楽天の試合が郡山で開催される予定だった。
だが、現実はいとも簡単に、説明なしに、主催者によって中止となった。
理由は何か。
それは原発放射線量が郡山市は高いからに他ならない。
「日本はひとつ」「元気を出して」とTVでは有名人が連日のように激励の言葉をおくる。
「私たちのプレーで被災地を元気づけたい・・・」(なら、郡山でやってみろ!)
しかし、所詮は他人事なのだ。(仕事でもフクシマにだけは行きたくない、と)
被災地の財布の中や健康まで真剣に考えてはいない。
結局、自分は自分で守るしかないのだ。
早々に福島から逃げ出した人も居る。だが、逃げたくても逃げられない人が殆どだ。
学者先生には、政府のひも付き、企業のひも付きで「放射線量の基準値」に対する考えが変わる。
企業は営利事業、費用対効果で必要十分を追及する。だから、ギリギリの安全値でよしとした。
だが、自然の力はそれ以上だった。
はやり言葉でこれを「想定外」という。(今年の流行語大賞決定だナ)
(結局、弱者の考えはいつの時代にも踏みにじられることになる)
悲観的なことばかりも語ってはいられない。
少なくとも、残った人たちは根っ子がここにしか無いのだ。
やるしかない。ここに残って、何とか工夫して必死に生きるしかない。
副学長に質問したところ「大変申しわけなっかた。」と仰っていました。
開催したいのはほとんどの選手が思っているそうです。
しかし、一部の選手や助っ人外人。
相手チームとの連携不足。
球場の安全問題。
そして、原発、放射能。
さまざまな不の要素が重なり、開催ができないようです。
今朝も東電が発表した状況でも工程表実施に新たな不安要素となるメルトダウンが起きていたようだとのことでした。
国や東電が発表することには「裏があるのでは」と思われても仕方がない一連の情報開示があります。
水蒸気爆発が起きた時は現在の放射線量の何十倍もあったのかも知れません。事実を発表すればパニックになるから、と。
福島の人も含めて、国民全部が事実を知る権利があります。
マスコミで紹介される内容は本当なのでしょうか。
そして、その情報はあらゆる人に対して公平なのでしょうか。
「国はひとつ」と有名人などはいいつつも汚染地域としての差別視、差別対応があるようです。残念なことです。