シニア花井の韓国余話

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民労党よ、北の人権問題になぜ沈黙するのか

2011年07月31日 18時20分02秒 | Weblog
(韓国大手新聞、朝鮮日報 11.7.27記事抜粋)
「開かれた北韓放送」河泰慶代表、民労党・李正姫代表に宛てた手紙
 北朝鮮の人権問題に対する国際的な関心を高める活動を繰り広げている「開かれた北韓放送」の河泰慶代表(44)が、北朝鮮人権法の制定に反対する民主労働党の李正姫(イ・ジョンヒ)代表に送った公開書簡を、本紙にも送ってきた。
 河泰慶代表はソウル大学で学生運動を行った経験があり、李正姫・民労党代表の1年先輩に当たる。大学卒業後は左派統一運動に加わったが、その際に脱北者を通じ北朝鮮の実態を知ったことで、北朝鮮人権運動に飛び込んだ。
 久しぶりに手紙を書くので、本当に恥ずかしいです。1992年ごろ、私が木浦刑務所の監獄で李代表の手紙を受け取り、返事を書いて以来ですね。今ごろこんな手紙を書くことになったきっかけは、民労党を代表する李正姫議員が、北朝鮮人権法の国会通過に断固として反対しているからです。北朝鮮人権法の国会通過は、北朝鮮住民の人権改善のために、私が全力で推進してきた議題です。
 先月、私は脱北者のキム・ヘスクさんと共に英国を訪問しました。キム・ヘスクさんは、北朝鮮の政治犯収容所で28年間服役した方です。英国議会で開催された北朝鮮人権聴聞会で議員たちと会い、対話しました。その中には、労働党所属の議員もいました。
 その議員が私に、韓国にも労働党と似た政党があるのかと尋ねたので、しばらく考えてから「民主労働党」と答えました。しばらく考えた理由は、韓国の民労党と英国の労働党は、名前は似ていますが、その性格には大きな差があるからでした。労働党という名前は共通ではありますが、両党は北朝鮮の人権問題をめぐり、完全に正反対の立場を取っています。英国の労働党は、北朝鮮の人権問題を含め、どの国であろうと人権問題については妥協しません。しかし韓国の民労党は、全く違います。米国や日本で可決した北朝鮮人権法に関してでさえも、断固反対しているではありませんか。
 こうした韓国の民労党の実態について、英国の労働党議員たちは、まだ前近代性を捨てきれていない政党だと指摘しましたよ。英国の議員たちは、韓国の諸政党と北朝鮮人権法について対話をしてみたいと言いました。そこで、韓国の主要政党の指導者たちに、北朝鮮人権法に関する手紙を書いたようです。李正姫代表にも、すぐに届くでしょう。
 私と李代表は、80年代には同志でしたが、今では互いに異なる道を歩んでいます。その最も重要な理由は、北朝鮮問題をめぐる認識に差があるからです。人権と民主主義を重んじる私の価値観は、当時も今も、全く変わりません。違いがあるとすれば、80年代には知り得なかった北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)政権の暴政と人権じゅうりんを、時がたつにつれ知るようになったことです。
北朝鮮の実態を把握するため、90年代後半に私は中朝国境地帯で2年以上も過ごしました。数百人の脱北者と会い、その人たちにインタビューをしました。そして今では、北朝鮮内部に通信員を置き、北朝鮮の実情を全世界に伝えています。この過程で私は、金正日政権下で欲しいままに行われている人権じゅうりんを、決して見過ごしてはいけないと判断しました。
 私は、かつて同志だった民労党の多くの方々が、私のように北朝鮮をめぐる真実を直視することを望んでいました。しかし民労党の「親北朝鮮的」な実態は、少しも変わりませんね。そんな中、08年からでしたか、李正姫という懐かしい名前がメディアにしばしば登場するようになり、ついには民労党の代表になりました。私は、気丈で賢い李正姫議員が代表になれば、民労党が「北朝鮮への従属性」を克服するのではと期待したことがあります。ところが現実は、全くそうではありませんでした。
 李代表と民労党は、哨戒艦「天安」沈没事件や延坪島砲撃事件をめぐり、北朝鮮より韓国の方を攻撃する姿勢を見せましたね。また、北朝鮮の3代世襲問題をめぐり李代表は、なおも民労党の「沈黙」の立場を擁護しました。北朝鮮人権法については、言うまでもありませんね。
 北朝鮮の人権問題や国家指導者の世襲問題をめぐる立場の表明は、その人が民主主義者なのか、そうでないのかを判別する重要な物差しです。この問題をめぐる民労党の反対や沈黙は、民労党が北朝鮮への従属性を克服できずにいることを如実に示しています。
 私は、民労党と李代表の今後を心配しています。民労党のような従北派は、日帝強占期の親日派よりむごい運命に遭う可能性があるからです。金正日政権の暴政は、日帝と比較してもさらにひどいものです。北朝鮮の人権じゅうりんに匹敵するのは、カンボジアのポル・ポト政権や、ナチ政権くらいしかありません。
 もちろん、李代表が、私の話に全く心を動かさないこともあり得ます。もしそうなら、李代表はまだ北朝鮮への従属性を克服できないということです。とはいえ、時がたてば、私の言葉が正しかったということが分かるでしょう。80年代に同じ目標に向かって同じ道を歩んだ李代表と私は、今では互いに異なる目標に向かって異なる道を歩んでいます。でも、この手紙を政治的攻撃だと見なさないで下さい。この手紙は、後輩にして同志だった李正姫を真に重んじる気持ちを込めたものです。80年代のように、いつの日かまた、新林洞のノクトゥゴリ(ソウル大学近くの飲食街)で焼酎のグラスを傾け、胸襟を開いて語り合いたいと思っています。                河泰慶(ハ・テギョン)「開かれた北韓放送」代表
■河泰慶代表
 1986年にソウル大学物理学科入学。学生運動に身を投じ、全国大学生代表者協議会(全大協)の幹部を務め、89年と91年の2度に渡り投獄された。93年に釈放された後、文益煥(ムン・イクファン)牧師が主導していた民間団体「統一マジ(迎えるの意)」に参加して活動した。99年、中国・吉林大学に留学。04年に国際経済学の博士号を取得し、SKテレコム経営経済研究所首席研究員となった。05年に米国連邦議会や欧州連合(EU)の支援を受け、北朝鮮向け民間ラジオ放送「開かれた北韓放送」を設立し、代表を務めている。




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