ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

投票へ行ってきた

2007年04月22日 07時57分45秒 | 祭人
町おこしと選挙
ある郷土史研究家の言っていた言葉に、この地方の人たちの意識というものは、やはり
戊辰戦争で負けたということが心の奥深くに残っていて、あらゆる面でに引っ込み思案
であるかも知れないという。

たとえば、私の思い過ごしであるかも知れないが、一度政権を握ってしまった人や、当選
した議員たちに改めて異議をとなえることが少ない。その人たちに少々の不満があっても
「ま、いいか」と無投票になることが多い。
無投票になるということは、本来「あなたの政治姿勢でいいですよ」と意思表示をしたと
いうことになるのだ。
今回のこの地方の選挙でも無投票で決着した選挙があった。
その割には、後から不平不満が聞こえてくるのだ。
やはり、無関心ではならない。
本当に町を変えたいと思うなら、行動を起こさなくてはならないのだ。

この地方の経済というものは、以前は問屋も存在した。
今では立場が逆転してしまっているが、福島市や郡山市に商品を卸していた企業も多く
存在したのだ。だが、長い年月は今日の町の発展度合いを見ても格差は歴然としている。
そして、この地方に未来があるのかというなら、悲観的にならざるを得ない。

さて、この地方も含めて国中が深い不況から脱しきれていない。
この地方にも、昔なら経済を牛耳っている傑物がいて、その人たちが政治に大きな影響
を与えていた。あるいは、その人たちそのものが政治家になったこともあった。
だが、今は家業の仕事に忙しく他人の世話どころではないのが現状なのである。
その人たちが右というと町の将来がガラッと変わるようなことがあったのだった。
今や、そういう人たちに余裕がないので、言葉は悪いが、どうでもいいのが政治家に
なっているのかも知れない。

今の時代、本当に豊かなのだろうか。
私は明治末期から大正あたりが、この地方も含めて、本当の日本の豊かな時代であった
のではないかと考えている。
何故なら、文化というもは豊かな時代にのみ育つものである。
振り返ってみるなら、この地方の祭りもその時代に大きく成長したと考えられるし、又
太鼓台の新調にも見られるように、人々にそういうことに掛けられる金があったのだ。

今、生活に四苦八苦して、太鼓台を新調するなどと言ったら、キチガイ扱いされること
だろう。文明は進歩したけれど、文化を培養する時代にない。

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