いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

佳県・白雲観と全真教の物語8、各種縁日と参拝客の礼儀

2011年10月12日 10時52分56秒 | 佳県・白雲観と全真教の物語
佳県・白雲山は、前述のとおり、全真教龍門派の道観だが、中国土着の伝統的な道教を継承すると同時に、
陝北の黄土文化、砂漠・草原文化を吸収し、独自の特徴があるとされる。

白雲山の音楽は、清代の道士・苗太稔が、四方を遊行し、優雅な江南スタイルを取り入れた。
さらにその後、後続の道士らにより晋劇(山西の伝統地方劇)、索納(いわゆるチャルメラ)、
陝北民謡などのメロディを取り入れ、独自のものに仕上げられたのだという。

その白雲山独自の音楽体系を聴けるのが、年に三回開かれる廟会(縁日)だという。
今回は、残念ながらその日取りに当たらなかったが、資料によると次のとおりである。

すべて旧暦(太陰暦)を基準としており、

・3月3日: 規模は小さく、真武大帝の生誕日を中心とした3月2日ー4日までの3日間開催。
  地元の人々が中心になって参加し、各自治会の会長が集まり、4月8日の廟会について打ち合わせを行う。

・4月8日: ご存知、お釈迦様の生誕日。三教一体の全真教ならでは。
  同時に真武大帝の聖像ご開光の日でもある。
  4月1日ー8日までの8日間に渡って開かれる。全国各地から香客が集まってくる。 

・9月9日: 九九重日は玉皇大帝の生誕の日。真武大帝の飛昇の日にも当たる。
  この日は観劇し、音楽をきき、一年の疲れを癒す。前後3日に渡り、行われる。
  旧9月といえば、新暦の10月。ちょうど農作業も終わり、収穫を終えて、ほっと一息つくころである。


このほかにも小さな廟会がある。

・朝山会: 旧正月1-15日の元宵節まで。地元の人のため。

・七月七廟会: 白雲山近くの村が主催する。各神霊(聖像)を真武大帝の院まで担ぎ出し、
  戯楼(野外舞台)で三日三晩、劇を上映する。

・羊道会: 旧7月12日。魁星信仰の延長で開催される。
  参加者の多くは文人、学士、社会の名士。
  魁星閣に集い、陝北羊道料理を味わう。 「羊道」料理については、「楡林3・載妃と羊道」の部分を参考に。
  白雲山の羊道のコースを堪能し、詩、賦を作り、互いに読み上げ、鑑賞する。
  旧時は「賽詩会」とも言った。



白雲山を訪れる敬虔なる参拝客には、それなりの参拝の礼儀ができている。
特に縁日に訪れる際には、神妙にその手順に従う。

1、叩等身頭: つまりはいわゆる「五体投地」である。
  モンゴル族の信士が真武大帝に示す最も崇高な礼とされる。

  跪いて頭をつき、地面に這い、もう一度頭を下げて地面に印をつけて起き上がり、
  その印の位置からまた始めること。

  チベット仏教の信徒がしているのが、一般的に知られているが、モンゴルもチベット仏教を信仰、
  全真教はさらに「三教一体」だから、矛盾はないことになる。

  モンゴル信士は朝山(=参詣)前、三日間禁欲し、
  家を出発する前、家の入り口から何里も叩等身頭してから旅立つ。
 
  白雲山の麓に到着すると、まずは黄河のほとりにやってきて、水温の如何に関わらず、
  手と顔を洗い、ここで身だしなみを整える。

  長い道のりを徒歩、もしくは騎馬でやってきた末である。
  全身が砂だらけ、汗と垢で汚れているだろうことは、想像に難くない。
  白雲山は何しろ山上にあるのだから、水の供給量には限界があるに決まっている。
 
  日本のお寺には、入り口に手を清めるための水があるが、
  中国の寺では、ほとんど見かけたことがない。
  いわんや砂漠地帯のすぐ南に位置する陝北地区の白雲山で、である。
  敬虔な気持ちで遥々数千里をかけてやってきた信士が、身をさっぱりさせてから参拝したい、という気持ちは、
  充分に理解することができる。

2、[くさかんむり+軍][月星](=なまぐさ)を忌む:
  これは仏教から取り入れた考えに他ならない。

  五[くさかんむり+軍]: 酒、ねぎ、にら、らっきょう、香菜 
    刺激が強く、壮陽の効果があり、生理的な欲望を刺激する。
    「清心寡欲」の道教の教理に反する。

