谷沢健一のニューアマチュアリズム

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故郷回帰

2006-04-03 | YBC始動
 4月2日は習志野市営秋津球場で試合を行った。私にとって習志野市は、第二の故郷(第一は柏市、第三は名古屋市)でもある。かつて習志野は、私が東京オリンピックの聖火ランナーとして走った国道から外側には、東京湾の埋立地が広がろうとしていた(いまの秋津球場のあたりは、たぶん海原ゆくポンポン船の行き交う風情がただよっていたはずだ)。
 少々、母校のことを記すと、市立習志野高校は、故白鳥市長と故山口久太校長の教育理念の下、文武両道というよりも「武」を重んじる校風を創った。私は山口校長の熱き情熱とたぐい希(まれ)な啓蒙主義による強烈なリーダーシップの磁力が、相対的に伝統校(銚子商、成東、成田)とぶつかりあって熱く上昇するスパイラルを産みだし、千葉県に「野球王国」が築きあげられた最大の要因になったと考える。今でも、山口先生は、教育者であると同時に、理想高き牽引者だったと認識している。
 上記の教えを共有する2歳下の石井好博氏(現在、習志野市役所勤務。高校野球の選手としても指導者としても全国制覇を成し遂げた希有な人である!)が、ひょっこり、横浜金港クラブとの試合前に球場に顔をだしてくれた。ひところより体型もスマートになってはいたが、「時にはうちに教えにきてくれよ(例えば、甲子園で1試合に3度、2塁走者を牽制球で刺したという卓抜な技術ももっている)」と言うと、「現場はいいですね」と、野球への想いと情熱はまだまだ失っていないようだった。わざわざ藤沢から習志野球場に来てくれた川島理事とも、大学の後輩でもあるから、懐かしそうに語り合っていた。
 今日対戦する、横浜金港クラブは、来年70周年を迎える。クラブチームでは北海道の「函館オーシャン」と同年の歴史を刻む。伝統から伝承の価値を時間の虚空に感受しながら、一戦を交えたいと思う。