プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

平和の「パイ」

2014-05-16 10:04:13 | 日記
 「安倍普三首相自身がかねて抱いている自己愛に偏した歴史認識について心配している」とは、熊本県立大学理事長で、防衛大学校長も勤めた五百旗頭(いおきべ)氏です。同氏は、「首相は、過去の戦争について『我々は悪くなかった』という思いが強いようだ」とも述べられています。従軍慰安婦についても、首相の考え方は同じく「悪くなかった」と、かつての日本とその侵略戦争を「正当化」しようとしているように思います。それが、安倍首相の「戦後レジーム」からの脱却であり、日本に架けられたクビキからの脱出なのでしょう。

 (以前も書きましたが)私は、安倍首相の「お気持ち」だけは分かります。(橋下さんもよく言われますが)侵略戦争も慰安婦も日本だけではないのです。それまでの列強も全て同じことをしてきたのであって、戦後もその枠組み、構造は何も変わっていません。今も尚、侵略戦争は続き、慰安婦が必要とされ、維持されているのです。その仕組みや構造が。やはり「悪」なのだと思います。戦争だけに限らず、(福沢の言うように)「平時は交易」にて、どの国も「戦争」を余儀なくされているのです。それがこの「世界」の現実なのだと思います。(毎年100万にも死亡する自動車を製造・販売して利益を得るような)この「世界」からの、この「仕組み」(構造)からの脱却を、この人間全体に架せられた「クビキ」から脱出すると言われるのであれば、私は全面的に安倍首相に「賛成」するのですが・・・

 私は、憲法9条を「信仰」してはいません。憲法9条があろうとなかろうと、日本は軍隊を持ち、沖縄は今も尚「占領」されたままです。「平和」憲法があろうとなかろうと、公害や薬害、アスベスト禍は起こり、交通事故死や自殺は世界有数で、原発過酷事故も起きました。内戦に継ぐ内戦で、日本国内は戦死者と被害を受けた国民で溢れています。多くの国民が傷つき、死んでいったのです。また、(資源開発など)経済的な「侵略」を、日本は「国是」として戦前同様に戦後も続けてきたのです。憲法が国民を守っているのでも、憲法があるから「平和」なのでもありません。また「憲法」があっても依然として、日本は(経済的)「侵略」を行ない続けてきたのです。

 只、「解釈」の変更だけで、集団的自衛権の行使を行なえるようにするのには「反対」です。不測の事態に備えて「法整備」を行ないたいが、現在の「解釈」では十分ではないというのであれば、安倍首相の「持論」であった「憲法改正」を目指すべきです。正しく、米国が日本に架した「クビキ」である「9条」を、正々堂々変えて戴きたいと思います。但し、米国が集団的自衛権の行使を「歓迎」しているように、集団的自衛権の行使を米国を利するばかりで、安倍首相の望まれている、日本が米国の「車輪の下」から逃れることができるどころか、もっともっと深く、米国の世界戦略の「駒」として組み込まれていくのではないかと、危惧しています・・・

P.S. 確かに、安倍首相が提示されている「具体的」な事例を見ても、現在のままでは(正直私も)おかしいと思えるものもあります。不測の事態が起これば、戦争でも原発事故でも、超法規的に対処しなければいけない事例は、現実には出てくると思います。緊急時には、現行制度で対処できないものもあると思います。只、それならば(尚更)、きちんと国民に説明し、国会での議論を尽くして、為すべきだと信じる「改正」を行なっていくべきです。私は、(個人的には)改正して良くなるとは思えませんので、改正には「反対」ですが、その(最終的な)選択は、やはり「国民」に委ねられるべきだと思うのです・・・

P.S.2 資源には「パイ」があるように、「平和」にもパイがあります。何処かが資源を独り占めすれば、他国に平和のパイは行き渡りません。何処かが平和であれば、何処かで「戦争」が行なわれる。たとえば、日本が「平和」である為には、幾つもの国々に内戦が生じているのです。世界中みんなで「平和」を享受できるような「仕組み」(構造)にはなっていないのです。しかしながら、独りよがりの「平和」には代償が伴います。(江原さんの言われる、「正負の法則」でしょうか)自殺や交通戦争、公害など、(世界的な構造の中で与えられた)「ポジション」に応じた、必然的な「内戦」が勃発するのです。結局、(福沢の言われるように)戦前も戦後も「平和」などなかったのです。今後も、ないと思うのです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年5月16日)