  [月星]: 豚肉などの肉類。道教でも不殺生を掲げる。

前述の1「3日間禁欲」には、出発の3日前からこれを食べないことをいうのだろう。


3、酢壇を打つ: 
  現地の人は、朝山(=参拝)前に敬意を表するため、赤く燃えた木炭にお酢を注ぎ、
  その蒸発する匂いに身を浸して自らの穢れを清める。

  酢が蒸発すると---特に中国で最も一般的な黒酢を蒸発させると、
  くしゃみは出るわ、目はちかちかするわ、鼻水は止まらないわ、と強烈な刺激である。
  このために部屋の空気を洗浄したいときは、酢を沸かすのがいい、といわれている。
  2004年のSARSの際には、盛んに炊かれたものだ。

  聖なる場所に行く前に身を清めたいのは、人間の心情だろう。
  しかし一生に数えるほどしかお風呂に入れないことはいうまでもなく、
  服を洗うことさえ数年に一度、袖口も襟口も常に垢で底光り、
  というほど水資源が不足する土地に暮らす人々にとって、
  水で身を清めることは、生活スタイルに合わない、できない相談なのである。
  土地それぞれの事情があるものだ。

  近くの信士は、参拝前に[さんずい+甘]水(おわんを洗った水)を飲むという。 
  人心を畜生まで下げることにより、至らないことがあっても、神霊が大目に見てくれるように願いためという。

  
今でもそうだが、黄土高原の農民は、食器洗いの洗剤は使わない。
このブログにも登場する炭坑の谷で、炭坑長のお宅にホームステイした時もそうだった。

炭坑長は家をいくつも持っていたし、生活は豊かだったが、
家庭での家事は昔どおりだった。

お湯を沸かし、その中におわんを入れて、ふきんで油を洗い落としながら、お茶碗を洗う。

洗った水は、人間が食べた残りものであり、洗剤などの有毒のものはないから、
おそらくはその水を家畜に与えているのだろう。
それくらい水を一滴たりとも無駄にしない。
そしてその水を飲むのは、彼らの日常では、「畜生」の分際であり、人間ではない、ということだ。

それにしても。
庶民が強大な力に「目をつけられませんように」、「お目こぼししてもらえますように」
という発想が如何に多いことか。

例えば幼名に奇怪な名前が多いのも同じ発想である。
この場合は、乳幼児死亡率が高かった時代、どうか無事に育ちますように、という願いをこめて。

「狗狗(ゴウゴウ)」: 犬は中国では罵り言葉のトップランク。
     「犬にも及ばない」は、最低最悪の人間。その犬を幼名につけるのは、
     「それくらいくだらない奴でございます」という気持ちをこめている。

「饅頭(マントウ)」: 張芸謀監督の映画「活きる」で子供にこの名前をつけていた。
    「どこにでも転がっている、つまらない者でございます」の意味をこめて。

昔の小説を読むと、主人公が逆境に遭う場合、わけわからないうちに土地の権力者の機嫌を損ね、
一族郎党、六親等に至るまで、残らず災難が降りかかる、というようなストーリーが多い。

あまりにも多い現象だからこそ、日常生活の端々にそれに絡んだ行動が出てくるのだろう。 



これだけの参拝前の準備をしてから、山に上り、お参りをする。

4、敬香: お香を焚く。3本がよいとされる。

5、叩拝: 跪いて頭を地面につける。

6、お布施を出す。

7、おみくじを引く。神と人との交流。写真にもあったように、けっこう皆おみくじを引いている。
  そして難しすぎてわからない言葉の解説員まで待機しているのである。

8、符鎖を求める。
  「符」は、お札。家内に貼って家内安全を願うか、燃やして服用する。
  「鎖」は、子供の首にかける赤か五色の紐。子供の命を真武大帝とつなげるため。

9、祈神薬: 真武大帝を祭る香炉の中にあるお香の灰を黄色い紙で包み、家に持ち帰り、燃やして服用する。

  薬を服用している間は、なるべく生臭を食べないようにせよ、といわれている。
  医療の発達した現代であっても、縁日の期間中、長蛇の列ができる。

  「思い込み」による自然治癒力の力は、強大ですからな。
  日本でもえらいお坊さんの残り湯を信者が「万病に効く」と飲んだりしたというし、
  今でもガン患者に「画期的なガン治療の新薬ができた」とビタミン剤を飲ませ続けたら、
  本当にがん細胞が消えた、というケースもあるというではないか。

