小墾田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を
間(ま)なくそ 人は汲(く)むといふ
時(とき)じくそ 人は飲むといふ
汲む人の 間なきがごとく
飲む人の 時じきがごと
我妹子(わぎもこ)に 我(あ)が恋ふらくは
止(や)む時もなし
【万葉集 巻十三 3260】
訳)
小墾田の 年魚道の水を
間断なく 人は汲むという
絶え間なく 人は飲むという
汲む人の 間断がないように
飲む人の 絶え間ないように
あの娘への わたしの恋は
止む時もない
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ある土地の、皆が共有しているイメージや、良いところを歌いこんで、
恋のニュアンスを入れて、歌い楽しむ、など、
今でも、ご当地ソングの常套手段ですが、
皆が、間断なく、水を汲み、絶え間なく飲む場面、
とっても面白いです。
行って、そこの水を飲みたくなります。
万葉集には、この歌に似ている歌が、これをふくめて4首あります。
例えば、天武天皇が詠んだことになっている、この歌↓
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み吉野の 耳我の嶺に
時なくそ 雪は降りける
間なくそ 雨は降りける
その雪の時なきがごと
その雨の間なきがごとく
隈(くま)も落ちず 思ひつつぞ来し
その山道を
【万葉集 巻一 25】
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天武の吉野入りの歌ですから、恋の歌ではないんですが、
恋の歌の形を用いている、あるいは、この歌は恋の歌に転化しやすい、と。
3620と、25、どちらが、先に作られたか、諸説あるそうです。
さっきの水を飲むお話にくらべて、雪、雨、となると、だいぶ、
景色が変わります。
こんな歌も↓
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み吉野の 御金の岳に
間なくぞ 雨は降るといふ
時じくそ 雪は降るといふ
その雨の 間なきがごとく
その雪の 時じきがごと
間も落ちず 我はそ恋ふる
妹がただかに
【万葉集 巻十三 3923】
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ここにある「ただか」というのは「直香」、。
その人独特の香、転じてその人をさす、と。
万葉後期の新しい表現だそう。
当時は、お風呂などないし、
その人独特の香、匂いは、今より、ぐっと感じられたものかもしれませんね。
嗅覚は、深いところで記憶と結びついているように思います。
今でも、人によって感じられる匂いに、記憶が連動していることが、
あるでしょう。
昨日の万葉集の講座、
似ている歌の形のこともとっても興味深かったけれど、
この「ただか」に、だいぶ引き寄せられたことでした。
「ただか」は、万葉集中、6例あるそうで。
他のも、見てみようと思います。
長くなりました。
今日はこのへんで。
素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司