のんびり散歩

ぶら~りと歩きながら、家々のガーデニングを楽しみです。

コリアンタウン

2011-07-19 17:41:57 | 日記

東京の新大久保は、時々行って、韓国街界隈をブラブラ歩きます。

いつの日も沢山の人でごった返していて、人垣をかき分けたり、すり抜けて歩きます。

近年は、若い女の子がいっぱいです。

私が新大久保に初めて行ったのは、7年も前の事です。その頃は、(オバサマ)ばかりでした。

(冬のソナタ)のヨン様ブームのファンは、私と同年とあり、街角やグッズ売り場ですぐに話をして{チング・・・友達}になれました。

若い女の子達は、お目当てのスターのグッズを買い、また、韓国コスメを選ぶのに夢中です。

そして、美味しいと聞いたお店は並んで順番を待ち、食事をしてワイワイとにぎやかに楽しそうです。

私は、行きつけの店が出来ました。  あぁ~、又 いきたいなぁ~

 


盆唐メモリアルパーク

2011-07-05 12:26:41 | 日記

 晴れた~。

法要の後にで移動する事50分余で 盆唐(ぶんたん)メモリアルパークに到着です。

緑深い山の中腹にある墓地です。土葬の面影を残す土墳が多くあり歴史を感じました。

ヨンハのお墓を目指して坂道を登ったら、汗が。 暑~い。

汗を拭き拭き坂道を振り返ったら 長蛇の列が延々と続いていました。

一周忌を前に、新しく建立されたヨンハの墓石は黒の御影石でした。

薄紫色のばらの花を添えて、お参りを致しました。

(あぁ  ヨンハはここにいるの?  なぜ? 辛かったのね。)と

思いのたけを語りました。

  墓地には韓国と台湾の会員も沢山来ていました。

   韓国のファンはピンクの風船を何百個も飛ばして、ヨンハを悼み (コマオー・・・ありがとう)と

  空にむかって叫んでいました。


韓国 2日目

2011-07-05 11:31:29 | 日記

 さぁ~、 いよいよ ヨンハに逢える日だ。

ソウルの中心地からで1時間程の街にある (薬泉寺…ヤクチョンサ)に着いた午前7じ半はどしゃぶりの大雨です。

9時からの法要まではの中で待つ事に。窓ガラスに叩きつける雨が。  でも誰も雨を恨めしくは思っていないんです。

なぜなら、 ヨンハは雨男だから ・・・・・・・・ヨンハのイベントの度に雨が降るので付いた別名です。

雨は、ヨンハが来ているんだね。)  (ヨンハ おはよう) と。

薬泉寺は山あいの中腹に建つ寺です。境内にシートを敷き、椅子が並べてあり順番に座り その時を待ちました。

薬泉寺に大きく響く読経と、楽器の奏でる悲しげな音色は 法要の3時間は止む事は無かったです。

{{ サルプリ }}・・・・・・・・・・・白い衣装を身にまとい、白く長い布をふり、顔は切なそうな表情で踊る女性です。

                   亡くなった人の辛い思いや苦しみ等を振り払い、楽な所へ行って貰う為の舞です。

 異国の地で体験した法要は、形式は違えども、故人を偲び敬う心は同じだと感じました。

 

 


韓国行き

2011-07-05 10:31:01 | 日記

 アシアナ航空にて、羽田発金浦着。 7月29日AM10:00発で金浦空港には12:20に定刻で到着しました。  

予報通りの雨の韓国に来た目的は、 パク・ヨンハ 一周忌法要ツアー に参加の為です。

ファンクラブ会員だけ参加出来るツアーに 1500人の同志が2泊3日の一緒旅をしました。

29日は(偲ぶ会)が夕刻から、ロッテワールドホテルでありました。広い会場の正面に舞台があり、大型スクリーンが4箇所に設置されていて

ヨンハの活躍した映像が沢山映し出されました。食い入るように見つめながら、拍手が起きたり、笑いありでしたが

すすり泣く声は あちらからも こちらからも 。

 途中からは、壇上に ヨンハのオンマ(母)と オンニ夫婦(姉)と チソン君(甥っ子)が登場です。

美人で素敵なオンマは ヨンハの自慢でした。まだまだ悲しみの癒えない時に笑顔で ここまでの1年を語って下さいました。

 その後、別室で頂いた洋食がとても美味しかったです。

でホテルへ。