谷沢健一のニューアマチュアリズム

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対全足利クラブ戦(その3)

2006-04-19 | YBC始動
 試合の詳細な経過などはホームページに掲載されているので、割愛する。今日の試合を一言で表現すると、(私がこう言うとおこがましくなるが)「すべて(技術、マナー、作戦)において格調の高いものを体験できた」と思う内容であった。足利の4人の継投は見事だったし、堅実な守備と粘り強い攻撃と最後まで諦めない集中力はYBCが見習うべきものだった。我が谷野投手も最後までよく投げた。YBC初の完投である。彼の負けん気がどこまで強いかも把握できたし、何よりも完投能力のあるタフさはチームにとって収穫である。しかし、登板を予定していた木藤君をはじめ、他の投手諸君にはすまないことをした。登板できなかった悔しさをバネにして、投球能力をさらに磨いていって欲しい。
 攻撃陣は、良くつないで2点先行し、9回にも代打五十嵐君のタイムリーで勝ち越し。先取点を得たのも、10試合目にして初めてである。しかし、得点機会はまだあっただけに詰めが甘かったと反省させられる。守備にもほころびが出たので、今後は是正していくしかない。野手陣の層も厚みを増してきたので、チーム内の競争意識の高まりは歓迎すべきだ。
 今日の試合後もそうだったが、このところ、選手たちも問題意識をもって技術上の指導を仰ぎに、頻繁にくる。そのつどその場で対応してはいるが、もっともっと指導時間が欲しい。特に専門の打撃指導に費やす時間が足らない。必然的に選手たちの打ち込みがかなり不足することになってしまっている。全足利クラブのように、足利市役所に勤めるスタッフが多く、球場使用も優先的に、各自仕事を終えてから連日練習ができる環境はうらやましい限りである。
 ミーティングでは、「実戦で生じる様々な野球の複雑さなど、今日の試合から勉強することが多い」と、いくつか厳しい注文を選手たちに要求した。私も、三塁コーチャーボックスで采配を執りながら、我がチームのゲームへの取り組む姿勢をみていたが、相手が範となるのか、控え選手でベンチ外に出るというマナー違反を犯す者は皆無だったし、声援の声もよく出ていた。また、サードチームの神木君は最後までボールボーイを真摯に勤めていたし、ブルペンでは真新しいミットを手にし、その手を腫らしながらも捕球しつづける大竹捕手がいた。それを忘れてはならない。
 こういう価値ある試合ができたことをありがたく思っていたところ、帰り際に、全足利の小倉監督が写真撮影と挨拶とに見えられ、「来年の4月末に、恒例の足利市長杯大会が開催されるので、是非、YBCさんに参加していただきたい」とご招待くださった。こういう「ご褒美」はいくつになっても嬉しいものである。(もちろん、来年4月の前に、今年8月のクラブ選手権大会に再訪したい!)

対全足利クラブ戦(その2)

