○十月号の編輯後記より
三月号以後の空白、この間の感慨はことさらにこれを省略したい。四月号は編集終了直後五月二十三日印刷所で焼失、ただちに代行印刷所を選定しその再編輯もほとんど成ったところで終戦の御詔勅を拝受した。終戦と同時に急遽立上って作製されたものが本号である。
「日本人の大半は一度として自由を拘束されざる出版というものを経験した事がないのである。従って厳重な監視下にあった出版が民主主義的な特権を享受する出版へと移行するのは容易な業ではなかろう。日本の編輯者は各自が印刷するものについて慎重に考慮し、熱狂の余り無意識のうちに自由の域を越えて放縦の世界へと足を踏入れることのないようにせねばならぬ」と、在る米週間時評家が述べているそうである。終戦直後の寄稿を掲載した本号を一読すれば、人々が次々にたぎる憤怒と反省を自ら制御し難きままに打(ブ)ちまけている荒い呼吸づかいを紙背(シハイ)に聞くのである。編輯者に止まらず、一際の日本人はただいま「自由」の風圧下に自失していると云うのがあらゆる面での真相である。
昨日迄一億総決起、本土決戦を強調したアナウンサーがその口調と音声で今日は軍国主義を忌憚なく指弾し民主主義を高調している。アナウンサーは人格ではなかったのだ、機械なのだ、と市民は云う。耳を塞いでこの言葉を聞かずに過ごす資格を我々は持たぬ。我々の過去の道は実にジグザグであった。あらゆる強要に対して家畜の如く従順であった。従順である以上に番犬の役をかって出た者もあった。今日の侮過(ケカ)の激しさを役立てねばならない。
三月号以後の空白、この間の感慨はことさらにこれを省略したい。四月号は編集終了直後五月二十三日印刷所で焼失、ただちに代行印刷所を選定しその再編輯もほとんど成ったところで終戦の御詔勅を拝受した。終戦と同時に急遽立上って作製されたものが本号である。
「日本人の大半は一度として自由を拘束されざる出版というものを経験した事がないのである。従って厳重な監視下にあった出版が民主主義的な特権を享受する出版へと移行するのは容易な業ではなかろう。日本の編輯者は各自が印刷するものについて慎重に考慮し、熱狂の余り無意識のうちに自由の域を越えて放縦の世界へと足を踏入れることのないようにせねばならぬ」と、在る米週間時評家が述べているそうである。終戦直後の寄稿を掲載した本号を一読すれば、人々が次々にたぎる憤怒と反省を自ら制御し難きままに打(ブ)ちまけている荒い呼吸づかいを紙背(シハイ)に聞くのである。編輯者に止まらず、一際の日本人はただいま「自由」の風圧下に自失していると云うのがあらゆる面での真相である。
昨日迄一億総決起、本土決戦を強調したアナウンサーがその口調と音声で今日は軍国主義を忌憚なく指弾し民主主義を高調している。アナウンサーは人格ではなかったのだ、機械なのだ、と市民は云う。耳を塞いでこの言葉を聞かずに過ごす資格を我々は持たぬ。我々の過去の道は実にジグザグであった。あらゆる強要に対して家畜の如く従順であった。従順である以上に番犬の役をかって出た者もあった。今日の侮過(ケカ)の激しさを役立てねばならない。