自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

徒然想拾遺 六

2007年09月10日 | Weblog
病を得ること at 2006 10/15 23:19

 病気にかからない方がいいことは言うまでもないが、何ひとつ病気をしないで一生を終える人はめったに居ない。僕は10年前に立派な病を得た。脳梗塞。40日間の入院。強運で後遺症はない。病を得たと言っても痛みを感じたとか手術をしたとか、特別な経験をした訳ではない。意識が戻っていく過程を不思議なほど鮮明に覚えている。しかし、一旦、意識が無くなったのだから、やはり立派に病を得たと言ってよかろう。今も血流をよくする薬を欠かさない。しばしば飲み忘れるが。
 思うに、病は生命のひとつの姿である。変な言い方になるが、病を得るからこそ僕らは、生命のバランスを保っているのかも知れない。
 頑健で風邪ひとつ引かず、せっせと働き続ける人が居たら、何か奇妙な感じがする。その人はたくさんの仕事をする。有能である。けれど、壊れない機械のような仕事人間である。その人の目には、病んでいる人は欠陥人間と映るかも知れない。仕事に役立たない草や木に目をやることはないだろう。
 そんな人が風邪で寝たくらいのときでも、窓の外を流れる風の音に耳を傾けたり、空を流れる雲の動き目をうばわれたり、普段は気にしない観葉植物に見入ったりする自分に気づくことがあるだろう。病を得ることの効用である。そうして、生きてある生活のバランスをとっているのである。病は人生の潤滑油なのだ。
 と、今夜はのんきなことを書いたが、この瞬間にも例えば癌で最期を迎える人も居るだろう。現代医学の手に負えない難病で苦闘している人も居るだろ。そのような人には病は苦以外の何ものでもない。が、どうか、気長にご自分の人生と自然を見守って頂きたい。
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秋鯖は・・・ at 2006 10/16 23:06

秋鯖は嫁に食わすなと言う。嫁いびりと思われるかも知れない。旨い秋鯖は脂のノリが違う。この脂のノリ過ぎが問題で、妊婦さんには特に負担がかかり、下痢をしやすくなり、赤ちゃんにも影響が出るそうだ。「秋鯖は・・・」という諺はお嫁さんに対する愛情たっぷりの言葉とも解釈される。
 送られてくる老人ホームのパンフレットによると、鯖の脂にはEPAやDHAなどが含まれ、血液の酸化防止や悪玉コレステロール減や脳の機能活性化に効果的である。ただし、妊婦さんに限らず、胃腸の弱い人は食べ過ぎに注意することと念を押してある。
 高級魚を狙う呆さんや秋彦さんは鯖を食されるのであろうか。僕はしめ鯖が好物なのだが、家の者は皆もうひとつらしい。出かけるときには柿の葉寿司を買って昼食にする。これがまた銀しゃりと呼応して極めて旨い。幸い、僕は胃腸も丈夫である。
 ところで、サバ科はカツオ、マグロも含む大きなグループを作っているということは知らなかった。新鮮な鯖なら、トロにも優って旨いのだろう。新鮮な鯖が手に入らないから、しめ鯖ということになる。こういうのを昔からの庶民の知恵と言うのだろう。
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野外コンサート at 2006 10/21 23:30

 谷村新司のコンサートに家内と行って来ました。場所は東大寺・大仏殿前。広いです。8千人は入っていました。ライトアップされた大仏殿もきれいでした。
 僕はかつてはクラシック一辺倒だったんですが、何がきっかけだったか、谷村新司と、さだまさしのファンになっていました。「秋桜(コスモス)」などはちょっと編曲してピアノで弾いたこともあります。
 今夜のコンサートは千住明や竹楽器アンサンブルなど多彩で、満喫できました。ただ、ステージが遥か遠くで、芝生に座っての見物・傾聴・観賞で、夜が更けるにつれて冷えてきて、少し疲れました。
 何年か前、さだまさしの野外コンサートに友人と行ったときにも感じたんですが、追っかけファンの熱意というものはスゴイですね。真似の出来ないことです。
 星が幾つか見える夜空の下、「昴」を口ずさんでいました。
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声明 at 2006 10/23 23:18

 一昨日の大仏殿前のコンサートの冒頭、僧侶たちが声明を唱えた。僕は特段に関心がある訳ではないのだが、記録としてその一部を残しておく。ただし、パンフレットに載っていた口語体で。度々出てくる「錫杖(しゃくじょう)」とは、僧侶が携行する一種の杖で、杖の上端に金属製の数個の小さな環を通した輪形があり、これを振り鳴らし毒蛇・害虫を追い払う。

★手に錫杖を持つときは、まさに願おう皆とともに、大いなる法施の集会を設け、仏法が真実の道であることを示し、三宝(仏・法・僧)を供養しようと。
★まさに願おう皆とともに、天界人間界の師となり、果てしない願いをもって、苦悩する人々を救い、大いなる世界をかけめぐって、三宝を供養しようと。
★まさに願おう皆とともに、仏の心を妨げ、理解しようとしない全ての生きとし生ける者、毒を持つ獣や虫に至るまで、この錫杖の音を聞けば悪心をおさめて悟りの心をおこし、あらゆる修行を行って、速やかに悟りに到ろうと。
★まさに願おう皆とともに、仏を見ないで、仏の教えを聞けず、迷いに彷徨う人々は、錫杖の音を聞いて、百八の煩悩から解き放たれ、悟りを求める心をおこし、ともに修行を成し遂げて、速やかに悟りに到ろうと。
★三世(過去・現在・未来)の諸々の仏は錫杖を持ち、皆に仏の道を成し遂げた。故に我も又、頭を垂れて錫杖を持ち、三宝を供養しよう。故に我も又、頭を垂れて錫杖を持ち、三宝を供養しよう。

 僧侶の意志を表しているのであろう。とともに、その意志に応えるように衆生に求めているのであろう。が、定かなことは僕の理解を越えている。

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