昨日の、万葉集講座で、
天平元年の、班田使の仕事が、
ものすごい激務だったというお話。
宮廷歌人の笠金村(かさのかなむら)が、
その使の立場に立って詠った歌など、教わった。
今は、巻九の相聞、いわゆる恋の歌を、
習っているところ。
ある男が、衣留(ふる)のあたりの山から、
目の前の都を見て、
恋しがっている歌がある。
たいして遠くもないのに、お前に会いにいけない、みたいな。
こういう歌など、その時の班田の仕事が、
相当忙しかったという、歴史背景を知って、読むと、
また、別の感じ方ができて、とっても面白いのであった。
たいして遠くない、というが、
この歌の場合、都まで、だいたい、8キロメートルくらいらしい。
今、8キロ歩け、といわれたら、ちょっとしんどいと思うが、
歩くしか移動手段のなかった当時とすれば、
8キロ歩くのは、たいしたことではなかったようで、
仕事が終わって、
会いたい人に、歩いて会いに行って、また帰ってくる、など、
わけのないこと。
普通なら、会いに行ったろう。
それが、そんな暇などない、天平元年なのであった。
僕は、5キロちょっとのジョギング、40分くらい走っている。
用事がすんだら、また同じ距離走れ、となると、
それはそれで、激務である。
また、違う感じ方ができるのであった。
洋司
天平元年の、班田使の仕事が、
ものすごい激務だったというお話。
宮廷歌人の笠金村(かさのかなむら)が、
その使の立場に立って詠った歌など、教わった。
今は、巻九の相聞、いわゆる恋の歌を、
習っているところ。
ある男が、衣留(ふる)のあたりの山から、
目の前の都を見て、
恋しがっている歌がある。
たいして遠くもないのに、お前に会いにいけない、みたいな。
こういう歌など、その時の班田の仕事が、
相当忙しかったという、歴史背景を知って、読むと、
また、別の感じ方ができて、とっても面白いのであった。
たいして遠くない、というが、
この歌の場合、都まで、だいたい、8キロメートルくらいらしい。
今、8キロ歩け、といわれたら、ちょっとしんどいと思うが、
歩くしか移動手段のなかった当時とすれば、
8キロ歩くのは、たいしたことではなかったようで、
仕事が終わって、
会いたい人に、歩いて会いに行って、また帰ってくる、など、
わけのないこと。
普通なら、会いに行ったろう。
それが、そんな暇などない、天平元年なのであった。
僕は、5キロちょっとのジョギング、40分くらい走っている。
用事がすんだら、また同じ距離走れ、となると、
それはそれで、激務である。
また、違う感じ方ができるのであった。
洋司
久保田さんと私は今いる場所も立場も遠いはずだけれど、
久保田さんがこうして毎日、
「今日の出来心」の更新をしてくださることで
なんだか毎日お会いしてるような気がします。
遠いのに近いは嬉しい!
10年以上も続けていらっしゃるなんて
すごいことです。
すばらしいですね。
久保田さんの世界をずっと見ていたいです。
泣路朗さんのコメントに
こちらこそ、またまた、
心あたためております。
ありがとうございます。