そして、原ノ町駅から常磐線の仙台行に乗って、
「あれ? 明日なんかあったはずだったけど、なんだっけか?」
息子を車で塾に送って行った後、自宅の壁掛けカレンダーを確認してみると、「おながわ秋刀魚収穫祭」と書き込んでありました。
どうしようか、と迷いました。
10月に、『国家への道順』(河出書房新社)、11月に『春の消息』(第三文明社)、12月に『飼う人』(文藝春秋)と3冊の新刊が出版されるために、そのゲラの朱入れ作業が立て込んでいたからです。
でも、女川との縁は深い――。
わたしがパーソナリティを務める「南相馬ひばりエフエム」は、2016年3月末に閉局した「女川災害FM」と提携し、わたしの担当番組「ふたりとひとり」をずっと放送してくれていたのでした。
特に、震災直後に女川に入り、放送機材提供や番組制作のノウハウを地元住民に指導して臨時災害放送局を設立し運営した、放送作家・ディレクターのトトロ大嶋(大嶋智博)さんとは、「同志」と呼び合う間柄でした。
朝6時に起きて、よし行くか、と登山リュックに仕事道具を詰め込み、電車を乗り継いで4時間かけて女川駅に到着しました。
ひと通りお祭りを見て歩き、大嶋さんともばったり遭ったので、「ゆぽっぽ」でひと風呂浴びて、石巻線に乗って帰ることにしました。
女川温泉「ゆぽっぽ」は、女川町営の温泉施設で、JR東日本石巻線の終着駅女川駅舎の西側半分の2階に風呂と休憩所があり、1階にはミニギャラリーと地元物産の販売コーナーがあります。
息子は無類の風呂好きで、長風呂です。休憩所のカウンターにiPadを出して原稿を書き、無料のウォーターサーバーから水をもらって飲んでいた時のことです。
「ゆぽっぽ」に入るのは3度目でした。
しかし、気づかなかったのです、椅子やテーブルが紙で出来ていることに――。
「あれ? これ、全部紙で出来てる。カッコいい! ほら、見て!」
と、わたしは座布団を枕にして寝ている村上くんを揺すり起こしました。<o:p></o:p>
「ほんとだ……サランラップの芯みたいな紙だね」
気をつけて見てみると、天井も一面紙の筒で、波のようにうねっているデザインでした。
わたしは立ち上がり、1階ギャラリーに設置されている紙製のベンチに座ってみました。
美しいだけではなく、座り心地もいいことに、わたしは驚きました。
わたしは、フルハウスのカフェスペースに置く大きなテーブルと椅子をどうしようか、と悩んでいました。
高いお金を出せばいくらでもあるということは知っているのですが、お金は、小高の土地と中古家屋購入費とハウスクリーニング費と修繕費などで尽きてしまったのです。IKEAや無印良品に行って、1万円以下で座りやすそうな椅子を一脚買っては、生活の中で試し座りしているのですが、及第点を出すには至っていませんでした。
わたしは、ようやく風呂から上がった息子と共に「ゆぽっぽ」を後にし、石巻線の中でスマートフォンで調べました。「紙 筒 椅子」というキーワードで、「ゆぽっぽ」と同じベンチの画像にヒットしました。紙管の椅子をデザインしたのも、女川駅舎を設計したのも、坂茂さんでした。
坂茂さんは、建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞した建築家です。
わたしは隣に座っている村上くんの「世界的な建築家に失礼だから、やめなよ」という制止を振り切って手紙の文面を書き、坂茂建築設計事務所の公式サイトの「お問い合わせ」ページにあったアドレスにメールを送信しました。
坂さんご自身から返信が届いたのは、終点石巻駅に到着する直前のことでした。
「椅子と言わず、本屋Full House の内装設計でも、小劇場設計でも何でもボランティアでやります。
今年4月には双葉町の原発ギリギリまで行ってきました。
近々先ずはそちらに伺います」
わたしは「すごい!」と叫んで、メールを村上くんに見せました。
10月14日、坂茂さんは、南相馬市小高区の我が家に、事務所の方といっしょにいらっしゃいました。
わたしは、原発事故によって「警戒区域」に指定された小高という地域と、小高住民と、小高産業技術高校に通う生徒の現状を知り、止むに止まれず、ここ、小高に転居しました。
その行動とこの場所を起点にして、奇跡のような縁がいくつも結ばれ 、点と点、線と線は、一つの面に成りつつあります。
お金は、労働の対価として支払われるべきものです。
でも、お金では動かないこともあるのです。
喜びは、自分の欲望を充足させた時のみに生まれるものではありません。
真の達成感とは、自分と他者が深く関わり、他者のために一つのことを成し遂げた時にこそ生まれるのではないでしょうか。
●奏人くんが初めて独りで考えて、独りで作った晩ごはんの献立