谷沢健一のニューアマチュアリズム

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武蔵大学と対戦

2006-09-06 | YBC始動
 9月2日、武蔵大学と対戦した。この試合は6月に予定されていたが、雨天で中止となり延期していた。武蔵大は秋山俊介総監督の下で基礎作りがなされ、船背監督が任に就いてから首都大学リーグの一部に昇格した強豪チームである。春季リーグ戦は5位であったが、チームのエース上園投手はプロ9球団が狙う逸材と聞いている。
 試合結果はホームページに掲載されているので省略するが、この試合が実現した経緯を書きておきたいと思う。試合が組まれた一ヶ月前の5月、鳥取から一本の電話が私の伴侶のところに掛かってきた。女房と大学時代の同級生であった船背監督の母上からである。女性同士で普段から良く連絡を取り合っているようで、秋には鳥取名産の20世紀梨を送っていただいている。
 母上のお話では、「息子は現在、武蔵大の監督をやってます。谷沢さんのチームと是非試合をやって欲しい」「えー、あの子が監督!鳥取の高校から東海大学に進んでレギュラーを掴んだことは耳にしていたが・・」
 「あの子」というのは、実は、船背浩監督が小学生のとき、地元放送局が開催した「少年野球教室&講演会」に母上に引率されて参加した。講師だった私は、浩君を皆の輪の中から引っ張り出して、キャッチボールや打撃指導をした。やや身体は小さかったが運動能力に優れていたことを想い出す。今でも脳裏に残っているのだから、女房の同級生の誼(よしみ)で贔屓した以上に彼のプレーが印象深かったのであろう。
 朝霞市のグランドに入っていくと、その船背青年が待っていた。凡そ20年の歳月が経ったが、どこか母親似の少年時の面影が残っていて懐かしかった。「一般企業に勤めているため、週末だけの指導です」「平日は学生コーチに任せています」「推薦では指定校の高校生しか獲れないので、戦力強化は容易でなく、一部に上がれたのも上園の力が大きかったのですよ」「春は、12試合のうち10試合登板しました」と、いろいろ話を聞かせてもらったが、東海大という厳格な気風の野球部出身らしく、逞しく骨太く、また山陰地方の秘めた良き頑固さを感じる船背監督であった。
 試合は予想通り上園投手に抑えられてしまった。さすがプロのスカウトが注目する投手だけに、内角を厳しく突く速球は素晴らしくコントロールも良かった。今後の更なる成長が期待できる。その彼から2点取れたが、チームメイトが守備のミスなどをしたせいでもあり、こちらへのサービスだったのかも知れない。
 終始暖かく迎えていただき、お話もさせてもらった秋山総監督と野球部OB会幹事長・三島季佳氏にも感謝したい。あえて付け加えれば、野球部長の教授がじつに野球好きな方で、試合後の守備練習の時に、乞われるままについ捕手の真後ろで立ち話を続け、打球が私の膨らみかけている左腹に激突することになってしまった。「立ち位置」を失念した迂闊(うかつ)さのせいだが、女性教授と長話をしていた私に野球の神様が嫉妬をしたのかも知れない。(こう書いている今も少しばかり痛い……)