あの日から一週間余が経ちました。
あの日(8月4日)携帯電話にAさんから (ある人の死)を知らされました。
Aさんは、先輩にあたる同僚で長い間一緒に働いていた人です。
(ある人)とは 以前お世話になった職場の「社長」です。
「社長」が、脳梗塞で倒れられたのは 平成21年の12月でした。
脳梗塞の後遺症は {重く、厳しい}・・人生が一変しました。
右半身不随は利き手の自由を奪い 立つことも出来ずにベッドに身を臥す
日々が始まりました。
更に、言語をつかさどる機能がマヒしたせいで
声と言葉を失いました。 アーとかウーの声も出ません。
治療と リハビリを続ける闘病は 8年間余の長い年月でした。
当初は自宅療養が 数年間続き 体調を崩すたびに短期入院を
繰り返すも、「回復の兆し」はなく 痩せて弱々しい姿から
”笑顔”が消え、無表情となり 話しかけに 目をパチパチさせて応える
「会話のキャッチボール」がなくなりました。
その頃から{見舞い⇒会いに行く}のを ためらい
遠慮する自分がいました。
昨年の2月に「誤嚥性肺炎」を発症し病院からそのまま
「施設に移動」された事は 奥様から聞き案じていました。
ずーと、寄り添い心を尽くされた「奥様」にエールをおくります。
いつかは来るであろう(別れ)は心の隅で覚悟をしてはいたものの、
すぐには受け入れることが出来ずにいました。
昔の同僚達4人で、弔問からお通夜、そして告別式に参列しました。
奥様は 喪主として 今まで涙を見せずに気丈に振る舞われました、が、
最後のお別れの時、人目も気にせず「棺にもたれかかり ご主人さまの
お顔」に触れながら声をあげて泣かれました。。
別れの儀は、参列の皆さんの嗚咽とすすり泣く声が聞こえて
悲しいお別れとなりました。
8月3日 17:16 侘 享年69歳 合掌
も別れはかなしいですね.本人も奥様も大変でしたね。
これからは、自分の人生を楽しんでもらいたいです。
脳卒中の怖さは「半身不随」の後遺症ですが、過酷なリハビリを行うには他の持病があり うまくいかなかったようです。
喋る事が出来ない現実は「意思の疎通」が出来ずに ストレスでしたね。
奥様の献身的な看病&介護は 長期にわたり ご苦労やご心痛は、いかばかりと察しました。
生きるって 心身ともに健やかであることなんですね。