谷沢健一のニューアマチュアリズム

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西武の炭谷、涌井よ、いいぞ!

2006-04-12 | プロ野球への独白
 YBC発会式の折に池田哲雄ベースボールマガジン社長に挨拶をしてもらった。その時、プロ野球選手の「早熟」の話がでた。「清原君のピークは16歳であったと私は思う。YBCの選手たちよ悲観してはいけない。皆さんはこれからピークを迎えるのだ」。この話をお聞きして「なるほどなー」と思った。
 私の年代は団塊の世代で、そろそろ60歳に差し掛かってきたが、高校時代のことを思い起こしてみよう。山梨甲府に堀内恒夫、千葉銚子に木樽(ロッテで活躍、現・巨人軍スカウト)、岡山東商に平松政次(選抜優勝投手)、兵庫育英に鈴木啓示など、投手に早熟型が多かった。例えば、堀内氏はプロ入団して即、13連勝をやってのけた。彼一人の力ではなかったとしても、歴史に残る金字塔である。
 さて、今年のプロ野球をみると、まさに池田氏の指摘する「早熟タイプ」が注目されている。まずは、10代バッテリーと騒がれている、涌井秀章投手と炭谷銀仁朗捕手である。炭谷君は開幕からいきなりスタメンでマスクをかぶった。
 前にも書いたが、私は2月上旬、西武のキャンプ地(宮崎県南郷市)で炭谷君を見た。頑健な体つき、ちょっと切れ長の細目で大杉勝男氏(東映・ヤクルトで活躍)を彷彿とさせる。伊東監督は「何も教えるところがないくらい、捕手として備えるべき技術、物怖じしない積極人間、明るさは先輩から可愛がられる資質、など枚挙に遑(いとま)がないほど捕手としての資格を有している」と語っていた。本人に「プロの練習はつらいか」と聞くと、「プロの練習は、個別に練習できるから楽しいですね。高校の時は、全体練習ばかりで充実感はなかったですよー」と、平然と言ってのける。
 畳屋の倅(せがれ)と聞いている。オヤジの職人気質をみて育ってきているだけに、コツコツと努力することも持ち合わせていることであろう。城島捕手を凌駕するような、早熟からの大成を祈りたい。
 涌井君は、すでに3勝目(4月12日現在)をゲット。千葉県出身でありながら、横浜高に進んだ。柔軟性に富んだフォームとストレートのキレは、小山正明氏(阪神、東京オリオンズ、大洋で通算320勝)に似ている。「針の穴をも通す」というコントロールは見事であった。涌井君よ、現状に満足することなく「目標は高く、理想は大きく」、これも大樹大成を祈りたい。

失望・・・

2006-04-12 | YBC始動
 柏北高グランドを使用できて喜んでいたら、先月下旬から雲行きが怪しくなってきた。野球部の顧問であった駒形先生から連絡が入り、「私はバレー部の方に移り、野球部は新任の先生が担当します。新任の先生に、YBCのグランド使用を聞きましたところ、お断りしていただきたいとのことでした。若い先生ですので、やる気があるのでしょう。残念ですが、土、日も練習をしたい意向のようで・・・」
 私はこれを聞いて絶句した。10人足らずの部員数でも、土日も練習しようというのは見上げたものだが、どれほど練習の実効性があるのか、また実行できるのか?と思い、さらに、わずか一回きりの使用で終わるのはいかにも残念だと思うと、なかなか心は平静に戻らなかった。そのうちに、柏市に固執している自分にばかばかしくなってもきた。柏市に拘泥しているからこそ、ご迷惑を承知で柏北高に何度か頭を下げに行ったのだが、他の市町村に本拠地を移せば、そんなこともしないですむかもしれないし、もっと歓迎されるかもしれない。
 げんに、習志野市や船橋市や他の市町村の知人の力で、何とか最低限、練習や試合を組み込めてはいる。とにかく、練習と練習試合を重ねて、スタッフや選手たちモチベーションだけは維持したい。徐々にチームの形が構成されつつあるだけに、そういう場所が必要なのである。
 4月11日、9時頃自宅をでて、柏北高に向かった。しつこいようだが、電話での話だけでなく、じかにお会いしてもう一度お願いしてみようと決断して、ベッドから飛び起きたのだった。
 北高には11時頃到着。野球部の新任の顧問の先生は授業中で、アポも無しだったので待つこと40分、ドアが開いて、二人の方が入ってこられた。机をはさんで対面すると、名刺交換をする間もなく、「私が野球部の部長です。私が新任の顧問です」とおっしゃる。
 私は「これは徒労に終わるな・・・」と直感したが、これまでの経緯をお話しさせてもらった。すぐに、部長という先生が返答する。「お断りします。新入部員が何名か入りましてねー。顧問も週末はゆっくり休みたいと言っております。そちらにお貸ししますと私等も学校に出てこなければなりませんのでねー」。その通りだが、土日に出勤する時だけで(それがたとえ月1回でも)いいし、他の先生の土日出勤日だけもいい・・・と思って、それを当てにしようとする私が「虫が良すぎる」というしかないだろう。
 それにしても、前の駒形先生が「私は理科の教諭でもあります。週末は学校で実験等もしておりますので、どうぞ遠慮なく使ってください」と言ってくれたのを思い出して、改めて感謝の念が涌いた。引き続いて、部長は静かな口調で「それに、3月をもって本村校長も転任されました」。私は、「ほんの少しの隙間でもいいですから」と訴えつづけ、頭を机につけて最後のお願いをしたが、ついに諦めざるをえなかった。
 小雨の降る中、柏北高をあとにした。荒れ放題だったブルペンを綺麗に手入れしたことを思い浮かべながら、そういえば、そのことについて柏北高の先生から何の言葉もなかったなと思いながら、この学校とは縁がなかったのだ、名前も名乗っていただけなかった2人の先生には、押し掛け依頼でご迷惑をかけたなあを心の中でお詫びした。少なくとも、私たち民間の人間の常識では、来客に対して名前を告げないというのは、「来られて迷惑だ」ということの意思表示であるから、私はひどく嫌われたのだと深く反省した。