Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

いちじくの木を見て、目を覚ます

2021年10月10日 | 日記
 私は時差ボケの時以外はいつでもすぐ眠れます。しかし、起きていなければならない時に、それが一方的に講義を聞いたり、本を読んだリすると眠くなってしまいます。若い時、日曜の礼拝に出ていても、大変申し訳ないのですが、お話しが始まると眠くなり、横に座っている母に脇腹をつつかれたものです。勉強しなければならない時も、いつも机の上にうつぶせに短時間ですが意識を失ったように寝てしまい、こんな勉強不足で今迄よく、受験勉強や様々なコースを修了できたなと思います。振り返ると、自分の能力以上のことをせざるを得ない状態で、全て神様の助けがなければやり遂げるころはできなかったと思います。

 今回この年になって再び働きながら学ぼうという志が与えられています。最終的に、この道を行くことを神様が背中を押して下さっていると、冒頭のみことばを通して示されて、意気込みはあります。しかし、いざ仕事から帰宅し、色々終えていざ本を読もうと思うと、たった1分で眠くなり寝ています。夜が眠いなら、朝方早く起きてと試みましたが、これもダメでした。やはり、休みの日の昼間しか集中できないのですが時間が足りません。カフェインは全く聞きません。どうしたら目を覚ましていられるか、またただ目を覚ますだけでなく、読んだ内容が多少なりとも頭に残るための集中力が必要です。この数週間で、すでに挫折状態です。

 先日イチジクの実を頂きました。イチジクの実は柔らかく、ほんのり甘くとてもおいしいです。イチジクはイスラエルの地域でたくさん取れる果物なので、聖書の中でたとえ話としてよく出てきます。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる・・・しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」*1 ここで、人の子とはイエス様ご自身を意味し、またこの世の終末はいつ来るのかという事に関し、そのタイミングは誰もわからないし、突然来るものだが、その前兆はこういうことが起こるから、その前兆が起きてきたらそろそろ来るなと心の準備をしておきなさい、言い換えれば「目を覚まして祈っていなさい」と言われています。日常生活の忙しさで、すぐにこの緊張感を忘れるので、いちじくを見て思い出すきっかけとなるというのは、生活の中のものを用いた譬え話の効用であると感謝しています。

 寝ている暇はないのです。しかし寝なければ健康を害してやるべきことさえも出来なくなってしまいます。この健康を害さない程度になすべきことをこなし、また、イエス様が言われたように「霊的に」目をいつも覚ましていなければならないとは、軟弱で怠け者の私にはとてもハードルは高いように思えます。また、いくら私が今後の計画を立てたとしても、その前に終末が来るかもしれない。それはそれで良いとして、下記のみことばを心に留め

 「あなたの業を主にゆだねれば 計らうことは固く立つ。*2
 「人間の心は自分の道を計画する。 主が一歩一歩を備えてくださる。」*3

心に与えられたことを神様に委ねて、一歩一歩進んで行けば、神様が道を備えて下さると信じて、自分を奮い立たせることにしました。大地震もいつくるかわかりませんし、コロナ禍のような予想外のことがこれからおこるかもしれませんから、思ったとおりにことが進まないのが、ある意味普通なのかもしれません。たとえ、身体的には寝てしまって志したことがうまくいかなくとも、みことばをいつも心に留め、常に祈り、目を覚ましていられるように神様に助けて頂きたいと願います。

「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」フィリピの信徒への手紙2章13節  

*1 ルカによる福音書21章29-36節
*2  箴言 16篇3節
*3 箴言 16篇:9節  (聖書引用 新共同訳聖書)