ゆいもあ亭【非】日常

映画や小説などのフィクション(非・日常)に関するブログ

ストレートな原作映画ではないというのが面白い。

2008-10-09 | 映画
「BALLAD~名もなき恋のうた~」
製作中の、山崎貴監督作品。

なんと、原案は「(映画)クレヨンしんちゃんあっぱれ戦国大合戦」だということ。

山崎貴監督「Always~三丁目の夕日」シリーズの監督ではあるが、それよりも「ジュブナイル」と成立過程は似ているのじゃなかろうか。

「ジュブナイル」は未来から来たロボット「テトラ」とユースケ少年(あの遠藤雄弥くんだ!)の出会いと別れ、そして再会の物語である。
こう、まとめてしまうとわからなくなるだろうが、現代の活躍を経て活動不能になったテトラを修理するために猛勉強したユースケがテトラそのものの実は設計・発明者であり、自分との出会いを果たさせるために未来からタイムマシンで現代に送り込んだのだ、というオチの作品なのである!

そう! あの「ドラえもんの最終回」が原案だったのである。

今回も「しんちゃん」の下品さは一切ないようだから、換骨奪胎みごとに果たすのではないかと想像する。

傑作揃いの劇場版しんちゃんのなかでも指折りのハートウォームストーリーだけに、一定レベルの出来は保証されたのじゃなかろうかと想像するが、いかに。

またも増えるばかり。

2008-10-08 | Weblog
本日レンタル特売でした。

「ゴーストハント」3・4巻は娘のために。

それに「新耳袋」の最新作を借りてきました。

見るべきものが増えてしまいました。

「10000BC」なんてものも、ひとから回ってきたし。
(暇ないからいいのに……、とも断れず……)

王者の息子はサラブレッド?

2008-10-07 | 映画
書店で短編集「20世紀の幽霊たち」を見かけて気にかかっていた作家ジョ-・ヒルが、実はスティーブン・キングの息子だという東京丈さんの情報があって、ネットで軽く調べてみた。既に「ハートシェイプト・ボックス」という長編も出ていて、これには映画化の予定もあるという。

しかも、本人のデビュー、作品上梓の際にはキングの息子であるという事実は伏せられていた模様。今般の成功はまったくの実力という。

しかしながら、「ロメロ監督の映画にゾンビ役としてエキストラ出演する男女が血糊を噴いて倒れるシーンを演じながら人生の再起を静かに謳い上げる短編」などという作品もあるらしいから、彼に与えられた環境が彼を育てたのは結局のところ確かだろう。

1972年生まれの彼、キング脚本・ロメロ監督の「クリープショー」(1982)に父親をブードゥー人形で呪う少年役で出演しているのだ!

そういう意味で、やはりサラブレッドだな。あるいは「シャイニング」の持ち主というべきかも。

「クリープショー」はコミックのコマが動き出すというビジュアル展開のオムニバスだが、隕石を拾った農夫が、宇宙から来た苔だか黴だか草だかに全身覆われて自殺に至るまでをスティーブン・キング自身が熱演した2話と、俗悪怪奇コミック誌を捨てた父親とその息子ビリー(ジョー・キング少年!)のフレームストーリーが印象的だ。

*写真はついでに怪奇コミックの世界へ誘うガイド役のキャラと、1話でとても印象深い復讐を果たすゾンビお父さん。

*キャプチャーは米盤から。国内盤はまたまたハピネット。Amazon中古価格は1万5千円くらい。やれやれ。

*追記(10/8):ジョー・キングのフルネームはJoseph Hillstrom King。なるほど、ジョー・ヒルはミドル・ネームまでを使った、ほとんど本名のペンネームなんだね。そのうちジョー・ヒル・キングと改めるかも知れませんね。

