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納言のもろこしだより

今回上海が3度目のもろこし滞在。倭国ともろこしの和睦を願いつつ、のほほん過ごす清少納言のつれづれ日記!

緒方貞子さん

2006年03月22日 | 北京だより

ホラーの貞子さんより有名な、

そう、世界をまたにかけて活躍する

緒方貞子さん

北京にやって来た!

 

今日の午後、北京のとある大学での講演会に行ってきた。

全部英語。

 

分かったことは

貞子さんの英語がすばらしく流暢だ、

ということだけ。

 

 

 

講演後の質疑応答では中国の大学生から活発な質問が飛び交った。

みんな英語めちゃうまい。

その中で一番短かった質問。

「仕事と家庭の両立は大変ではないですか?」

貞子さん曰く、

「・・・・・・・、・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・!!」

会場爆笑。

 

???

古典派納言は聞き取れませんでした。

すみません。

ここに紹介できなくて

 


王府井で探しもの2

2006年03月15日 | 北京だより

ついに本命を手に入れた。

あまり数がなくて探すのに時間がかかってしまった。

外に出ると日が暮れていた。

 

さて手に入れたものは・・・。

 

こちらです!

掌紋診病実用図譜

「手のひらのしわで病気を診断する実用的図鑑」

いままで手相を見ること数百人。おじいさんが亡くなって、手相だけでなく手のひら病気診断ができたら・・・と考えたのだ。手相では何歳ごろ病気になるかは見当がつけられるのだが、詳しい病気までは日本の一般的な手相の本には解説がない。それで探し当てたのが中国の医学的手相書。

めざすはもろこしの大長今(チャングム)!

 


王府井で探しもの1

2006年03月14日 | 北京だより

今日はさくっと5時に仕事を終えて北京一の繁華街、王府井に行ってきた。


とっても買いたいものがあったから。



 


途中でユニクロを見つけた。


(探しものはここにはないよ。)


 


内装は・・・。



こんな感じ


って日本とおんなじじゃん。


でも全然お客いないよ。中国撤退間近だな、こりゃ・・・。


さて、本命を探せ。


 


出張報告書 桂林編1♪

2006年03月05日 | 北京だより

お待たせしましたー!帰りましたよー!またもや夜中(12時半)に帰って、今日は朝から休日出勤だったのでまだ頭がぼんやりしています。

桂林は第2の故郷。いろいろ感じたことがありました。かつて3年も過ごした地であるから感慨も深い。

それにしてもこの3年のもろこしの変化はすごい。どの都市にいっても感じるのだがものすごい勢いで古いものが壊され、新しいものが作られている。町の様子も変わった。

自分が暮らしていた部屋はもう取り壊されていたし、かつてもろこしの大きい童たちに倭国語を教えていた教室ももうなかった。校門も図書館も体育館もすべて新しくなっていた。ここはもう自分の知っているあの場所ではない。寂しさだけが残った。

だからこそ、以前と変わらないあのときのままの懐かしい顔がうれしかった。朋あり遠方より来る、ときにはこんなものまで出てきた。

~すっぽんさん~

人は変わることばかりを求めるが、変わらないでいるものへのありがたさをしみじみ感じた納言でありました。


川底村

2006年02月19日 | 北京だより

川底村

北京市内から車で2時間半。(いちおうまだ北京) あまり知られていない北京のスポット、川底村にいってみた。

400年前の四合院という昔ながらの中国の家の造りがそのまま残っている小さな集落で、文物保護されている。

全景はこんな感じ。

 

 

入り口はこんな感じ。

どの家も自由にみて入っていい。

 

中はこんな感じ。

気に入った家でご飯を作ってもらう。

山で摘んだばかりの自生の菜や自家製の豆腐、とうもろこしのお粥などでもてなしてくれる。

昔にタイムスリップしたみたい。時がゆっくり流れていていい感じでした。

 


地球村と美容とお好み焼き

2006年02月18日 | 北京だより

今日一日の出来事を順番に並べて書いてみた。


いつも土曜日は心ゆくまでぐうたらのほほんする私にとって今日は具だくさんの一日だった。


 地球村 


今日は朝から北京の五道口というところにある地球村と言うところに行った。地球村とは住んでいるところからタクシーで20分くらいのところにある語学学校の名前。中国語を学ぶ外国人には結構有名なところである。


前から今回北京に来て全く中国語が上達していないことがずっと気になっていた。職場は日本人20数人、中国人スタッフ30数人(全員日本語ぺらぺら!)というわけで、普段全く中国語を使う機会がないのだ。


で!何か目標を作ろうとおもい、とりあえず「漢語水平考試」(中国語レベル試験)というのを受けようと思い立った。英検とかと同じで試験のための勉強を必要とする類のものである。この試験が正しく実力を測っているとは思えないが、まあ目標設定と言うことで・・・。


