ブログを書く目的が見つかったので再開。書いていない一月の間にいろいろとあったが、それぞれフェイズ1が終わったかなというところ。新しい動きがあり次第、振り返りつつ紹介する事にする。
今日は昨日の夜のアルコールが少し残りそうだったので不安だったが無事に起床して徒歩で会社へ。本当の近道とは少し違うのだけど、無意識でいると自然と足が向かうルートが出来てきた。母がロンドンに来たときに奥さんと三人で訪れたギャラリー、ウォレス•コレクションを横切って会社へ向かう。プレキャストコンクリートのジョイントの品質チェック、パラペットのファブリケーション図面のチェック、メタルのメッシュスクリーンのディテールチェック。次々と現場に情報を送信。昼はSubwayで堀田くんから預かった博士論文を読み進める。午後も引き続き仕事をしたあと、六時半に出社。帰り際、ディレクターから別タスクのブリーフを受ける。帰宅して夕食をとったあと、部屋の片付け。机の上にもパソコンのデスクトップにも、ここ数週間で取り組んでいた複数の案件のファイルがあふれかえっていたので、深呼吸をして整理する。さて今週末からSHARISHARISHARIの会も通常通り再開だ。ここ数ヶ月でわかったことを踏まえて、新しいチャレンジをしたい。
RIBAの図書館が火曜日は8時まで開いている事に最近気づいて、会社の帰りに利用し始めた。特に目的をもたず、無心で本や雑誌を眺める時間を持とうと。The Builderの1843年の創刊号から眺め直してみたり、JAの年鑑を開いて日本の建築を見たり、Norman Foster全集を順番に見たり(あまり無心になれてないか?)。Bethnal GreenにあるV&A Museum of Childhoodが、1851年の万国博覧会閉幕後に仮設的に建てられたV&Aミュージアム(当時はSouth Kensington Museumと呼ばれていた)の移築であることを知る。その無味乾燥な外観から「ボイラー」と渾名されたミュージアムが、150年以上たった今もなお姿を変えて残っていたとは。そういえばクリスタルパレス自体も移築されているから、火災で焼失しなければ現在まで残っていたかもしれないのか。仮設建築と恒久建築の境目、移築や転用によってその両者の間でモードが変わる瞬間に起こること(想定された耐用年数に大幅な変更が必要になったとき、接合部のディテールなどにどんな操作が加えられるのかとか)、に興味がわいてきた。本国から植民地に送られていったプレファブ建築のその後なども含めると、19世紀英国の鉄骨造建築だけでもいくつか事例はみつかりそうだ。
備忘録として。V&Aミュージアムの建築史。公式ウェブサイトより。1851年の万国博覧会の成功を受けて段階的につくられた、V&Aミュージアムを含む複合文化施設群アルバートポリスの成立史はなかなか面白そうである。
Architectural History of the V&A 1836 - 1854
Architectural History of the V&A 1856 - 1861
Architectural History of the V&A 1862 - 1863
Architectural History of the V&A 1863 - 1873
今日は昨日の夜のアルコールが少し残りそうだったので不安だったが無事に起床して徒歩で会社へ。本当の近道とは少し違うのだけど、無意識でいると自然と足が向かうルートが出来てきた。母がロンドンに来たときに奥さんと三人で訪れたギャラリー、ウォレス•コレクションを横切って会社へ向かう。プレキャストコンクリートのジョイントの品質チェック、パラペットのファブリケーション図面のチェック、メタルのメッシュスクリーンのディテールチェック。次々と現場に情報を送信。昼はSubwayで堀田くんから預かった博士論文を読み進める。午後も引き続き仕事をしたあと、六時半に出社。帰り際、ディレクターから別タスクのブリーフを受ける。帰宅して夕食をとったあと、部屋の片付け。机の上にもパソコンのデスクトップにも、ここ数週間で取り組んでいた複数の案件のファイルがあふれかえっていたので、深呼吸をして整理する。さて今週末からSHARISHARISHARIの会も通常通り再開だ。ここ数ヶ月でわかったことを踏まえて、新しいチャレンジをしたい。
RIBAの図書館が火曜日は8時まで開いている事に最近気づいて、会社の帰りに利用し始めた。特に目的をもたず、無心で本や雑誌を眺める時間を持とうと。The Builderの1843年の創刊号から眺め直してみたり、JAの年鑑を開いて日本の建築を見たり、Norman Foster全集を順番に見たり(あまり無心になれてないか?)。Bethnal GreenにあるV&A Museum of Childhoodが、1851年の万国博覧会閉幕後に仮設的に建てられたV&Aミュージアム(当時はSouth Kensington Museumと呼ばれていた)の移築であることを知る。その無味乾燥な外観から「ボイラー」と渾名されたミュージアムが、150年以上たった今もなお姿を変えて残っていたとは。そういえばクリスタルパレス自体も移築されているから、火災で焼失しなければ現在まで残っていたかもしれないのか。仮設建築と恒久建築の境目、移築や転用によってその両者の間でモードが変わる瞬間に起こること(想定された耐用年数に大幅な変更が必要になったとき、接合部のディテールなどにどんな操作が加えられるのかとか)、に興味がわいてきた。本国から植民地に送られていったプレファブ建築のその後なども含めると、19世紀英国の鉄骨造建築だけでもいくつか事例はみつかりそうだ。
備忘録として。V&Aミュージアムの建築史。公式ウェブサイトより。1851年の万国博覧会の成功を受けて段階的につくられた、V&Aミュージアムを含む複合文化施設群アルバートポリスの成立史はなかなか面白そうである。
Architectural History of the V&A 1836 - 1854
Architectural History of the V&A 1856 - 1861
Architectural History of the V&A 1862 - 1863
Architectural History of the V&A 1863 - 1873