職場机上機VAIO PCG-FR33B  HDD換装

2008-10-06 | Weblog
近頃起動がもっさりして、データ消滅の不安を抱えつつ使用していたVAIO PCG-FR33B。

夏ぐらいから、HDD換装を申し入れてあったので昨日HDD購入。本日換装いたしました。

LBコピーコマンダーを使用して、中身をコピーしてからの換装だったので、そのまま問題なく使用開始できました。

まった手間いらずでした。

ただ、最近キイボードがバラけ始めていて、今度はそれを何とかする必要があることと、メモリが256増設で512Mbyteどまりなので、そのあたりは自腹で768経て、1Gbyte越えにしようかな~。

新品もいいけど、自分で育てた環境には愛着がありますからね。

野暮を承知で、同じ素材でストレートなヴァージョンを作ればどうか?

2008-10-05 | 映画
クローバーフィールド/HAKAISHA

何だか批判がましいレビューばかり目にしていたので期待しなかったのがよかったのか、結構楽しめた。

「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」とはまるで違うではないか! 本作「クローバーフィールド」は決して擬似(フェイク)ドキュメントなどではない。怪獣映画の極端な変化球であると理解すればいいと思う。

上映時間85分という物足りないくらいの時間も見事な仕掛けの一部である。標準的なデジタルヴィデオテープの録画時間は80分だから、設定上の家庭用DVカメラによる記録なのでエンド・ロールを除いてちょうどそのくらいになるわけだ。

冒頭消し残しの映像により、(4月27日。ニューヨーク、マンハッタン島。早朝。父親不在の、彼女の住む高層アパートで、ふたりは前夜結ばれたらしい)ロブとベスのカップルが紹介される。続いてそのDVカメラの持ち主=ロブの兄ジェイソンによる撮影が始まる。5月22日夕方。恋人のリリーと一緒に、弟ロブの昇進・歓送パーティーをサプライズで用意している。参加者の一言を録画するつもりらしい。ところが、ジェイソンは飽きっぽい性格らしく、撮影を兄弟共通の友人ハッドに押し付ける。以下、終盤まで(プロの報道カメラマンでもないのに、記録を続けるのは不自然だと指摘する方もいらっしゃるが……、)ほとんどこのハッドの撮影である。

副社長に昇進し、日本への転勤が決まったロブ。ベスへの思いがありながらも、遠く離れた異国に行かなければならないのだからと、パーティーのさなか、喧嘩別れしてしまう。気にかけたジェイソンとハッドがロブをいさめるがロブは頑固だ。そのとき、突然建物を揺れが襲う!

吹き飛ばされてくる自由の女神の頭部。ビルの隙間から、何か巨大な破壊者の姿が垣間見える!

電気店のテレビに映し出される巨大怪獣。切り返すとビルの隙間にそれと同じものが立っているらしいとわかる。

破壊される建物に逃げ惑う群集は9・11の映像記録を意識している。リアリズムの怪獣映画だ。

マンハッタン島から脱出する橋では、怪獣の尻尾による攻撃でジェイソンが死ぬが、ロブは酷い別れ方をしたベスが気がかりでならない。電話が一瞬繋がった時に、ベスが高層アパートの部屋で逃げ遅れていると知る。彼女の高層アパートは怪獣が最も破壊している方角にある。その時点でパーティー参加者もかなり散り散りになっているが、カメラを持ったハッドと、マリーナの反対をよそに、ロブは助けに行くと言い張り、その主張に(ジェイソンを失った)リリーも賛成する。

地下鉄の線路を辿って移動する途中では怪獣の体に寄生していたらしい小型の怪生物(1985年版「ゴジラ」の巨大フナムシ=ショッキラスみたいなヤツですな。実際の見た目は「ミスト」の蜘蛛みたいな感じですが。)に襲われ、逃げ延びるが、そいつらに噛まれたせいでマリーナは命を落とす。

ベスをなんとか救い、軍のヘリコプターで逃げられるかと思ったのに(別の機に乗ったリリー以外は)怪獣に撃墜され、それでも逃げ延びるかと思ったら……。

また最後に4月27日の消え残り映像が。コニーアイランドの遊園地で遊ぶロブとベス。テープの残りも少ないから云々と会話しているのだが、その背景にとんでもないものが! 何かが空から降ってきて、海の沖合い、水平線の辺りに着水しているじゃないか!

