらなかった。
そこで、とりあえず1年間、婦人部の活動を休んでみてはと提案したのだったが、重い空気の中、成り行きからFさんが部長を引き受けてくださることになった。現在、毎月1度、婦人部(女性学級)の活動は続いている。

過日、大綱引き大会の案内が届いたので体育部長のIくんの所へその書類を持参していた。
Iくんは40代で、3人の子供の父親である。町内会の次の世代のリーダーとして期待をし、ずっと声をかけ続けてきた。しかし、ここ数年、仕事の悩みや、育ち盛りの子供のこと、夫婦間のことなどがあり、過度に期待するのを控えていた。仕方のないことだと自身に言い聞かせていた。

昨年度、彼に町民運動会と大綱引き大会への不参加を告げた時、彼は不本意な様子だった。
町の主催する大きな大会に私たちの町内会が参加しない、できないことを彼を始め、町内会の若い人たちはどう思うか。その気持ちを彼ら自身で問うて欲しかった。

今夕、生まれて未だ1か月の赤ん坊を抱いてIくんが訪ねてきた。
「綱引き大会、申し込んでおきました」
「そうか!」

帰りしな「選手少なかったら俺も出るよ!」そう言うと、彼はただ笑っていた。

嬉しかった。

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私たちの社会の現実

2016年09月15日 | 町内会長

町から預かっている敬老のお祝い金を、町内会の75歳以上のご高齢者のみなさん方の一軒一軒を訪ねお届け始めている。
9月1日現在で私の暮らす町内会には75歳以上の方が男性12名、女性27名、計39名の方々の籍がある。そのほとんどの方がお一人暮らしか、お二人暮らし、もしくは老人ホーム等の施設に入所されていらっしゃるかだ。

その方々お一人おひとりのお宅や施設を訪ね、お祝い金をお渡しし、受領印をいただき、現在の健康状態や生活のご様子などを伺っている。1軒訪ねるのに優に二、三十分はかかる。

お話の中で、半ば自嘲気味に笑顔を浮かべながら「長生きなどするもんじゃない」「もう長くない」「早く死にたい」等のお言葉を伺うのは辛い。身体の不安、経済的な不安、そして孤独。

お国のため、社会のため、勤め先のため、そして家族のため、一生懸命生きてこられた方々の老後は本来、豊かで穏やかなものでなければならないはずだ。

政治家、そして行政に携わるみなさんには、市井に住む人の小さな、静かな声に耳を傾けて欲しい。富山市議会議員の政務活動費の不正請求問題や東京都・築地市場の豊洲移転騒動を耳にするにつけ強く思う。

今日で、ようやく11名の方々とお会いすることができた。また明日だ。雨が降らなければいいのだが。

 

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97歳のご婦人と

2016年09月14日 | 町内会長

午後1時半から3時まで、佐々町健康相談センター視聴覚室にて開かれた佐々町民生児童委員協議会9月定例会に出席する。

会議終了後、町から預かっている敬老年金をお届けするために、老人ホームに入居しておられる町内会に籍の在る97歳のKさんの元を久し振りに訪ねた。
ベッドに横になっておられたKさんは、私を認めると体を起こし、ベッドに腰をおかけになる格好になり、私の訪問を歓迎してくださった。
ここ数年、少し耳が遠くなられたが、至ってご健康だ。

私の父は教員だったが、Kさんは初任地の学校で父と机を並べていた間柄で、お目にかかるとよく当時の父の様子などをお話をしてくださる。この日も、若かりし頃の父の颯爽とした様子をお話してくださった。私の知らない父の姿が目に浮かぶようだった。

その他、施設内の様々なことから、東京築地市場の豊洲移転問題について、またロシアのプーチン大統領の安倍首相の地元である山口県訪問で北方領土の2島返還がなるのか否か等、時事問題に関し私に意見を求められ、こんな話はなかなかできないのでと、およそ1時間ほどのお喋りを楽しんでくださった。

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光明

2016年06月27日 | 町内会長

はたと思いついてAさんに民生児童委員を引き受けていただけないだろうかと相談していた。
もし、断られるなら翌日にでもその旨の電話があるだろうと思っていたが、2,3日経っても電話がなかった。もしかすると引き受けていただけるかもしれないと淡い期待を抱いてAさん宅を訪ねた。

結局、あることが障害で今回は引き受けられないとのことだった。ただし、3年経てばその障害も解消されるので、後3年、私に頑張ってほしいとの希望の言葉をいただいた。

昨夜午後7時から開いた町内会の役員会の席上、町内会から推薦する民生委員・児童委員候補者選定について、あらためて役員・班長のみなさんと協議した結果、私が推薦されることで決まった。
既に覚悟はできていた。気持ちも新たに、民生児童委員としての務めを全うしよう。

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