谷沢健一のニューアマチュアリズム

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王貞治氏とWCBF(その2)

2008-07-31 | プロとアマ
 交流試合が始まった正午近く、王氏が到着し、子供たちにメッセージをスタンドから発した。「世界各国の子供たちが一堂に会して正しい野球を学ぶことは大変意義深いことです。また野球を通して交流の輪が広がることに喜びを感じます。すばらしい思い出となるよう期待しています。」いかにも王さんらしい「正しい野球」という言葉が印象的だった。
 昼食会場は「ひつまぶし」の老舗・熱田の蓬莱軒だった。行政の方々は「うなぎ談義」から始めたが、王さんはすぐに「少し疲れたのでオールスターは秋山ヘッドに任せたよ」と、話題が野球になる。私は聞き役に回ったのだが、イチロー君の3000本安打、北京五輪の日本野球代表の戦力、ホークスの抑えの馬原君の復活、少年時代の反復練習の重要性など、リラックスした王さんの会話は様々に広がった。
 最後に王さんがいみじくも語った、「次のオリンピックでは野球は公式競技から外されてしまう。最大の原因は、連盟やら協会やら、組織が細分化して多過ぎることだ。組織の一本化が進めば、野球の発展・普及はもっともっと進む」と。
 慎重な王さんだから、それ以上具体的に言葉にしなかったが、今回のタイブレーク制の導入も念頭にあるのはすぐに察せられた。
 タイブレーク制については、最初は各紙の見出しに「星野監督、激怒!」という文字が躍ったが、その提案(紹介とも報道されている)が全日本アマチュア野球連盟だったとわかると、あっというまに紙面の文字はおとなしくなってしまった。最後は「(星野氏に)謝罪に訪れた全日本アマチュア野球連盟の鈴木義信副会長とはすれ違いになってしまった」(東京中日スポーツ)で終わった。
 報道されたのは、日本は「こけにされている」とか「アメリカは勝手すぎる」という日米対立図式である。ルール決定の仕方、決定事項の伝達の仕方がメチャメチャなのは確かだが、このようなやり方について、NPBもBFJ(全日本アマチュア野球連盟)もあまり文句は言えないだろう。なぜなら、これまで選手会や各チームなどに対して、似たような仕方をとってきたのだから。
 メディアもいくら五輪だからといって、ニッポン、ニッポンとナショナリズムを煽るばかりでなく、「日本には、『他人(ひと)の振り見て我が振り直せ』という諺がある」ということを忘れないでほしい(あ、これは、私自身への戒めでもある)。
 BFJはJABA(日本野球連盟)とJSBA(日本学生野球協会)の二つのみが加盟している組織である。そして、全日本野球会議という組織があり、そこの日本代表編成委員会が五輪野球日本代表チームのメンバーを決定している。では、全日本野球会議はどのように運営されているか、BFJやNPBとはどういう関係か、ということになると、一般には公表されていない。いわゆる「おとなの集まり」である。
 その点、子供たちはいい。今ごろは、自然に恵まれた知多半島の愛知県美浜少年自然の家に全員が宿泊して、友情を育み、きずなを深めていることであろう。

王貞治氏とWCBF(その1)

2008-07-31 | プロとアマ
 NPBが前半戦を終えた7月30日、世界少年野球大会(WCBF)開会式が名古屋市の瑞穂公園野球場で行われ、スポークスパースンとして高木守道氏と共に参加した。
 世界のホームラン王の王さんとハンク・アーロン氏が提唱して始まったこの大会も、もう19年目を迎えた。今回も20の国・地域から200名を超える少年少女とIBAF(国際野球連盟)のコーチが参加した。参加者は9日間にわたって寝食をともにし、様々な言語が飛び交う中で、野球というスポーツを通して交流を図る。チェコ、トルコ、ミクロネシアの子供たちもいて、野球が着実に世界各地へ広がっていることを示している。
 大リーガー大塚投手のご子息(11歳)も参加していた。このブログでも書いたが、私の長女が現地で大塚氏のケアを担当したこともあって、特に親密に言葉を交わしたが、母国がまるで異郷であるみたいに、ホームシックにかかっているような顔をしていて、私たちとの記念撮影でも寂しげな表情だったが、おそらく9日後には逞しくなっているだろう。
 猛暑の中、90名に及ぶ正規スタッフやボランティアの皆さんを元気づけていたのは、WCBF財団の専務理事を務める村田兆冶氏であった。王理事長の代行として、組織委員の皆さん(神田真秋知事、江崎鉄麿衆院議員、各教育長、各スポンサー、NPB、JABA、学生野球連盟等…)との挨拶に動き回っていた。それが済むや、技術指導も兼ねたウォーミングアップに1時間を費やし、始球式に臨む。おなじみ投球フォームと球速に、観衆は歓声を上げた。まさに、まさかり投法健在である。

