映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

モーツアルトの命日「アマデウス」

2010-12-26 18:46:06 | 舞台はドイツ・オーストリア

12月5日はモーツアルトの命日。NHKはBSで「アマデウス」放映。

 

 この映画の中に出てくるVIP2人

 

 一人はザルツブルグの「大司教」・・・当時の大司教の名は、ヒエルニュムス・コロデド。そもそもザルツブルグはローマ時代からの歴史ある街、カソリック教会の中でも地位が高い大司教を擁き、他の領主諸侯から独立したいわばミニ国家(日本流に言えば門前町だが、歴史家は宗教都市と読んでいる)。バイエルンと仲良くしたり、ウイーンオーのハプスブルグと誼を通じたり・・・結局ナポレオン後のウイーン会議でオーストリアに帰属する、そういう街。

 

 従って気位は高く、モーツアルトの父レオポルドにすればザルツブルグこそが生きていく道、大司教に絶対服従、大司教の宮廷に使えことが総てであったに違いない。だけど息子のモーツアルトは、そこにはまったく無頓着。自分流の好き勝手な音楽生活をつっ走るという、いわば音楽フリーターだったのであろう。

 

 一方の主役オーストリアのヨーゼフ2世は、オーストリアの国母と呼ばれるマリアテレジアの息子、1765年から母親と共同統治(父の死により神聖ローマ帝国皇帝に就いている)。1780年に母王が亡くなり、自分らしさを出した政治を意識しているとき、1781年にモーツアルトがウイーンにやってくる。映画「アマデウス」ここから始まる。ヨーゼフ2世は、映画の中で盛んに自国を「ドイツ、ドイツ語」と強調している。(「映画で楽しむ世界史」81章)

 

 この王様は歴史教科書で言えば「絶対主義時代の啓蒙君主」。フランスやプロイセンから入ってくる開明思想に共感し・・・母王の保守的、規律のうるさい政治から脱却しようとする。有名な「(宗教)寛容法」を出したり、イエズス会の解散を命じたり、農奴解放に着手したり・・・。しかしオーストリアの地にはどうも進取の政治は根つかない。彼はフランス革命勃発の翌年(1790年)、妹のマりー・アントワネットから反革命のための協力を要請されながら、崩御する。

 

 映画アマデウスは、4本のオペラ・・・①後宮からの誘拐、②フィガロの結婚、③ドン・ジョバンニ、④魔笛・・・の製作過程を織り込みながら進行するが、特に「フィガロの結婚」について一言。

この有名なオペラは、セルビアの小領主、その妃、侍僕フィガロ、その婚約者スザンナ、小姓ケルビーノなどを巡る恋愛「どたばた喜劇」なのだが、背景に使われるのがいわゆる「初夜権」の問題。初夜権なるものについては諸説あり省略するが、正式に特権として存在したなどという記録はない(はず)なのだが・・・。

 オペラの冒頭、領主(アルマヴィーヴァ)は、一旦初夜権廃止を公約しながら、スザンナを可愛がり、彼女がフィガロと正式結婚をする前にベッドをともにしようとして初夜権廃止撤回をにおわす。それに気がついたフィガロは・・・計略を用いてこれを阻止しようとする・・・以下省略。

 そこでオペラの中で彼らはこの権利を「例の古くからの王様の特権」(封建的特権のニュアンス)という言葉で言いあうが、これで当時のウイーンっ子がすぐにこれを理解できたであろうか、いや理解したに違いないということ。上記のヨーゼフ2世の「開明的」政策の経過と連想させて考えると、面白い。

 

モーツアルトは政治に一切興味はなかったであろう。しかし当時の世相は肌で感じていたのであろう。モーツアルトの持った言葉は音楽、もしこれが文学的才能であったとしたら・・・想像をたくましゅうする。

 

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