以前にも観たことがある、『有りがたうさん』(清水宏監督、1936年)を観てみた。
鉄道のある町まで天城街道を峠二つ越えて走る定期乗合バスが、南伊豆の港町を出発する。
東京に売られてゆく若い娘と母親、いわくありげな黒襟の女、偉ぶった髭の男、その他が客として乗り込む。
運転手は若い青年で、バスに道を譲ってくれる人たちに「ありがとう」と挨拶をすることから“有りがたうさん”と呼ばれている。
出発したバスの車内では、男の客が娘の母親に向かって、「娘さんで良かった、男の子だったら働こうにも働き口がない」と世間話をする。
それを聞いていた運転手も「この頃は毎日失業者が村に帰ってくる」、と合わせる。
それに対して、“有りがたうさん”のすぐ後ろに座っている黒襟の女が、「それでも帰る家がある人は幸せだよ、私なんかは帰る家も分からなくなってしまった」と言う。
そのような人々を乗せて、バスは走って行く・・・
この映画は、オールロケによるため、当時としては先駆的だったと言われている。
そればかりか、車内の人たちの会話と、舗装もされていない山道を行く人々の情景から、その当時の世相が見てとれる。
それは例えば、
すれ違うバスが止まった時に、知り合いのおばさんから「娘さんはどちらへ」、と聞かれた娘の母親が「東京まで」と答えると、
そのおばさんの娘が、「私、東京で“水の江ターキー”を見てきたのよ」とか話す。
また、道を歩いている旅芸人がバスを止めて、後から歩いてくる娘たちのためにことづけを頼んだりする。
そればかりか、村の娘もやはりバスを止めて、流行歌のレコードの購入を依頼したりする。
当時の時代背景は、相当暗い。
産気づいた家に行くために、途中から乗って来た医者は、
「不景気で増えるのは赤ん坊ばっかり。男の子はルンペン、女の子は一束いくらで売られていく。」と話す。
それを聞いている母親と娘。
この17歳の娘は、今まさしく売られていく途中なのだ。
バスがトンネル前で休憩する。
追いかけてきた道路工夫として働く朝鮮労働者の娘は、「道路工事が終わって信州のトンネル工事に行くの」と言う。
「ここで亡くした父のお墓の前を通る時は、時々水をまいてお花を差してあげてね」と、“有りがたうさん”にお願いする。
駅まで送ってあげるよと言う“有りがたうさん”に、娘は、「みんなと一緒に歩くの」と言うのが、印象深い。
“有りがたうさん”は、シボレーのセコハンが安く手に入りそうだから自分でバスの開業をしようと考えている。
二つ目の峠を越える時、
“有りがたうさん”は、「この秋になって、もう8人峠を越えたんだよ。峠を越えた女はめったに帰って来ませんよ」と言う。
彼は、売られていく娘が気になるし、秘かに惹かれている。
黒襟の姐さんはそれに気づいていて、「有りがたうさん、東京にはきつねや狸ばっかりなんだよ。
シボレーのセコハン買ったと思えば、あの娘さんはひと山いくらの女にならずに済むんだよ。
峠を越えた女はめったに帰って来ないんだよ」、と促す。
この黒襟の姐さんが、桑野通子でとっても魅力的である。
“有りがたうさん”は上原謙。
そう言えば、桑野通子の娘、桑野みゆきは若くして引退したし、上原謙の息子、加山雄三は今ではおじいさん。
それを考えれば、随分と古い古い映画だけど、この作品はいつまで経っても共感できる要素がある。
それは、世相を反映しての暗い内容とせず、ユーモアと、上原謙の明るさ善良さが前面に出ていることも関係しているかも知れない。
翌日バスは、売られていくはずだった娘と母親を乗せて、帰り道を港に向かって走る・・・
鉄道のある町まで天城街道を峠二つ越えて走る定期乗合バスが、南伊豆の港町を出発する。
東京に売られてゆく若い娘と母親、いわくありげな黒襟の女、偉ぶった髭の男、その他が客として乗り込む。
運転手は若い青年で、バスに道を譲ってくれる人たちに「ありがとう」と挨拶をすることから“有りがたうさん”と呼ばれている。