おそらく、これがとりあえずの「はじまり」だったのだ。だから、未編集のこのDVテープは軍の資料になったのだ!

という終わり方。

うまいですよ。普通の怪獣映画なら、このあと主人公たちが生き延びて怪獣の最後を見るか、それとも最初からテレビで「あれは寄生体であると考えられます」みたいな意見を言っていた人物が主人公級になるのか。

続編はないと思いますが、野暮を承知で、同じ素材でストレートな怪獣映画を作るとよいかも。

エンドロール曲“ROAR!”(咆哮)も、確かに伊福部っぽくて感動した。

猫贔屓、犬贔屓。

2008-10-04 | Weblog
たまにはこんな記事はどうか。
「枕草子」第七段の口語訳。(もちろん私が訳しました)。

☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆

上にさぶらふ御猫は(口語訳)

(清涼殿におります)(帝にお仕え申す)帝ご寵愛の猫は、五位の位を頂いた者であって命婦のおとどといって、ひどくかわいらしいので、帝もご大切になさっていらっしゃる(その)猫が、(ある日)お部屋の(ひどく)端の方に出て寝ているので、世話役の馬の命婦が、
「まあお行儀の悪いこと、お入りなさい。」
と呼ぶけれども(言うことを聞かないで)、日が差し照らしている日だまりに、眠ってじっとしているのを、おどすつもりで、
「翁丸はどこなの、命婦のおとどをたべちゃいなさい。」
というと、(この言葉を)本当かと思って、馬鹿者(な犬)は走って飛び掛ったので、(猫は)怖じ慌てて、御簾の中に逃げ込んでしまった。(そのときちょうど)ご朝食の部屋に帝がいらっしゃったので、(これを)ご覧になって、たいそうびっくりなさる。猫をご懐中にお入れになって、蔵人たちを呼び寄せると、蔵人の忠隆、なりなかが参上したので、
「不届きな翁丸めを打ち懲らしめて、犬島(犬を遠島=えんとう=にするということから。実際にはそのような特定の場所はない)に流してしまおう。今すぐに。」
とおっしゃりなさるので、皆々集まって、(翁丸を)狩り出し(てやろうと)大騒ぎする。馬の命婦のこともお叱りになって、
「世話役もとにかく替えてしまおう。まったく安心できぬ」
とおっしゃりなさるので、(馬の命婦は畏れ多くて)帝の御前にも顔出しもしない。犬は(皆が)狩り出して、滝口の武士などによって追放された。
「気の毒に、(今までは)たいそう威張ってのし歩いていたのになぁ。三月三日に、頭の弁が柳で頭を飾らせ、桃の花をくびに差させ、桜を腰に差したりして、(飾り立てて)練り歩かせなさった時には、こんな酷い目に遭うだろうとは思いがけもしなかったろうか」と(わたくしどもは)気の毒がる。
「(中宮様の)お食事の時には、(お余りをいただこうと庭先で)必ずこちらを向いて控えておりましたのに、(いなくなって)本当につまらないわ」などと(皆で)話して、三、四日ほどになった昼ごろ、犬がひどく鳴く声がするので、「どうして犬が、こう長時間にわたり鳴くのであろうか。」と(その声を)聞くうちに、(近隣の)たくさんの犬どもが(そちらの方を)尋ねて見に行く。
御厠人である女が駈けて来て、
「まあ大変だわ、犬を蔵人が二人して打ちのめしていらっしゃる。死んでしまうでしょう。帝が犬を流罪にしなさったその犬が、帰って参りましたということで、罰しなさっている」
と言う。これは嫌なしらせだわ。(やはり)翁丸だ。
「忠隆、実房など打つ」
と言うので、止めに(その女を)遣わすうちに、やっとのことで鳴き止み、
「死んだので、陣の外に放り捨てた」
と(聞いたと、戻った女が)報告するので、気の毒がりなどするその夕方、いかにもひどく腫れて、見るからにみすぼらしい犬で苦しげな様子の犬が、わななきまどっているので、
