Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

キッズシェルターの子ども達

2020年08月16日 | 日記
 暑さの厳しい日、先日、益子教会では久しぶりに、子供達の声で賑わうひと時がありました。この子供達のグループは、キッズシェルターといって、那須塩原市にあるNPOで、いわゆる育児放棄されていてる子供たち(小学生から中学生まで)を放課後の時間に預り、食事やお風呂を提供し、宿題を見てあげたり、家庭的な暖かさで子どもたちの居場所を提供しているところです。私の夫は西那須野にいた時からこのグループにボランティアとして関わり、夕食を一緒に食べたり、遊んだりしてきましたが、今回は夏休みの遠足として、バスを貸し切って子供達10名程と、ボランティアスタッフを含めた大人たちが益子のお店で陶器の絵付けをしたり、教会でお昼を食べたり、卓球をしたりしました。私は残念ながら仕事があり参加できませんでしたが、夫は子供達と会うのも数か月ぶりでとても喜んで、楽しいひと時が過ごせたようです。

 私たちは益子教会での活動に一つとして、将来的にこの地域で「これこれの境遇の子ども(人)」と特定せずに、近所の子も含めて子供達が集まって、卓球をしたり、DVDを見たり、自由に遊べる場所として、教会を平日提供できたらと願っています。今は、コロナ禍で積極的に人を集めて活動をすることは困難ですが、いつかワクチンや治療薬が普及し行動制限がなくなる時期が来ると願い、状況を見つつ、このような単発や小規模の集まりから始めていきたいと願っています。

 先日、私の職場にアジアの方が来て、日本語が話せないので私が通訳をする機会がありました。私は簡単に通訳しただけですが、その方は非常に喜んで「親切にしてくれてありがとう」と何度も言っていました。日本に在住する人は、日本語が使えなくて不便な場面が多いのだろうと思い、私もアメリカ在住の時、アメリカ人の方々に色々助けてもらったり、親切にして頂いたことを思い出しました。この地域で、自分が出来ることで、少しでも日本在住の外国人の方の助けになれる機会が与えられるといいなあと思いました。

「主は寄留の他国人を守り、みなしごと、やもめとをささえられる 」*下記の聖書の箇所にあるように、神様は古代のイスラエルの民に、寄留の外国人とみなしごを不当に取り扱ってはならないという戒めを与えました。つまり、これらの社会的弱者は、昔から差別され、不当に取り扱われていたからこそ、あえて神様は言われたのだと推測します。神様は社会的な支援を必要としている人や弱い立場の人を守り、支えられてきました。西洋諸国では教会が中心に孤児院、病院、学校などをミッションとして設立してきたという歴史がありますが、このような聖書の教えが今日の社会福祉の原点となっています。神様いつも弱い立場の人々を顧みて下さる方です。私たちは自分たちのことで精一杯で、在留の外国の人々ことや、社会の中で虐げられている人々、困難な家庭環境にある子供達のことになかなか目が届かず、政府がやるべきだと任せきりになりがちです。もちろん政府が社会福祉制度を十分に拡充できれば理想ですが、現実は限界があります。従って、多くの福祉的、慈善的活動を行うNPOが設立されていて、政府の支援策からこぼれている人々を助けているというのが現状だと思います。ましてや、教会がそのような働きに積極的に取り組んでいく必要はあると思わされます。

 私たちキリストを信じる者は、キリストが私たちを大切に思い、ご自身の命まで犠牲にして愛して下さったことを信じていますが、私個人としてはその愛を受けるばかりで、周りに分かち合えていないのが正直なところです。神様から受けたことを「やらなければ」という強制感でははく、神様から受けた愛に感謝し、その応答として、キリストの愛を行動を持って周りに示していきたいと願い、神様にそうなれるように祈り求めたいと思います。

「寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない。寡婦の着物を質に取ってはならない。」申命記24章17節

*詩編146編9節