  ましてや、国民の医療保証がまだまだ不備な現状では、さもありなん、とも思う。

10、神飯を食べる: 当初は貧しい信士への施しだったが、今は皆が食べたがる。
  お布施を少し出せば、分けてもらえる。「消災免難」の効果があるという。

11、山門を欄ずる: 山門の敷居に横たわり、幾千万人の人々に体を跨いでもらう。
  お礼参りの表現の一つだという。


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写真: 陝西佳県の白雲観。


真武殿の東側のお堂の中。





お参りに訪れる人々。どうやら本当に道士さまからおみくじを買っているようである。
お参りをする部分にじゅうたんが敷いてあるのも、いかにも西北っぽい。
北京では丸いクッションのようなものを置くのが普通である。



真剣に叩頭して祈る参拝客。






何かの紙を見ながら、熱心に見ている二人。
何をしているのか、といえば、どうやら先ほど、お堂の中で買ったおみくじを解説してもらっているようです。
おみくじは、古語で難解に書かれているので、わかりにくい。
それを解説しましょう、という売り込みの人が、出口で待ち構えているわけですな。



つまりは精神カウンセリングみたいなものですな。
こういうおっちゃんらは、占い師の如く、場数と経験を積んでいるので、
相手の状況に合わせた内容で解説してくれる。

面構え、服装、オーラなどで相手の大体の背景を飲み込み、対話をしつつ解説を進めていく。
境内には解説おじさんが十人くらいいるので、その解説の声がわんわんと響き、ものすごい活気。

もちろん有料だけど、きっとたいした値段ではないと思う。
なにはともあれ、皆、元気をもらって帰ってねー。




奥への道を進む。







日付は2007年となっている。新しい石碑。



さらに先を進む。



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2 コメント

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だんだん面白くなってきましたね (~弥勒~)
2011-10-31 09:16:39
特に最近のモンゴルの変化に興味が湧いています。今、明ですから、後金、清になってくるとどうなるのかなと思っています。

私の場合中国が細分化された国の位置は戦国時代を基礎としております。でも、現在の省と頭の中で重なっていませんので地理と歴史を重ねるには問題なんですよね。
黄河のコップを伏せた状態の上の方が遊牧民の暮らしているところかなと思うとそうでもなく、まだまだ整理不足です。

日本で「モンゴルと大明帝国」という本を見つけましたので2,3日中には読んでみます。

それから、先日紹介していただいた文献データーベースはすごいと思いました。
日本でも類似データーベースがあるでしょうが、私は使ったことがありません。今までもっぱら本でした。
中国は日本の10倍の人口ですから学者さんも10倍居る(将来なる)可能性があるということに気づき、「これはすごい国だな」と、もしかしたら学術的にもすごい国になるんではないかと感じました。
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Unknown (いーちんたん)
2011-10-31 11:33:16
>それから、先日紹介していただいた文献データーベースはすごいと思いました。

そうなんですよ。IT関係に関しては、中国の方が上を行く、と思うことがよくあります。

在中邦人の間では、「かっとび文化」と呼んでいるのですが、これまでの先進国が一つ一つ歩んできたプロセスを飛び越えて、最新技術からスタートし、一気に上を行ってしまう、ということがあります。

ワープロなしにいきなりパソコン、固定電話なしにいきなり携帯、と言った風に。。。

電子書籍もいろいろな試みが進んでいます。
人気の小説投稿サイトでは、人気作家が生まれると、その人の文章を読むのは有料となり、作家さんは本を出版せず、サイトから高額の原稿料をもらい、生活しているそうです。作家が紙媒体の書籍を出版しない時代なんですねー。

>中国は日本の10倍の人口ですから学者さんも10倍居る(将来なる)可能性があるということに気づき、「これはすごい国だな」と、もしかしたら学術的にもすごい国になるんではないかと感じました。

言論の自由が統制されている国なので、実は論文の発表もその方針に沿ったものでなければならないこともあり、それなりに制限はされます。

それでも私が書いているものは、ごく普通に簡単に手に入る資料で充分に書けるほど、あらゆる時代、地方がある程度研究が進んでいることは確かです。そういう意味では、本当にネタの宝庫です。
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