「翁丸かしら。(それともこのあたりには)近頃こんな感じの犬がうろついていたかしら。」
と言うと、(他の女房が)
「翁丸。」
と呼ぶけれど、(呼び掛けを)聞き入れもしない(見向きもしない)。「やっぱりそうよ」と(ある女房が)言い、「違うわよ」とも(別の女房が言い、)(みなが)口々に意見を申すので、(中宮様が)
「右近が(よく)見知っている(はず)。お呼びなさい」
といって、呼び寄せると、参上した。
「これは翁丸か」
と見分けさせなさる。
「似てはございますけれど、この犬はあまりにみすぼらしい姿でござるようです。また、『翁丸や。』とさえ呼びかけると、(普通は)喜んで駆け寄って参りますのに、(この犬は)呼んでも近寄ってきません。(翁丸とは)違う犬であるようです。『その犬は、打ち殺して(死骸を)棄てました。』と申していました。ひと二人をして打つなら、生きておりますでしょうか(いや、死んだでしょう)」
などと申すので、(中宮様は)お辛くお思いになる(ご様子だ)。
(日暮れて)暗くなって、食べ物を食べさせたけれど食べないので、やっぱり違う犬だと結論付けておしまいにしたその明くる早朝、(中宮様が)ご調髪、ご洗面などのお手伝いをさせなさって、お鏡を(私に)持たせなさってご覧になるので、お側仕えしている時に、犬が(お庭先の)柱のもとに座っているのを眺めやって、
「ああ、昨日翁丸をひどく打ったことよ。死んでしまっただろうことは気の毒だ。(生まれ変わって)何の身に今度はなったんだろうか。(打たれて死ぬ時には)どんなにか辛い気持ちがしただろろうか。」
とそっと言うと、この座っていた犬が(身を)震いに震わせて、涙を落としに落とすので、もうビックリしたことだ。「さてはやはり翁丸であったのだ。ゆうべは(素性が知れないように)隠れ忍んでいたのだなぁ」と、気の毒な思いに添えて、(その知恵の働かせ方に)感心することこの上ない。
お鏡をちょっと置いて、
「それじゃあ(やっぱり)翁丸かい」
と言うと、ひれ伏してひどく鳴く。中宮様もたいそうお笑いになる(異本では「おち笑はせたまふ」。「落ち」は「ほっとする。安心する」)。右近の内侍をお呼びになって、「こういうふうで」。と(事情を)おっしゃると、(女房一同も)笑い騒ぐので、帝もお聞きになって(中宮の御座所に)おいでになる。
「あきれたことに、犬なんかでも、こういう(身を包み隠そうという)気持ち(知恵)があるものなんだねぇ」
と(帝も)お笑いになる。帝お付の女房方も(噂を)聞いて、寄り集まって呼びかけるのにも、今はもう(安心して活発に)立ち動く。
「やはりこの顔などが腫れていることよ。何か手当てをさせたいものだわ。」
と(私が)言うと(他の女房が)、
「(あなたは)ついに(見事に)この翁丸の正体を見抜いたことだわ。」
などと笑う時に、蔵人忠隆が聞きつけて、台盤所の方から、
「(翁丸が戻ったとは)本当のことでござろうか。それなら検分しましょう。」
と言って寄越したので(私は)、
「まあとんでもないことです。まるでそのような者はおりません。」
と(取次ぎの者に)言わせると、
「庇いだてなさっても、私が見つける機会もございましょう。そんなふうにばかり隠し果せはなされないでしょう。」
と言う。
こんな経緯があって、お咎めが許されて、もとのようになり戻りました。(それにしても)やはり同情の声をかけられて身を震わせて鳴き出してしまったことが、このうえなく胸弾み胸に染みもしたことだ。(確かに)人間などは人に(同情の言葉を)言われて泣きなどするものだが(、犬でもそうなんだねぇ、とつくづく感じましたよ)。

☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆

猫を猫かわいがりな帝と、犬贔屓な中宮(及び中宮房の女房方、とくに清少納言)がよい味でしょう?

