クラシック好きです

交通事故でC3.C4の四肢麻痺になって
障害者施設から在宅生活に戻れた日々の出来事

野良猫から

2011-08-07 11:41:29 | 猫 
ここん家は

遊ぶところがおおいよね






ぬふふ♪


yozame
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交通事故裁判の現状2

2011-08-07 11:28:49 | 裁判
2006年7月いらい四肢麻痺で交通事故の裁判と戦っています
四肢麻痺というハンディは思った以上にありまして
事故内容などを身ぶり手振り無いとほとんど伝わらないようです
裁判終わりかけていますが
事故の内容は弁護士どころか誰にも伝わってないです

■口だけでは真実伝えられないわたしの能力にがっかりです

加害者永滝の弁護士といっても
セ○ム保険屋の専属のような立場の弁護士だと思います

そこで
わたしは普段付き合いのあったBMWの車屋さんの担当セールスに
弁護士を紹介してもらいました
理由は外車を扱ってる会社だからという田舎臭い期待からでしたが
やってきた弁護士は加害者の弁護士と同県で東大卒の運動神経悪そうなオボッチャンF

交通事故の内容と職業収入の説明が伝わらない間に裁判始まり
相変わらず事故内容と職業説明してる間に
4度ほど施設まで来てくれましたが
三度は一時間以上の遅刻!どうやら思いっきり方向音痴らしい

四肢麻痺のためか弁護士の能力が変だったためか
とにかくわたしの訴えたいことがまとまらない間に
陳述書を書いてくれという状態に

■いつのまにか裁判が進んでいて裁判官の案まで出ていて

ほぼ終わりそうな状況にまで来ていました
まるで加害者のいうがままの判決に
わたしの弁護士が追従するかのごとく
なんの反論もできてないような状況を見て

弁護士同士が癒着しているかのように見えたものでした
その時でてた和解案は細かく覚えていませんが
過失相殺25:75で1億前後の保証でしたので
手元には9000万切る程度の保証しかありませんでした

この金額だと近所の友達が予想した金額です
「死亡事故でも1億はもらえない、1億いけば良い方だろう」
そんな風に言われていましたが
こんな体にされてそんな程度の金額で生活を維持できるわけがない

■陳述書は書き始めましたが同時に代わりの弁護士を探し始め

陳述書提出1日前に東京千代田区の弁護士と交代でき
安心したのを覚えています

田舎の弁護士は何だかんだどこかで顔見知りになっていて
力関係が出来上がっているように思えます
しっかり力のある弁護士事務所にお願いすることが
裁判の第一歩だと思います

Aライフサポートセンター入所して1年
事故後だと二年目で
保証9000万ぐらいで終わりそうになった

なんせ
事故の内容伝わらず
高校の音楽講師とピアノ教室の先生をごっちゃにして
高校のピアノ講師として混同されたまま
これからの生活をどうするかなんて話を詰めない間に終わりそうだった
田舎の弁護士の動きは大変怖かったです



yozame
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交通事故裁判の現状1

2011-08-07 11:12:04 | 裁判
2006年7月に交通事故で脊髄損傷になり加害者の保証が決まらないので
自宅で介護の計画が進みません
障害者施設というところは人が住むような場所ではなく
利用者にとって自分の怪我や病気を我慢する以上に
介護職員の苛めや虐待がはびこっていて酷い環境です

そんな地獄から一時でも早く抜け出したいのですが
裁判が終わらなくて困っています

■交通事故裁判とは加害者が責任感や誠意が無い人の時始まります

わたしの場合事故後3ヶ月ぐらいは人と会えるような状況ではなく
病院生活1年程いましたがジョクソウがまだ残っている状態でした

【生命保険の対応】
明治生命の積立て保険で死亡時1,000万後遺症時2,000万の保険でしたが
病院入院中に担当と上司が来てくれて
退院する前に2000万支払ってくれました
当然の対応だと思いますが
生命保険がおりたお陰で随分助かりました

【セ○ム自動車保険】

治療費に関しては事故扱いですから自分の健康保険を使うわけでもなく
詳しいことがわからないのですが労災保険か自賠責保険か任意保険が
毎月の支払いをしてくれているようでした

ただ
家族の生活が全く無視されていたのはいまだに腹ただしいですが
事故後4ヶ月頃に加害者永滝のセ○ム保険屋が顔見せたので
年末までにどの様に保証していただけるのかまとめておいてくださいとお願いし、
了解の返事を頂いたがその後病院では顔を見ることはありませんでした

その時点で
加害者の永滝は自分が100パーセント悪いことを自分で宣言していましたし
もちろん事実は永滝の暴走運転で起きた事故だということはあからさまでしたので
過失相殺なんて話が起こるはずがないと思っていました

永滝の刑事裁判が終わって実刑と執行猶予の判決を報告しに来たときは
永滝は妻を連れてきて
その時でも

「二度とあのような無謀な運転はさせませんので許してください」

そう
妻に語らせ涙を流していたのにも関わらず
まったく大人げの無い行動に走る加害者永滝はあきれたものです


■交通事故は時間がたつと自分が悪くないなどと入れ知恵してくる奴が必ずいます

なので
事故ったその現場で
「○日○時○で起こった○と○の事故原因は全て○にあります
必要な治療・修理・保証は○が責任もって対処します名前日にち時間○」
一筆とらないと
現在の社会では悲しいかなまともに責任とれる人はいません

■事故後1年が過ぎ加害者永滝からなんの連絡もないので

Aライフサポートセンターに呼び出したところ
セ○ムの保険やさんも一緒についてきたがなんの進展もありません

一切の提示がないのです
どうなのでしょうか?

この時点まで
わたしは0:100で会話していました
セ○ムも事実を知っているようでしたが

二週間後にもう一度
保証をどうしてくれるのかと聞くために呼んだところ

セコムの保険屋は来ないで
加害者の永滝だけ
それも
「保険屋からすべて自分が悪いと言うなと言われたので自分が悪いと言えません」

は~?
ということで

まったく保証のことがわからないわたしは
「例えば四肢麻痺ということで4億慰謝料が1億で合わせて5億とか言ってくれれば、そこから話は進むもんでしょう?黙り続けてどうすん?」
などと言い放ちました!

■その後加害者永滝側の弁護士Iより事故に関することは全て弁護士が対応しますので
加害者永滝と接触することを禁じます

そんな文章が届くのでした
加害者永滝の無責任な対応のお陰で
わたしは事故後6年目だというのにいまだに障害者施設という地獄から抜け出せないでいます



yozame
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