日曜日。目が覚めたら…。
午後4時半だった。
その間、一度も目が覚めなかった。
中国に派遣されている青年使節たちを連れて倭国を旅しているような夢をみた。
夜中2時から14時間半、ずっと超大作映画を見ていたような感じだった。
こんなに長い時間目覚めなかったのはさすがにはじめて。
14時間も目覚めなかった自分にあきれたけど、夢の中はなかなか楽しかったよ。
日曜日。目が覚めたら…。
午後4時半だった。
その間、一度も目が覚めなかった。
中国に派遣されている青年使節たちを連れて倭国を旅しているような夢をみた。
夜中2時から14時間半、ずっと超大作映画を見ていたような感じだった。
こんなに長い時間目覚めなかったのはさすがにはじめて。
14時間も目覚めなかった自分にあきれたけど、夢の中はなかなか楽しかったよ。
9ヶ月間傘を差す必要がなかった北京だが、このところ雨が続いている。日本から持ってきた折りたたみ傘がようやく先週活躍した。
雨が降ってうれしいのは、やんだあと北京の空気がきれいになること。
雨が降って困るのは、髪がルンルンしだすこと。北京は乾燥しているので日本にいたときより髪がおとなしく落ち着いていたのだが、最近は落ち着かないんである。
NHKのBSで、中国の超乾燥地帯甘粛省で砂漠化が進み、村でお金を集めて年に一度畑に水を引くシーンをやっていた。甘粛省にもこの雨ふってくれますように・・・
神の国を後にし、続いて向かったのは「あおによし」を枕詞とする、日本有数の古都。
納言的には、洗練されて外国人観光客も多い京都より、すこしのんびりした雰囲気のこちらの古都が好きである。
この古都の有名な鹿がたくさんいる公園、日本最大の大仏がある寺などは何度も行った事がある。
そこで今回目指したのは・・・・。
唐招提寺!
そう、もろこしから倭国渡来に何度もトライし、視力を失いながらも倭国に戒律を広めた、あの鑑真様のお寺だ。一度お目にかかってみたかったが、鑑真様と面会できるのは期間限定のようだ。今は改装中で金堂などは見られなかったが新緑が美しいお寺であった。
そのあとは玄奘三蔵法師のお寺。
はるか昔、シルクロードを渡ってインドから仏典を運び、長安で翻訳作業にいそしんだお方。この道のりを描いた平山郁夫画伯の壮大な絵画を目の当たりにし、非常に感慨深かった。こういうとき、もっと歴史の勉強真面目にしておけばよかった、と毎回思ふ。
かつてのもろこし人が残した偉業を倭国で感じ入った今回の旅。
いろいろな思いを残し、経済発展真っ只中、オリンピック前で騒がしいもろこしの現在の都、北京へ帰ってきた納言であった。
尾張の実家をあとにした納言、途中熱田神宮へ立ち寄り、そして神の国へいざゆかん。
神の国への旅路はまるで子供のころ見ていた「日本むかしばなし」の風景そのものだった。
人の気配を全く感じない。どこまでもつづくぽこぽこした山山。
一時間に一本のローカル単線に乗り、ようやく着いた、倭国の神が集まるこの地へ。
これがかの有名な日本一のしめなわ
古典派納言、子供のときから一度は来て見たかったあこがれの場所である。年に一度、倭国中の神が集まるというこの由緒正しき神聖な場所。ここぞ、倭国。をかしき倭国。倭国万歳!
ここに来たからには当然おきまりの縁結びのご祈祷をし、ついでに厄払いもし、名物のそばを食べ、名残惜しみながらこの地を後に後にした。
たまたまきたのに、この日はちょうど年に一度の最も重要な日、「大祭日」開催日でなんだか縁を感じた納言であった。
また単線を乗り継ぎ、すこし下界に戻ると、大きな湖のある町へ至りぬ。
ここは人の気配があるが、目にするのはおじいちゃん、おばあちゃんばかりである。若者はいずこ?
駅のすぐ横にある足湯でしばし休憩。体中が温まりました。
八重垣神社のまえにある夫婦椿
八岐大蛇を退治したスサノオノミコトがここで稲田姫と結婚したのがこの神社。これが日本で最初の結婚式だそうだ。ここにある夫婦椿(連理玉椿)を神聖視し、発展したのが資生堂。たしかに資生堂の会員カードって花椿って名前だったよね。この神社、美容調整の御神徳があるそう。そして今や資生堂売出しブランド、椿シリーズが大当たり。その神様がここにあり。ここってすごいとこじゃない?
