谷沢健一のニューアマチュアリズム

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旭市飯岡合宿(その1)

2006-08-29 | YBC始動
 YBCを創設してまだ間もない2月、旭市飯岡で実施した合宿は地元の方々のご厚意によって予期以上の成果を収めた。「良いことは何度行ってもいいのだから、再び合宿を」という声が一部(私も含まれている)に強くあり、行うことになった。
 6月も終わり頃、副部長といつものように雑談をしているうちに、つい「よし、やるぞ!」と言ってしまい、実施する運びとなった(几帳面な人たちからは計画性がないと怒られるだろう)。
 千葉県の都市対抗予選に大敗を喫し、主力選手の中には、目標を失ったのか、「チームの方針に合わない」とか、「年齢的に後がない」とか、「レベルの違う選手たちと野球なんかできない」とか、それぞれの理由でYBCを去っていった者もいた。私は、大敗によって、チームの歪みが表面化することは覚悟していた。
 なにしろ、トライアウト方式でチーム編成したのだから、様々な技量と志向と経歴の選手たちがあちこちからバラバラに集まってくる寄せ集め集団にすぎない。そういう集団を統率するにはカリスマ性を強力に備えているリーダーがうってつけかもしれない。だが、私はカリスマよりも自由を、排除よりも許容を、鉄の規律よりも自発の秩序を好むタチだから、それを不満に思う選手やスタッフが離脱することは予測していた。もっとも、それは予想よりも早く生じたが。
 日本野球連盟の長だった故山本英一郎氏に挨拶に伺った際、「社会人野球も企業チームが少なくなっているが、君たちが野球界の底辺を考えてくれることは有り難いことだ。ただしクラブチームを引き受ける際に注意することがある」「谷沢君、水は高きから低きへ流れるように、水は低いところで淀みがちになるものだ。クラブチームは特に様々な境遇の者たちが集まってくる。チームの骨格となる人材を造ることが重要だよ」とアドバイスをいただいた。
 チームを運営するからには、戦力を整えて勝てるチームをつくりたいと考えるのは当然だ。そのためだけだったら、技量の高い選手を集めればいい。例えば、YBCを立ち上げた時、西多摩倶楽部のレギュラーたちの多くが、YBCへの移籍を強く希望してきた。私が簡単にOKすると思った者も多かったようだ。しかし、彼らはYBCの理念(ホームページ参照)を一瞥すらしていなかった。彼らの意図は別だったのである、約1名を除いて。
 今、YBCで活動しているスタッフ・選手たちはYBCの理念のすべてを理解していないまでも、ある程度以上に体得しているようだ。ボロボロになるほどミスを繰り返しながら(19、20日の練習試合もそうだった)、終盤に得点をとったし、最後まで全力プレーをしていたし、終始声が出ていたし。今は力が伴わなくとも野球に対する純粋な気持ちと情熱は素晴らしいものであると思った。これはチーム最年長の松村選手が、あるスタッフによせたメールにも記されていたことである。
 3日間の合宿は32名の参加者だった。まずは合宿の骨格を作り支えてくれたスタッフ---加藤副部長、久保田コーチ、川島理事、上村コーチ、杉村主務、長屋・伊東(今回のクローズドテストで選手としても合格)、山下トレーナーの皆さんには感謝したい。