2006-04-19 | YBC始動
 足利市内に入り渡良瀬川の橋を過ぎると、足利の里というか、室町時代に栄えた藁葺き屋根の合掌造り・足利学校の前をバスは通り過ぎたところで、私の携帯が鳴った。全足利クラブの栗原マネージャーからである。昨年3月、前クラブのときにお世話になっただけに、栗原マネの声にも親しみと懐かしさが倍加されるように感じた。足利学校から5分ほどで球場の照明塔が見えた。足利市営球場は総合運動場の中心に位置していたが、バスの駐車場がみつからず、球場周辺を一周したところで、また携帯がなった。「球場入口から出た道路の所に私が居ますから」と栗原マネ。この細やかさは、さすが、全日本クラブ選手権10度制覇の名門を継承する名マネージャーである。
 試合開始は2時からだったが、木村好文氏(全足利クラブ後援会長・栃木県会議員)や川田幸夫氏(栃木県社会人野球連盟理事長)も挨拶に見えてくれた。また、野球部長の山地義夫氏とも再会して、YBC誕生を祝っていただいた。山地氏には、「足利は野球好きの市民が多く、欽ちゃん球団と試合をしてくれとせまがれるのですが、どうしたらいいですかねー」と聞かれた。伝統の重みを大事にしているせいか、全足利クラブのイメージと茨城ゴールデンゴールズのイメージにギャップを感じておられるようで、対戦にも二の足を踏んでいる感があった。私は「一度対戦しましたが、欽ちゃんは人一倍負けず嫌いですから、試合は一生懸命、真剣勝負ですよ。けっしてふざけてやっていませんよ。一度対戦してもよろしいのでは」と答えた。
 スタンドには300人超(翌日の新聞報道)の全足利ファンが詰めかけていた。ゲーム前に簡単なセレモニーが行われた。直前に栗原マネから「最初に私どもの小倉正文監督がスタンドに向かって挨拶をしてから、谷沢監督をホームベース付近にお呼びしますから、一言挨拶を」との由、小倉監督も「YBCの誕生おめでとうございます。元中日の中心打者・谷沢さんのチームと対戦することを心待ちにしておりました。いいゲームをして、8月の全日本クラブ選手権は、この球場で行われます。今日の試合をはずみにして、11度目の優勝を狙います」とYBCをも持ち上げてくれた。私もそれに応えて、創設間もないチームと対戦してくれることへの感謝御礼をのべ、昨今のクラブチームの増加で野球界を活性化しましょう。是非、8月には足利に来たい旨を述べた。

対全足利クラブ戦(その1)

2006-04-19 | YBC始動
 YBCが千葉県に登録されて約3ヶ月、記念すべき初遠征試合を来年50周年を迎える全足利クラブと対戦した。こんなに早く「クラブチームの雄」と戦えるとあって、私もスタッフもこの日を待ちに待っていたし、選手たちも大いに楽しみにしていたことと思う。
 ホームページに記載の通り、交通手段は3通りだったが、電車で向かう者は料金ももっとも高いせいか皆無だった。貸切大型バスは集合出発地点(柏駅前)が1箇所だったせいか、20名弱だった。他は自家用車の者に同乗である。予想よりもバス利用者が減ったので、細田観光に中型バスに代替できないか打診したところ、同社社長(なんと、私と幼なじみだった!)が「足利までは2時間もかかりますので、大型バスで皆さんゆったりとくつろいで、試合には是非頑張って下さい」とおっしゃってくださり、ご厚意に甘えることになった。その上、細田社長はご子息である細田専務とともに、朝早くにバス乗車地に挨拶に見えられ、我々の出発を見送ってくれたのだった。じつは、細田観光を紹介してくれたのは、柏市の「野球が大好き人間」であるT氏(奥ゆかしい方なので、お名前を勝手に出すと叱られるかも知れないからあえて仮名にする)ーYBCのCPのお一人だったことも記しておきたい。
 今回の足利遠征には、もちろん主務(マネージャー)の帯同が不可欠だった。新聞の栃木版では、全足利ーYBC戦を既に大きく報じていることもあり、ひょっとすると試合前に小セレモニーなどがあるかもしれない。先方のマネージャーとも、あれこれ打ち合わせをする必要もある。ところが、主務は二人とも参加できそうにない。小松主務は勤務先が今は繁忙期であって無理は言えず、頼みは根本主務だった。しかし、YBCに加わってからは、根本氏の休日の家族サービスが極端に少なくなったはずで、今回、無理強いするのは躊躇せざるをえない。さて、困ったことになった。
 ところで、根本家には娘さんがいる。長女のわかなちゃんは4歳で、かわいい盛りである。そのわかなちゃんが1日楽しく過ごせられれば、何とか参加が可能になるのではないか。そう考えた加藤副部長は一計を案じた。白羽の矢がたったのは、蔵重チーフコーチ(藏重氏も責任感がひじょうに強い人であり、常時仕事が多忙で、中国へ出張中)のお嬢さんの優美さんである。彼女がありがたいことにわかなちゃんの御守役を快く引き受けてくださった。助かった! これで、一路足利へ、YBC軍団+ファミリーは動いた。