IBLJと鍵山誠氏(その2)

2008-07-21 | プロとアマ
 YBC東京臨時事務局では、加藤副部長が待機していた。神保町界隈は、食事をするには旨くてリーズナブルな値段の店が多い。栄養をつけたければ「いもや」があるし、私の好物のピザなら「ボーナマイヤー」があり、ボルシチをすすりたくなれば「ろしあ亭」がある。他にもここには書くわけにいかない隠れた名店もある。この日は、用意しておいたカレー・コリアン・和食の3選択枝から、鍵山氏がチョイスしたインドカレーの「SHANTTI」にした。
 料理もそこそこに、鍵山氏は、独立リーグの現状や方向性、NPBとの交流、スポンサーやマスコミとの関係、北信越(BCリーグ)との連携など、大いに語ってくれた。口にしたカレーのようにスパイスの利いた内容を、マイルドなラッシーのような言葉で、2時間以上話し続け、さらに昔懐かしい音楽喫茶の風情を残している「白十字」に場所を移して、語り合った。
 野球界は今、流動期である。過去から現在を見れば、そしてプロ球界だけを見れば、安定期だと見る人も少なくないだろう。しかし、過去から現在そして未来まで構想すると、揺動し流動する時期に入っていると見る人の方が多い。「鍵山さんたちは、今、歴史の1ページを書いているんですよね」と言った加藤副部長の言葉が、私の思いを代弁していた。鍵山氏はややはにかみながら、それに頷いたようだった。
 鍵山氏は私のブログを頻繁に読んでくれているそうで、クラブチームの内情もかなり分かっておられる。独立リーグとクラブチームの関係は、今後、共通理念・共通利益もあるだろうが、利害の対立も生じるだろう。お互いの位置づけはまだ確定していないが、双方とも、プロ球界の中心者たちよりは、日本の野球界全体について考えている(実行力はさておいての話だが)ということは確かでないだろうか。
 YBCも来月は中日本大会、9月には日本選手権予選、10月はJABA伊勢大会と、公式試合が2桁を数えるだけの強さになった。そういう忙しいスケジュールをこなしつつ、選手たちの思いが様々に揺れ動く時期も近づいてくる。選手たちは、より技術の高い集団でプレーしたいと望み、自分の実力と可能性を常に試したいと挑む。中には、YBCからIBLJを目指す者も出てくるだろう。それは、歓迎すべきことであり、同時にYBCが独立リーグに遜色のない戦力のチームにならねばならないと、改めて心を決めることである。

IBLJと鍵山誠氏(その1)

2008-07-21 | プロとアマ
 鍵山誠氏に電話したのは10日程前であった。鍵山氏は、言うまでもないが、四国・九州ILリーグの代表取締役社長である。今年から新たに九州の2チーム(福岡・長崎)が加盟し、その拡大した状況や着実に選手を育成している実績(すでに13名をNPBに送り出している)などが話題になった。
 苦労も多いはずだが、電話の声はそれを微塵(みじん)も感じさせない41歳の若々しさとバイタリティに満ちたものだった。「谷沢さん、上京の折に、是非、お会いしてもっと突っ込んだ話を。」という明るい声で電話が切れた。が、1週間も経たぬ7月16日、電話がかかってきた。同じ声だった。「今日から東京にいますので、お忙しいと思いますが、云々・・・」その行動の敏速さには敬服するしかなかった。
 私もたまたま授業や講演など昼間の仕事があったので、互いに身体の空く18日夜に歓談しようということになった。その日は、鍵山氏もプロ球団に挨拶に行くので、神保町のYBC東京事務局でおちあうことにした。
 YBCは昨年3月、四国ILの香川、徳島へ遠征した。その際、石毛氏と田口事務局長の尽力で、戦力差がありすぎるというのに対戦できることになった。ところが、香川との試合直前に石毛氏の四国IL社長辞任発表という緊急事態が勃発し、グランドには田口氏が出迎えてくれたものの、石毛氏の姿がなかった。事情もわからず、私の胸中はただ憂慮の2文字に覆われたが、新社長だという青年と会うことになって、石毛氏のパイオニア精神は、別の形でこの青年社長・鍵山氏へ受け継がれているのを知った。

