ヌルハチには四人の弟がいることはすでに述べた。
長男ヌルハチを筆頭に次男ムルハチ、三男シュルハチ、四男ヤルハチ、末っ子バヤラがおり、
ヌルハチの起兵以後、四人の弟はそれぞれにベイレの尊称で呼ばれた。
四人のその後の境遇は大きく異なる。
まず次弟のムルハチと見ると、
ヌルハチより二歳年下、兄の蜂起を最初から強く支持し、全面的に協力した。
特に建州と海西の五部族連合軍との戦いでは、
敵の不意打ちに怖気づいた味方が誰もヌルハチの突撃についていかない中、
ただ一人兄と共に敵の中に切り込んでやっと味方の士気を奮い立たせたことがあった。
このほかにも数々の戦功を挙げているが、その後の出世は極めて地味だ。
本人の生存中は「青巴図魯(チンバトゥール)」というごく普通のベイレの爵位しか賜っていない上、
その子孫も息子十一人のうち、
第四子ウダハイ(務達海)が崇徳四年(一六三九、ホンタイジの治世)に輔国将軍に封じられているだけである。
輔国将軍は、十等ある爵位の中で下から数えて二番目でしかなく、
残りの息子十人はホンタイジ統治の下で誰も爵位を賜っていない。
戦功華々しいムルハチになぜ待遇がやや冷たい嫌いがあるのか、史料にはっきりとわかるような理由は載っていない。
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遼寧省の撫順市新賓満族自治県永陵鎮
満州族のための民族小学校
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特に建州と海西の五部族連合軍との戦いでは、
敵の不意打ちに怖気づいた味方が誰もヌルハチの突撃についていかない中、
ただ一人兄と共に敵の中に切り込んでやっと味方の士気を奮い立たせたことがあった。
このほかにも数々の戦功を挙げているが、その後の出世は極めて地味だ。
本人の生存中は「青巴図魯(チンバトゥール)」というごく普通のベイレの爵位しか賜っていない上、
その子孫も息子十一人のうち、
第四子ウダハイ(務達海)が崇徳四年(一六三九、ホンタイジの治世)に輔国将軍に封じられているだけである。
輔国将軍は、十等ある爵位の中で下から数えて二番目でしかなく、
残りの息子十人はホンタイジ統治の下で誰も爵位を賜っていない。
戦功華々しいムルハチになぜ待遇がやや冷たい嫌いがあるのか、史料にはっきりとわかるような理由は載っていない。
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