プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

「河野村集団自決」

2012-08-17 10:45:16 | 日記
 (地元TVの報道特集を観たのですが)長野県から開拓団として満州に(哀しい事ながら、国策である植民地政策の屯田兵として)入植した人々が、(名ばかりは)「終戦」の混乱の中、「集団自決」を強いられていたそうです。ソ連軍が迫る中、総勢95人の河野村開拓団は、食料を奪われ、衣服を剥がされ、暴行されたそうです。男は兵役に取られ、幼い子どもや母親、老人が殆どだったとのこと。

 団長が自決を決め、まず自ら首を絞められ、その後次々と幼い子ども等の首を絞めていったそうです。当時15歳だった男性は、その夜自らも子どもたちの絞殺の手伝いをしたと、重い口をインタビューで開かれました。その夜亡くなったのは74名、「河野村開拓団集団自滅」です。この死は正に、「開拓」という日本の植民地政策を担わされた人々であり、国策の犠牲者となった「戦没者」でした。同男性は、中国人に助けられますが、今尚、大勢の命を奪ったことに後ろめたさを感じならが生きています。

 私は、「戦没者」というと戦闘による戦死者だけを指すことには同意できません。一般の婦女子や老人もまた、戦争の中で生き、ある意味加担し(させられ)、(国策とは言え、他国の土地を奪い、その土地で生計を立てる形で)生活をしてきたのです。被害者でもあり、同時に加害者でもあります。やはり彼らもまた、戦争の犠牲者であり、「戦没者」なのです。

 私はまた、「戦後」という言葉には同意できません。戦争は終わっていません。形を変え、様々な戦争(内戦)が次々と起こり、その「犠牲者」(戦没者)は増え続けています。「二度と欲しがりません、勝つまでは」は全くの嘘です。次々と欲しがり、負け続けては犠牲者を出し続けているのです。勿論、その経済的な、政治的な、或いは軍事的な渦の中に、知らず知らず私たち巻き込まれ続け、死に行く運命からは逃れられないのではありますが。

 インタビューの最後に、(記者が)同男性に聞きました。「戦争においても、人を殺すことは許されるのか」と。男性は答えることができませんでした。この世は常に戦時下にあります。「平和」など何処にもありはしません。あるとすれば、その(何処かの見せ掛けの)「平和」を維持する為に、(別の)何処かで、必然的に「代理戦争」が行なわれているのです。その「戦時」においては、その「犠牲者」(戦没者)が、常に命を奪われ続けているのです。「許されるか」どうかではなく、常に誰かが殺されることが前提として、(原発の運転の為には原発労働者の死が必要なように)この世界は成り立っている、ということなのです。(その小さからぬ前哨戦が、「いじめ」と言われるものかもしれません)そしてこの、(常時の)戦時においては、常に戦死者が生まれる、それがこの世の構造(システム)なのです・・・

P.S. (終戦という名の「不終戦」記念日を迎え)何かと騒がしい日韓関係ですが、過日政府が、原子力利用は「我が国の安全保障に資する」との文言を「原子力規制委員会設置法案」に盛り込み、さらには原子力の平和利用を謳う「原子力基本法」との「整合性」の名の下に、同基本法にも同文言を組み入れ改正したことについて、「韓国メディアは一斉に、『日本が核武装へ』と報じた」(引用は『朝日新聞』)そうです。誰が読んでも(見ても)、核武装を「肯定」する為のものであることははっきりと分かりますが、核の「平和利用」などという「文言」こそ正に欺瞞的な物言いなのであって、軍事利用と平和利用を「差別」(しゃべつ)すること自体意味がありません。最終的に3党合意案として法改正となったわけで、これは3党が揃って、意図的に(平和利用及び)「軍事利用」を謀ったことは明らかです。勿論、原発も原爆も差別なく「推進」する米国が、(裏で)お墨付きを与えていることも、どうも明らかなようですが・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成24年8月15日)