Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

悲しみに寄り添い、慰めを祈る

2020年02月06日 | 日記
 2019年12月4日、アフガニスタンで中村哲医師が銃撃を受けて亡くなられた、というショッキングなニュースが流れたことはまだ記憶に新しいと思います。アフガニスタンでも、日本でも、多くの人々が「何故?」と悲しみの声を挙げ、彼の死を悼まれたでしょう。中村医師はクリスチャンで、1983年に日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)を通して最初はパキスタンのペシャワール・ミッション病院に派遣され、その後パキスタン側のアフガン難民の診療を開始し、以後、アフガニスタンでも医療だけにとどまらず、水源確保事業等、現地の人々の生活改善の為に長年活躍されてきたそうです。ペシャワール会は彼とその仲間たちの活動を日本で支えてきた団体で、私たちの教会に送られてきていたその会報を通して、彼の事業を改めて知り、本当に心が痛みました。

 もう一つの忘れらない事件は、2014年11月上旬、イスラム過激派組織イスラム国にシリアで拘束され、2015年1月30日に殺害された後藤健二氏のことです。私は個人的に彼を知りませんが、その動画がインターネットで流されたというニュースは、同胞としてあまりに衝撃的で、怒りと悲しみで涙が止まりませんでした。後藤氏はアフリカや中東などの紛争地帯の取材に携わるフリージャーナリストで、戦争と貧困から孤児を救いたいという思いで報道を続け、彼もいつしかキリストを信じるようになり、取材の際には小さな聖書を持ち歩いていたそうでうす。 先日、ある方が後藤氏のことでこんな証しをされました。「自分は晩年になってクリスチャンとなり洗礼を受けたが、暫く迷いがあった。ある時、ジャーナリストの後藤さんのニュースを見て、神様、なんとか彼を助けて下さいと思ったが、彼を助けるために自分が身代わりになってもいいとまでは、どうしても思えなかった。私には出来ない。その時、ふっと思った。ああ、イエス・キリストは私の身代わりに自分の命を捧げて十字架に架かってくれた。そこまでして自分を救おうとしてくれたのだと。後藤氏のことより、はっきりキリストを信じる確信を得た。」

 ある人は、神がいるのなら、どうしてこのような犠牲があるのか、助けが与えられないのか?という疑問を投げかけます。聖書を読んでいても、キリスト教を信じるがゆえに拘束され、信徒たちはその人が助けられるよう熱心に神様に祈りましたが、ある人は殉教し、ある人は神様の奇跡的方法で牢獄から助けられます。何故ある人は助けられ、ある人は殺されてしまうのか、このことは神様のみが知ることです。もちろん、その遺族の悲しみは計り知れません。そして、他人がその遺族の方に対して「天国でいつか会えるから。この死には意味があるはず」と言ったとしても、慰めにはならないと思います。確かにクリスチャンには希望があります。この世の生だけではなく、この体が滅びても、霊魂は神様のもと、天国へと導かれ、そして天国で永遠に生きる新しい、今迄とは異なるからだが与えられると聖書に約束が記されているからです。しかし、遺族や故人を愛する人々が、大切な人の死をそのように受けとめられるようなれるとしても、それには時間がかかるでしょう。

 冒頭の彼らの様に生きている間多くの働きをなし、人々を助けてきた方々が犠牲になることは受け入れ難いことかもしれません。一方で、何か業績を残したわけでもなく、普通の人の死であっても、幼子のように生きた時間が短くとも、同様なのです。しかし、神様はその方々の死を通しても、残された人々に様々な影響を与え続け、意味あるものとして下さる方です。また、神様の慰めを受けて悲しみを乗り越えられた人は、その経験を通して、たとえ悲しみ苦しみの状況が同じでなくとも、今悲しみにある人に寄り添って励ますことが出来るという、プラスの連鎖が生まれます。多くの試練を経験し、キリストの福音を世界に宣べ伝えた使徒パウロも「わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるように(神が)して下さる」:()は筆者追記と記しているからです。私たちは何か言葉を言うより、悲しみに寄り添い、その人の為に神様からの慰めと励ましが誰かを通して伝わるように、そしてキリストにある天国での希望を信じて受け取れるように祈りたいと思います。

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである」第2コリント人への手紙1章3-4節 (引用:口語訳聖書)