シニア花井の韓国余話

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韓国の電子産業を率いた2人の巨人、世界が認定

2012年05月04日 23時10分09秒 | Weblog
  韓国大手紙・朝鮮日報12年5月2日記事抜粋
韓国の電子産業の発展を率いたLGグループ創業者の故・具仁会(ク・インフェ)氏、サムスングループ創業者のイ・ビョンチョル氏が5月1日、全米家電協会(CEA)が選んだ家電界の「名誉の殿堂」入りを果たした。
 韓国戦争(朝鮮戦争)の廃虚から電子産業を開拓し、世界的な企業へと育て上げた2人の巨人の業績を世界が認めた形だ。CEAは全世界の電子メーカー約2000社で構成する団体で、毎年1月には米ラスベガスで世界最大の家電展示会「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」を開催するなど、業界に強い影響力を持つ。
 具仁会、イ・ビョンチョルの両氏には共通点が多い。具氏は1907年に慶尚南道晋州市で、イ氏は1910年に慶尚南道宜寧郡で生まれ、いずれも晋州智水初等学校(小学校)を卒業した。後に、具氏の三男、具滋学(ク・ジャハク)アワホーム会長とイ氏の次女、李淑姫(イ・スクヒ)氏が結婚し、姻戚関係を結んだ。
 2人は追いつ追われつ競争した生涯のライバルだった。2人の熱い競争意識は、サムスンとLGが現在、テレビ、ディスプレー、携帯電話などさまざまな分野で世界のトップ企業となる原動力として作用した。
 具仁会氏は、1958年に金星社(現LG電子)を設立し、電子産業に参入した。翌年には米国製か日本製の密輸品しかなかった韓国で初めての国産ラジオを生産した。冷蔵庫、白黒テレビ、洗濯機、エアコンもLGが韓国で初めて開発、生産した家電製品だ。1960年代には電力・通信用ケーブル、電話機・交換機などを普及させ、通信の大衆化に貢献した。「他人がやらないことをやれ。追うのではなく、先を行け」という具氏の経営哲学は、LGが世界的な企業へと躍進する礎となった。
 イ・ビョンチョル氏は、貿易、製糖、毛織物などで起業した後、1969年に三星電子工業(現サムスン電子)を設立し、電子事業に参入した。当時、具仁会氏は、電子業界で過当競争が起きることを懸念し、サムスンの参入を好ましくないと考えていたとされる。サムスンはLGがリードしていたテレビ、冷蔵庫、洗濯機市場で猛烈に追い上げた。そして、創業9年目の78年に白黒テレビ200万台を生産し、日本の松下電器(現パナソニック)を抜き、年間生産台数で世界一になった。77年には韓国半導体を買収し、サムスンが総合電子メーカーとして成長する基礎を築いた。「人材第一」というイ氏の経営理念は、サムスンに綿々と受け継がれている。
 CEAは2000年から毎年、世界の電子産業の発展に寄与した人物約10人の写真を名誉の殿堂に掲げてきた。1年目には盛田昭夫(ソニー)、松下幸之助(パナソニック)、ユージン・マクドナルド(ゼニス)、デビッド・サーノフ(RCA)の各氏ら有名企業の創業者が選ばれたのをはじめ、これまでに170人が殿堂入りを果たした。韓国人では、クアルコム、ゼネラル・インスツルメンツに務めた白禹鉉(ペク・ウヒョン)元LG電子社長が04年に選ばれている。
 具仁会、イ・ビョンチョルの両氏と同時に、今年殿堂入りを果たしたのは、衛星ラジオ放送「シリウス」を創業したロバート・ブリスクマン氏、コンピューター用のマウスを開発したダグラス・エンゲルバート氏ら。
CEAのゲーリー・シャピロ会長は「電子産業発展の土台を築いたリーダーのビジョンと熱情が全世界の人々の生活を変えた」と評した。




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1 コメント

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ねぇ (nene777ne@yahoo.co.jp)
2012-05-05 01:26:37
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