恒星間探査行か、銀河探求行か。

2008-10-03 | 映画
ギャラクシー・クエスト」(Galaxy Quest)

以前から気に掛かっていたのだが、いまさらレンタルする気にはならず、かといって買うのも微妙な値段で逡巡していた「ギャラクシー・クエスト」を780円で発見。早速見ました。

テーマ音楽と小さいフレームの中で始まる本編(当然テレビ画面か、スタンダードサイズのスクリーンに上映されているという見立てかと思ったら案の定で、ファン・コンヴェンションでの上映会という始まり!)です。まずまずの出だしから、すぐに引き込まれました。

マニアックだねぇ。ティム・アレン扮する現在のジェイソン・ネズミスが、なんともかんとも。ウイリアム・シャトナーに見えてしまうあたりも素敵だ。

シガニー・ウィーバーが演じる、胸の谷間しか取り得がないグエン・デマルコ。アラン・リックマン演じる、自称演技派俳優アレクサンダー・デーンのトカゲ頭メイクも素敵で、「グラブザーのハンマーに賭けて……云々」とかいう台詞も「長寿と繁栄を(リブ・ロング・アンド・プロスパー)」みたいで嬉しくなる。

そんな彼らが現実の宇宙紛争に借り出される設定もよい。
可愛い顔して実は凶暴な宇宙人もよい!
また、テレビ・シリーズに基づいて作られたという実物宇宙船の内部でのトラブルに対処するため、ジェイソン・ネズミスが通信機でマニアを呼び出すシーンに、は喝采せずにいられなかった。

まあ、そんなお間抜けさんも、そうはたくさんはいないと思うが、私同様に未見のお間抜けトンチキさんは、ぜひ今すぐに御覧なさい!

魍魎の匣の中の失楽園

2008-10-01 | 映画
魍魎の匣
DVDでやっと見ました。

原田眞人監督作品。
原田眞人といえば、「ガンヘッド GUNHED」くらいしか思い浮かばなかったが、「狗神 INUGAMI」と「伝染歌」も見ていました。そういえば本作は「伝染歌」のノリにも通じるところがありました。

京極堂シリーズとしては、前作「姑獲鳥の夏」が実相寺昭雄監督作品であり、いかにも実相寺らしい演出と、「名場面」で構成される、原作を読んでいる人間でないと筋がはっきりとはわからない、いわば動く挿絵映画であったのに対し、本作は時系列や人間関係の出し入れを大胆に前後させることで、原作のエッセンスを生かしつつ、これはこれで内容のわかる映画にしてのけた点は評価に値すると思います。

登場人物が軽くなりすぎたきらいはありますが、いわば演出上のアクセントであって作品を見せる力になってもいます。

京極堂の「禹歩」のシーン、フラメンコに至るまで冗談でなくぞくっといたしました。
フラメンコ→死の舞踏(ダンス・マーカブル)→赤い靴と勝手にイメージを広げれば、死ぬまで踊るのを避けるため=つまり生き延びるために足首を切断した(アンデルセン童話の)話と、「匣」の正体は通じているじゃありませんか!

後半の箱館内部のシーンも、「カリオストロの城」とか思い出して、ちょっと冒険映画っぽくて、わくわくしました。

最後に千鶴子夫人と雪絵夫人の会話で幕引きですが、さり気なく鎌倉という、原作では次の作品になる「狂骨の夢」の舞台・逗子にも程近い地名を出してどきっとさせるあたりもよいなぁと思いました。

*写真は後日アップいたします。