日本人以上に日本を愛し、妖怪に関する物語をたくさん執筆した小泉八雲さん
この町のキャッチコピー、「折り紙つきの日本」をいっぱい肌で感じた旅でした。
旅はまだ続きます・・・・。
尾張の実家を去ろうとした朝、孫と孫ママ(姉)がやってきた。そこで3人でしりとりゲームをした。
納言 「・・お?おなら!」
孫ママ 「ちょっと、子供の前で下品な単語つかわんでよ!」
納言 「・・・。お、おしり!」
孫ママ 「」
納言 「お、おむつ・・・。」
孫 「」
しりとりをあなどるなかれ。他人の前で自分の知的レベルをあらわにすることになる。
こうして納言は尾張の実家をあとにし、神の国へ向かった。
次回へつづく
久々の北京。早速の仕事で疲れたので、今日はビューティーデー♪
北京に戻って早々いつも行ってるエステ(詳しくはコチラ→http://blog.goo.ne.jp/yukarippp_2006/e/3d34a25edac31dd9826e629d3226e755)のお姉ちゃんから電話が。
「納言、帰ってきた!いつくるのー?」
そして驚いた。
なんと、予告もなく移転したというのだ。ちょっと、勝手に遠くに引っ越されたら困るよぉ。。。と、場所を確認すると歩いて5分くらい遠くなっていた。
移転し新しくオープンした店に行ってみると、いつもの顔ぶれ。入り口のところに従業員が5人くらいソファーに座ってる。広くなった。天井が高くなった。きれいになった。
あいかわらずBGMは中国語の大きな話し声だがこれなら一般の日本人に紹介しても大丈夫なレベルではないか。マッサージの技術は日本よりいい。(って日本で一回しか行った事ないんだけど。)2時間かけて終了。
そしてお次はネイル。
手、足両方お願いした。爪の表裏にやすりをかけ、爪の皮をきれいにカットし、足の裏の角質も磨いてくれてきれいさっぱり。仕上げは足にはちょっと赤めの、手には透明のネイルを塗ってもらいピカピカ完成。手と足それぞれ一人ずつ、2人一緒に同時進行でやってくれる。ちょっとセレブ気分♪
美容院はおととい行ったしこれで完璧。明日はデートといいたいところだけどいきなり休日出勤。とほ。
くまちゃんも一緒に北京に来たよ。
帰りは倭国で言う「人力車」にのって帰宅。
こんな一日、倭国で同じことしようと思ったらたいそうお高いわよね。もろこしでこそ味わえるちょっとセレブな北京の休日でした。
倭国神の国、古都などを巡り、昨日昼NH159便で関空から北京に帰ってきた。
北京に戻ってすぐ洗濯して、銀行行って、美容院行って。早速あわただしい。美容院は日本で行きたかったのだが、結局時間が取れなかったので。まあ北京のほうが安いからいいやということで北京の日本人向け情報誌「北京ウォーカー」「北京コンシェルジェ」などに載っている「ムービス」というところにはじめて行った。カット、カラーで510元(7500円)だった。日本よりは安めだが中国の感覚からするとかなり高いほうだ。実際、店内で客は私一人だった。
美容院は毎回違うところを試している。今までは日本人美容師に日本と同程度の料金を払って切ってもらっていた。が、高くてよいのは当たり前なのでお値打ちでよいところがやはりいい。せっかく北京なんだし。これからも自らの髪をもって探し続けます、技術と値段のバランス北京一の美容院。。
今日久々の出勤。メール受信が全部終わるのに30分以上かかった。
明日あと一日だけだから何とか乗り切ろう。
久々に倭国に帰っていろいろ感じたこと。
1.四季ある自然が美しい。
いわずもがな。緑や花々が輝くように美しい。空気もやわらか心地いい。青い空がまぶしい。久々の雨も、かえるたちの合唱も堪能した。
2.倭国のおなごはかわいい
友達とご飯を食べに行ってつくづく感じた。店員さんが皆かわいい。思わず声を掛けずにはいられなかった。
「ぴかちゅうさん(という名札をつけていた)、ほんとかわいいですねー」
単に自分がオヤジ化しただけ?
3.中国製が中国より安い
なんでよ。100円ショップのもの、中国製なのに、中国で買うより安い。中国は10元ショップというのがあるが10元=150円。思わずいろいろ買い込んだ。中国製既製服等も北京のヨーカドーより日本のヨーカドーのほうが安い!
倭国は生活するのによき国です。
明日、実家を発つ。
新緑の季節に帰って来たのに、結構雨が多かった。明日から日本の古都、神の国を巡り、そして傘がいらない、あの北京へ。
こっちにあると北京にいたのが現実なのかよくわからなくなってくる。頭がとろけてくるんである。親は毎日気がつくとおやつタイムしてるし。
しかし、急に現実に帰された。
もろこしから仕事メールがきたんである。
ある理由により、5月末に予定していた青海省行きが消えてしまった。
青年使節と一緒にいろいろ準備進めてきた第一回青海日本祭に出席できなくなってしまった。
今納言は、子のピアノの発表会に土壇場で出席できなくなった親の気分である。
追伸:こちらにいる間納言に会って下さったみなさまありがとう。。
ふるさとに帰って一週間。倭国の緑を堪能したり友に会ったり楽しんだ。
しかし、一番お気に入りなのは家でほけーっとしている時間だ。
特に孫といる時間が好きである。(孫といっても甥っ子なのだがなぜか私は孫と呼んでしまう。)
孫とお昼寝するひとときは最高だ。
孫は来年小学生。おばちゃん!などとは言わない。「納言ちゃん!」と名前で呼んでくれるかわいいやつなのである。
この孫と四川省という名のパソコン麻雀ゲームをやるのにはまってしまった。
http://homepage3.nifty.com/puzzlehouse/kg72/kg72.html
そしたら本物の牌でやりたくてたまらない衝動に駆られた。
あの手に持った重み、キャラメル色、牌を混ぜるときのジャラジャラ感がよみがえってきた。そうだ!孫にも牌に触れさせよう
かくいう納言はこの孫と同じくらいのときにはもう家族で麻雀をやっていた。麻雀と百人一首は正月の恒例行事だった。四川省ゲームもやっていた。(こんな名前だとは知らなかったが。)この孫にももうそろそろ教えてもいいころだ。
押入れからさっそく牌を取り出した。四川省ゲームをやるには横に17列並べて牌を表にひっくり返す作業がいる。あれを孫にしこむとあっという間に覚えてしまった。さすが血筋がいい!さあ、牌の名前も・・
ふと、横を見ると
孫ママ(姉)。
曰く、
「ちょっと、子供に変なこと教えんでよ!(尾張弁)」
と。
納言、孫と引き裂かれ悲しむことこのうえなし。