いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

定州5、明の城壁

2016年06月05日 15時13分40秒 | 河北・定州府

最後にやってきたのが、南側にある明の城壁である。


繁華街の商店街のような場所を抜けたところに、
その姿は忽然と現れた。








定州になぜこのような巨大な城壁が必要だったかというと、
モンゴルとの対立の中で、定州から目と鼻の先である太原なんかも
モンゴルの襲撃を受けて、略奪の対象になったことを考えなければならない。

まずもう一度、定州と西の太原あたり、そして北京との位置関係を
最初の記事の地図で確認しておきたい。


定州1、開元寺塔


次にフフホトあたりに本拠地をかまえていたモンゴルのアルタン・ハーンと明朝との関係、
太原やその周辺への侵入、略奪に関する過去記事ももう一度見ていただきたい。


楡林古城・明とモンゴルの攻防戦7、フフホトと板昇

楡林古城・明とモンゴルの攻防戦8、嘉靖帝の不信感



そして太原あたりが陥落すると、
モンゴル族がそこから太行山を越えて北京まで一気に攻めてこようとすれば、
定州はもろにその通過の道筋にある。


飢えた兵士らが略奪のために攻め入ることも防がねばならないだろうし、
北京へ登らせぬよう、ここで水際で阻止もせねばならない。


・・・そんな役割があったのかと思われる。





  

 城壁の麓の路地。






こちらは「きょうさんとう万歳」の文字が。
古い時代の流れですかねー。







こちらもただ今、絶賛大改装中。
とにかく定州の街全体が、巨大な資金を投入して、壮大なテーマパークに生まれ変わらせるべく、
一気に大改造を行っている最中、という印象である。




お堀の川。
これもこれからきれいに水も通して、整備していくんでしょうかねえ。


二重構造になっております。

城門を丸く囲んで、さらに城門を守るためだけに存在する甕城の門洞が先に続きます。


甕城については、こちらの記事の後半に出てくる絵を参照に。






こちらが甕城の城門。


甕城の中から城門を振り返った図。

さすがに上に楼閣までついていて、立派です。

















こちらは甕城の門洞。


近くの物見台に登ってみたところの図。









最後におまけですー(笑)。

城壁近くで地酒を売るお店を見つけました。







甕からの量り売りです。
渋いー!


これまでの経験から、こういう地元に密着した甕売りのお店には、偽物が少なく、
そして化粧箱も中間業者もいないから、思いっきり安い!・・・ということを確信しておりました。


お値段が安すぎて、もう感覚がマヒしてくるのですが、
1斤(500㏄)6元と12元という地元醸造の白酒(バイジウ)…確かともに40-60度くらいのアルコール数
・・・を買って帰りました。

お店のご主人は、1斤20元というのを指名して、
「これは自信作だ、とてもよいお酒だから、ぜひ試してほしい」
と言いました。

しかしかたや6元とか言われて、もう感覚がおかしくなってしまっている私は、
躊躇して結局買わずじまい・・・。

その後、ずっと後悔し続けるのでした(笑)。


・・・というのも、6元のお酒、悪くなかったからですー!
期待を裏切らない高品質でした。

北京ではちょっといい白酒なら100元近く出さないと手に入らないのは、
当たり前なのですから、その場の雰囲気というのは、恐ろしいものです(笑)。


しかしこの後悔が、この後行く山西省で再び地酒を爆買いすることにつながっていくのです(笑)。



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