クラブチームの公式戦(その3)

2008-06-04 | YBC前進
 早速久保田コーチから電話が入った。「棄権は避けましょうよ。選手たちに(参加への)努力するよう働きかけますから。棄権だけは・・・」加藤副部長の下へも松村主将からメールが入る。松村君に電話すると「監督!棄権こそ相手に失礼ですよ。お願いします。やらせてください」谷沢「だが、仕事を休めない者はチームに迷惑をかけたという罪悪感が募ってしまう」松村「10人でも戦わしてください」その熱意は尋常ではなかった。小松トップマネも「絶対にやるべきだ」という意見である。
 土曜日は1日中、天候と同じ気持ちでいた。翌日曜は皮肉にも晴れた。だが、金曜日に敗れたYBCには試合がなく、PWPで全体練習を行った。川島・久保田両コーチから20数名の参加があったと連絡が入った。川島コーチは「谷沢、俺がIBMで監督をしていた時も似たようなことがあった。やはり、試合をやりたいという選手たちに、やらしてやろうよ」
 加藤副部長も戦不戦のメリット・デメリットを挙げてきた。戦のメリットは、スケジュールをやりくりできた選手たちの気持ちを尊重してやれる。出場できない選手たちのチーム愛=団結心も維持できる。不戦のデメリットはクラブ選手権への和の乱れ。最悪の場合はチームの溶解・崩壊である。
 このように皆が、いつものように胸襟を開いて、いやいつも以上に思いの丈を語ってくれた。私は。何か淀んでいた河の流れが一気に大海の河口まで流れ去ったような気がした。
 人間の欲は葛藤を生み出す。欲が激しければ業(ごう)が現れて己の正体が垣間見える。欲が抑えられれば解脱した聖(ひじり)のように現実から離れられよう。だが、生きている以上現実から離れる訳にいかない。理想と現実を常に切り分け常に接合していくことしかない。よし、月曜日の試合で出来ることを出来るようにするだけだ、と心が決まった。「有敗而無敗」を改めてかみしめた。
 現状において、我々が出来ることと出来ないことが明確になった。チーム全員の更なる創意工夫と智慧を寄せ合い前進するしかない。
 おそらく、全国のクラブチームの大半はたくさんの悩みを抱え、勝ち上がれば更に悩みが増えているだろう。「へこたれずに大草野球を楽しもうではありませんか」というクラブチームの面々の声が聞こえてきたような気がした。

クラブチームの公式戦(その2)

2008-06-04 | YBC前進
 県連盟が決めた予定では、木・金・土・日の4連戦になるはずだった(途中で2敗すればその後の試合はなくなるが)。4連休をとれる選手はひじょうに少ない。スタメンクラスで半数ちょっとである。初戦の木曜日に欠勤・欠席して試合に出ると、次の金曜日は出勤・出席しなければならない選手が大半だった。やむなく、私は金曜日の敗戦(それも無惨な敗戦)を覚悟した。金曜日を出勤・出席することで土日は試合に参加できる選手は多い。よし、土日の試合を全力で闘おう、と決心した。
 しかし、天候は味方してくれず、木曜日の試合は金曜日に延期になった。当日、球場に来られたのは、スタッフ3名、選手10名である。正捕手・準捕手の2名も会社を休めない。準々捕手は学校をやすめない。結果は、推して知るべし。7回コールド負けだった。そして、順延で金土日の日程は土日月に変わり、YBCは日月の連戦になる。
 が、金曜の夕方から降りだした雨は土曜日も続くことが確実になった。試合はさらに順延になり、YBCの試合は月火になる。つまり、当初は木土日の予定だったのが、実際は金月火で、頼みの土日は試合がないというとんでもない事態になったのである。私は暗澹(あんたん)たる思いに沈んだ。
 雨音が強くなっている金曜日の深夜、私は心を決めて加藤副部長と協議し、試合を棄権することに決定を下した。翌日、小松ヘッドマネに一斉メールの送付を頼んだ。それは以下の文面である。
 「月・火の公式戦はキケンすることにします。理由1、雨天順延が2度続き、選手が欠勤・欠席などの変更で大変であること。理由2、不十分な戦力で試合を行うことは相手チームに失礼であること。わざわざ日程の変更に苦労した選手・スタッフの諸君ありがとう。残念だが、今後の試合に全力を尽くそうではないか」という一方的な通達である。情が入れば迷いも生じる。(「キケン」の文字変換がカタカナになってしまったのは、「危険」を暗示する天の声だったんだろうか)

