「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな・・・なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。
しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。
『CHRISTIAN TODAY』の記事です。
彼の絶望と孤独と苦しみと痛みに、神は……
と、問うています。
今日はずっと賛美歌を聴いています。
いまは、273番です。
われには外(ほか)の隠れ家あらず、
頼るかたなき このたましいを
委ねまつれば、みいつくしみの
つばさの蔭に 守らせたまえ
しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。それからは、毎日生きていることに感謝し、神様に守られ、今も生きていることに感謝しているという。
『CHRISTIAN TODAY』の記事です。
彼の絶望と孤独と苦しみと痛みに、神は……
と、問うています。
今日はずっと賛美歌を聴いています。
いまは、273番です。
われには外(ほか)の隠れ家あらず、
頼るかたなき このたましいを
委ねまつれば、みいつくしみの
つばさの蔭に 守らせたまえ