一クラス20人くらいでうち16人が韓国人(最近中国に留学する韓国人はとても多い。)、日本人3人、そしてアメリカ人1人。


これがまたすごかった。問題を熟知した専門の先生がこういうのが出る!これは出ない!これだけ覚えとけ!見たいな事を言ってくれる。まるで予備校。聞くところによると、北京には試験対策のカリスマ教師みたいな人がいて日本円で1ヶ月80万くらい稼いでいる中国人語学教師もいるらしい。


試験のための勉強。こんなの勉強じゃない!と思いつつとりあえず来週もいってみようかと思う。


 美容 


顔のマッサージ。こっちにきてから毎週いってる。そんな日本人奥様たちが行くようなところじゃなーくて中国人の普通のおねーちゃんたちが来るようなところ。環境音楽の代わりに中国人のでかい話し声。スタッフの子供とかが部屋の中を行ったりきたりしてマッサージ中でも横から話しかけてくる。中国に来たのに中国語に飢えているわたしにとってマッサージのお姉ちゃんと子供と話している時間は心のマッサージ時間でもあるのよん。


が、朝勉強した文章を朗読して聞かせると子供に発音なおされた。


 お好み焼き 


遣唐使集合。よっしーの家でお好み焼きの会。その他チラシ寿司あり、おでんあり。むちゃむちゃおいしかった&楽しかった。ありがとよっしー&皆様。12時20分帰宅。


そして今2時半。つかれたびー。おやすみ。


元宵節が終わり・・・

2006年02月13日 | 北京だより

昨日、元宵節(春節から数えて15日目で、最初の満月の日。旧暦のお正月の締めくくりの日)が、終わり、春節から毎晩爆竹と花火で轟音が響き渡っていた北京は今日やっと普段の静かな夜を迎えた。

13年ぶりに爆竹が解禁され、この2週間北京の夜はずっとお祭りムードだった。春節を迎えた瞬間と元宵節である昨日の晩は特に激烈。昨日は残りの爆竹をすべて使い果たすべく爆竹、花火、消防車、救急車の音がごちゃ混ぜになっていた。

今回の爆竹の売り上げは1億円(日本円約15億円)という。

死者、けが人は・・・詳しく発表されていません。

しかーし。来年も、きっと爆竹は解禁でしょう。だって儲かりますもん。

 

春節からはじめたこのブログ。爆竹と同じように元宵節で終わることがないよう、何とか続けて行きたい・・・、続けていく予定です。これからもよろしくお願いします。


オリンピック開幕!

2006年02月11日 | 北京だより

トリノオリンピック開幕!


けさ、トリノオリンピック開幕。いつ始まるか知ったのは、実は、きのう。もうそろそろだなーというのはわかってたんだけど。毎日特集してたし。


今、開幕式の再放送見てます。やっぱりオリンピックっていいなあ。見てるだけで感動。この舞台に立つために、みんなオリンピックを目指すのかあ・・・。「龍眼」というライチみたいなフルーツを食べながらぼんやりテレビを眺める。


小野洋子がでてきたのにはびっくり。平和を想像する歌、「イマジン」。そういえば、私が生まれてはじめて買ったCDはイマジンだった。ほんとだよ。最終聖火ランナーが点火した瞬間もよかったあ。


でも、こうゆうの見ていると、ここに行き着くまでにどれくらいの人が動いているのか、どれくらいの人が毎晩準備してきたのか、ついつい裏方さんのことを考えてしまう。大変だったんだろーなあ。おつかれさま。


さて、みなさん、2年半後のオリンピック。そう、北京オリンピック!!何月何日何時に始まるかご存知ですか?


中国回転寿司

2006年02月10日 | 北京だより

今日は近くに新しくできた回転寿司に行って見た。雰囲気はなんとなくそれっぽい。

さて、お味は ・・・

・・・・

・・・・味はいいの。まだできたばかりだもんね。寿司握り始めたばかりだもんね。こんなおにいちゃんが握ってくれるんだからいいのよ。半年後にまた来るね!

 


雪のいと高うはあらで

2006年02月06日 | 北京だより
うすらかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ

はるか昔、納言の言ったことは本当だった!

今日こちらに来て以来、はじめて北京が白くなった。
白砂糖でまぶされたチョコレートケーキのようにうっすらと白く染まった。(2日前に同じ職場の方に手作りチョコケーキをいただいたのがよほどインパクトがあったのか、この形容・・・)

さて、天気予報ついでに日本のニュースを見ていたら「典子は今」の白井典子さんが市役所をやめ、講演活動に専念すると言う記事が出ていた。サリドマイドと言う病気で生まれつき両手がない彼女の映画、忘れもしない、それは私が生まれて始めてみた映画だ。今でもありありと思い浮かぶ、彼女が足でスイカを食べるシーン。小学生になったばかりの私は彼女にファンレターまで書いたものだ。返事は来なかったが、何度も下書きをして送ったことを覚えている。その彼女、映画出演後あまりにたくさん手紙が届き、全く世間には顔を出さなくなっていた。
そして今回これからは講演活動に専念する、とのこと。応援します!北京の空から。