クラブチームの公式戦(その1)

2008-06-04 | YBC前進
 全日本クラブ選手権千葉県大会&都市対抗千葉県大会1次予選は、ホームページに掲載されているように優勝することができた。創設3年目にして初めての優勝である。その基となったチームの和と闘争力は、松村主将以下選手たちの人格と意志と鍛錬で培われた。またスタッフの献身的な協力には頭が下がる想いである。7月上旬の全日本クラブ選手権南関東大会にはさらに練習を重ねて、昨年以上の成果を挙げたいと願っている。
 しかし、今回は大きなジレンマに直面した。5月29日(木)の2次予選初戦は雨で順延された。平日の開催はクラブにとってはひじょうに辛い。数少ない公式戦はクラブチームの活動の頂点であるから、選手たちもスタッフも何としても参加したい、出場したい。そのために、勤労者は上司と交渉し同僚や部下に頭を下げて了解を取る。もし有給をとれたら僥倖である(多くの人たちが承知しているように、有給は非雇用者の法的な権利だとはいいながら、事実上は無用の権利に等しい)。学生は単位習得が綱渡りになる。とくに実験・実習の多い理系・医系の学生は、欠席は命取りになりかねない。
 それを少しでも和らげるには、意図的にフリーターやアルバイターの選手・スタッフを増やすといい。あるいは、企業チームに準じる形態、レギュラーの大半がいくつかのスポンサー的な会社(野球活動を業務より優先させてくれる会社)に雇用してもらうようにする方法も考えられる。
 YBCもそのようなチームにすべきかどうか、発足以来、幹部スタッフの間でことのあるごとに議論し続けている。門戸を広く開放するというYBCの理念に沿って、今日まではほとんど上記の方法をとらないままで、チーム力は向上してきた。だが、チーム力の向上は、公式戦の試合日数が増えるということであり、平日の試合が増えるということである。

東北楽天の格言・箴言(その2)

2008-05-29 | プロ野球への独白
 3階フロアーには選手食堂も設けられていたが、「ほーっ」と目を見はらされたのは壁面である。通路も食堂も壁、壁、壁は隙間の無いほどに、格言・箴言の類が埋め尽くしていた。例えば、「敵を知り己を知る」「捕手はグランド上の監督である」など、誰の言葉かは記されてないが、「野村の眼」や「野村ノート」から抜粋されたものだと思われた。
 小原氏「さすが、野村監督ですね。飯を食う時でも、監督の言葉が飛び込んでくるんだ」
 岩越氏「いえ、これは監督よりも三木谷さんが選手たちの人間形成のために、自ら選んだ言葉が多いようです」
確かに、メジャーの指導者の言葉も畳一畳分ある。
 岩越氏「これは三木谷さんが気に入っているものです」
さすがに米国で学んだ人らしい好みである。
 28日現在、東北楽天は貯金2で、パリーグ3位をキープしている。交流戦も目下5勝2敗とチームの成長は著しい。それが格言・箴言のせいかどうかはしらないが、この球団は手を変え品を変え、いろいろな機会を利用して、野村イズムと三木谷イズムを浸透させようとしているようだ。2か月ほど前に日経のネットで島田オーナー兼社長のインタビュー記事を読んだ時も、それが感じられた。
 ひじょうに小さいとはいえ、私も組織の長であるが、そこで学習しているのは、リーダー個人の思いが集団の成員一人一人の思いに、どのように結びついていくか、である。リーダーは配下を動かす権力を持っているが、だからといって思い通りに配下を動かすとしたら、配下はリーダーのコマにすぎなくなる。
 「一将功成って万骨枯る」は、私の望むところではない。「万骨」でない人たちから見れば、どれほど戦上手の将軍であっても、たった一度の自分の人生が「枯る」なら、名将は殺戮(さつりく)者と同じである。つまり、一骨も枯らすことなく戦いで勝利を納めなければならないという、あまりにも困難な責務を負うのがリーダーだろう。
 大部分のプロ野球選手にとっては、球界に身を置くのは短い期間である。野村監督は、球界から去った後の長い人生でも通用するような思考法を身につけさせようと考えているようだ。他人の吐いた言葉を咀嚼することは誰にだって難しい。野村監督自身がその思いを年々強めているように見える。だからこそ、普段からじわじわと習慣化する工夫をしているのだろう。
 ひじょうに運良く、球界以外の場を知らずに済んでいる者はじつに少ない。野村監督もその一人である。私もそれにいささか近い人生を歩んでいるのだから、学ぶべきことは多い。球団スタッフであれ、スポーツメディアの関係者であれ、そのあたりをじっくりと考えて欲しいと、いつもひそかに願っている。

