街へ野へ

日ごとの思いを書きとめたいのです

月見うどん

2012-04-02 14:49:22 | 日記
今日のお昼は、うどんです。

何も無いから、玉子をのせて、ネギの代わりに三つ葉。

外で食べる「月見うどん」って、玉子がほとんど生でしょ。
いつも食べる時苦労します。
玉子がこわれないないように、そーっとよけながら麺を食べます。
最後にこれまたそーっとこわさないように玉子を食べます。
この時、木のお匙とかが付いていると食べやすいけど、お箸でそーっとつまんでも壊れる時がある。
「あ~~、今までの努力も水の泡だ~」という瞬間。

最初に玉子がこわれると、お汁がにごってしまうのがイヤ。
お汁の味が玉子味になってしまう。
それに、せっかくの玉子が食べられなくなる。
最後に食べようとしてこわれたら、お汁がにごらなかったから半分成功サと自分をなぐさめる。
玉子を黄身がとろっとしているくらいの半熟状態にしてくれればいいのにと思うけど。

自分が作ってみると、店でそれをするのが難しいことが分かる。
家で作る時、うどんを入れてほぐしたら、玉子を入れる。
そのまま少し煮て、先にうどんだけ丼に移し、火を強めて玉子にもう少し火を通す。
それで、黄身がとろっと半熟の月見うどんが出来上がりました。
やったね!

我らが時代

2012-04-02 13:21:56 | 日記
土曜日の読売新聞には、「昭和時代」というページがあります。
かなり前から、時代を区切って、その時代のことが載っています。
初期の出来事は、「歴史の時間に習ったな~」。
そのうちに、「子供の頃に、そんな事があったような・・」になり、
「ああ、憶えてる、憶えてる」になってきて・・

一昨日の、このページ。
まさに、「我らが時代」!

ページ上半分
右の写真は「フォーク・クルセダーズ」
真ん中にツイッギー
左に「平凡パンチ」創刊号の表紙の写真

ページの下半分

一番右は「ザ・ビートルズ」の写真、“ビートルズ来日”の見出しです。
一番左に「オールナイトニッポン」の「カメ&アンコー」の写真。
下の段には、左、71年の「フォークジャンボリー」の事が、
その右には、石津謙介さんの事が載っています。

なつかしい方の為に、「カメ&アンコー」の写真をアップで


記事を読んでいたら、なつかしい事を色々思い出す。

最初のミニスカート世代
買ってきたミニスカートを家で試着していると、母親がすぐ寄ってきて裾をひっくり返し、「あげ、おりるね!」と言った。
つまり、裾あげをほどいて、丈を長く直せるね!という意味です。
もちろん、そんなことしやしないです!

「フォークル」も大好きだった。
家でオルガン弾きながら、「悲しくてやりきれない」を一人で大きな声で歌ってたりした。
色んな場所で、何人か集まると、肩を並べてフォークソングを歌った。
たいていは、誰か一人ギターを持って来ていて伴奏をつけた。

記事の中に出てくる「戦争を知らない子供たち」(ジローズ)。
「戦争を知らない、子供たちさ~♪」と歌った我らも、
「戦争を知らない中高年」になった。
親の世代から、わずかに、断片的に、戦争の事を漏れ聞いている私達「戦争を知らない子供たち」も、いずれ死に絶えていく。
この歌が残って、この歌に込めた平和への願いが伝わっていくといいな~

咲いたヨ

2012-04-02 01:55:03 | 日記
咲いた。
咲きました。
家の前の水仙。
一昨日、暗くなって帰ってきたら2、3輪咲いていました。
今日(4月1日)は、こんなです。

「どんなもんだい!」って、誰かに自慢したい気分です。

昨日の強い風で・・

寒さに耐えてここまできたのに・・
明日見たら立ち上がっているといいナ

団地の桜も開花宣言!



花はまだ、ほんの少しだけど。
はじけそうな蕾が沢山ついてるのを見ると、去年の液状化の痛手からは立ち直っているようだ。
良かった!

桜の木の下では、鳥が何かをついばんでいます。

嘴が黄色いからムクドリかな?

駅前まで行くと、早咲きの桜はもう葉桜になりかけていて、

遠くから見ると、若いグリーンがうっすら混じった色合いが、また別な味わい。

駅前の大型店の周りには、色んな種類の桜が植えられている
これは、花が小さくて垂れ下がるように咲いている


これは、花と葉が同時に見られるから、また別な種類なのだろう

この花は、こんな小さな木なのに、しっかり花をつけている。


そうよ、桜って、こうやって見るものだったんだよネ
あたたかい日差しを浴びながら
ふわ~っとうれしくて、頬がゆるんできて・・
駅前で写真を写していたら、傍で桜を見上げていた人が「きれいですね~」と声をかけてきた。
「ほんとにね~」って答える。

去年、こわばった顔で、ひっしに桜を見ていた。
意地になって桜の写真をいっぱい写した。
「花見自粛」という言葉がもれ聞こえてきて、腹を立ててもいた。
液状化に耐えて花をつけた、元気のない桜が我が身のようでもあった。
あんな風にして桜を見上げる日が、もう来ませんように!