東北楽天の格言・箴言(その1)

2008-05-29 | プロ野球への独白
 セパ交流戦が始まった5月20日、東京中日スポーツ紙の仕事で仙台に行った。雨が上がり雲間に日が射す夕暮れ時、北国らしい湿った冷たい風が吹いていた。仙台駅の地下は広いショッピングモールが占めていて、地元の名産・名物並ぶ空間は、グルメでもない私でも時を忘却しそうになる。これまで仙台土産で贈って喜ばれたのは「笹かまぼこ」「ずんだ餅(枝豆を擦りつぶして塗した甘味の餅)」である。今回もそれらを選んだ。
 今年からクリネックスが命名権を得た球場は「Kスタジアム」と呼称が変わり、いっそうアミューズメントパークの色合いを濃くしていた。中日サイドのベンチ前で落ち合った小原記者を、球場横に新設された室内練習場の見学に誘った。
 練習場は一塁側スタンド後方にあり、3階建てで、球団オフィスも兼ねていた。ところが、警備員にあっさり拒否されてしまった。球団によっては、警備がすぐに広報やマネージャーや管理部へ連絡するのだが、楽天はそういうサービスはしない方針のようだった。
 小原氏は「せっかく見に来たのだから、広報に頼みましょう」と改めて連絡をとると、運良く球団広報の岩越亮氏が対応してくれ、室内練習場を見せてもらうことになった。
 そこは神宮の室内練習場に様々なオプションを加味したように、私には見えた。一通り拝見して礼を述べ、辞去しようとすると、岩越氏が「折角ですから他もご覧になりませんか」と勧めてくれて、2階フロアーの球団事務所へ赴くことになった。
 谷沢「球団職員が多いですね」
 岩越氏「広報・宣伝・営業・・・球団業務全般が機能しています。他球団と違うのは、球場使用権が楽天にありますので、その業務に優秀な人材を投入しています」
 岩越氏「谷沢さん、選手ロッカーはこちらです」
 小原氏「昨年、メディアへのリリース時には全館のお披露目がありましたが・・」
 岩越氏「じつは、ここまで案内するのはお二人が初めてだと思います」
 ロッカールームには、数人の選手が試合への準備をしていた。元中日の川岸強君が目に入ったので、「ヨォー元気でやってるか。期待してるぞ!」と声をかけると、照れくさそうな顔をして頭を下げてくれた。

予告先発/マリーンズ×ファイターズ戦から(その3)

2008-05-03 | プロ野球への独白
 さて、バレンタイン監督は「今日はウチは成瀬だから勝てる。むしろ相手が明日の先発をぶつけてくれるほうがありがたい。そうすれば明後日(3連戦の最後)の先発は吉川になるだろうから楽だ」と考えたのだろうか。それとも、「相手が中継ぎ投手では一方的なゲーム展開になり、勝利しても両チームのファンが喜ばない」とでも考えたのであろうか。あるいは、「日本には『敵に塩を送る』という賞賛の言葉もありますね」と日本流深情けを身につけたのだろうか。(もちろん、これはジョーク好きのボビーを真似た私の冗談である。)
 結果はどうなったか。この日のスウィーニーは上出来で、6イニングを3安打3四死球の無失点で終え、2ー0でマウンドを降りた。千葉ロッテは8回裏に同点に追いついたが、すぐに9回表に1点失い、結局3ー2の1点差で敗れた。しかも、翌日は3-6、翌々日は1-6と優勝争いライバルのファイターズに3連敗した。結果論で言うのではない。おそらくコーチや選手たちも首をかしげたのではないか。