出発したバスの車内では、男の客が娘の母親に向かって、「娘さんで良かった、男の子だったら働こうにも働き口がない」と世間話をする。
それを聞いていた運転手も「この頃は毎日失業者が村に帰ってくる」、と合わせる。
それに対して、“有りがたうさん”のすぐ後ろに座っている黒襟の女が、「それでも帰る家がある人は幸せだよ、私なんかは帰る家も分からなくなってしまった」と言う。
そのような人々を乗せて、バスは走って行く・・・
この映画は、オールロケによるため、当時としては先駆的だったと言われている。
そればかりか、車内の人たちの会話と、舗装もされていない山道を行く人々の情景から、その当時の世相が見てとれる。
それは例えば、
すれ違うバスが止まった時に、知り合いのおばさんから「娘さんはどちらへ」、と聞かれた娘の母親が「東京まで」と答えると、
そのおばさんの娘が、「私、東京で“水の江ターキー”を見てきたのよ」とか話す。
また、道を歩いている旅芸人がバスを止めて、後から歩いてくる娘たちのためにことづけを頼んだりする。
そればかりか、村の娘もやはりバスを止めて、流行歌のレコードの購入を依頼したりする。
当時の時代背景は、相当暗い。
産気づいた家に行くために、途中から乗って来た医者は、
「不景気で増えるのは赤ん坊ばっかり。男の子はルンペン、女の子は一束いくらで売られていく。」と話す。
それを聞いている母親と娘。
この17歳の娘は、今まさしく売られていく途中なのだ。
バスがトンネル前で休憩する。
追いかけてきた道路工夫として働く朝鮮労働者の娘は、「道路工事が終わって信州のトンネル工事に行くの」と言う。
「ここで亡くした父のお墓の前を通る時は、時々水をまいてお花を差してあげてね」と、“有りがたうさん”にお願いする。
駅まで送ってあげるよと言う“有りがたうさん”に、娘は、「みんなと一緒に歩くの」と言うのが、印象深い。
“有りがたうさん”は、シボレーのセコハンが安く手に入りそうだから自分でバスの開業をしようと考えている。
二つ目の峠を越える時、
“有りがたうさん”は、「この秋になって、もう8人峠を越えたんだよ。峠を越えた女はめったに帰って来ませんよ」と言う。
彼は、売られていく娘が気になるし、秘かに惹かれている。
黒襟の姐さんはそれに気づいていて、「有りがたうさん、東京にはきつねや狸ばっかりなんだよ。
シボレーのセコハン買ったと思えば、あの娘さんはひと山いくらの女にならずに済むんだよ。
峠を越えた女はめったに帰って来ないんだよ」、と促す。
この黒襟の姐さんが、桑野通子でとっても魅力的である。
“有りがたうさん”は上原謙。
そう言えば、桑野通子の娘、桑野みゆきは若くして引退したし、上原謙の息子、加山雄三は今ではおじいさん。
それを考えれば、随分と古い古い映画だけど、この作品はいつまで経っても共感できる要素がある。
それは、世相を反映しての暗い内容とせず、ユーモアと、上原謙の明るさ善良さが前面に出ていることも関係しているかも知れない。
翌日バスは、売られていくはずだった娘と母親を乗せて、帰り道を港に向かって走る・・・
『有りがたうさん』という題名からして レトロでいいですね。
2-30年ほど前でしょうか 母たち三婆が集まってお茶している時の会話が
上原謙はまっことええ男やった 顔は似てないが息子は歌はうまいね。
桑野通子はきれいやったね 娘のみゆきはかわいいけれど
母に比べたら だいぶん器量が落ちるね。
入江たか子はそりゃきれいやった 娘の若葉はこれも親ほどはいかん。
水谷八重子は姿もええしきれいやったが 娘の良重は どだい話にならん
母親に顔が似りゃよかったのに 顔は似んと がらがらの声だけ似て気の毒。
とまあ言いたい放題 お菓子食べ放題を なんとなく聞いていた私です。
考えたら当時の母たち三婆は 今の私くらいの歳だったと思います。
黒沢映画の『赤ひげ』には加山雄三さんと桑野みゆきさんが出ていましたね。
若い医者を演じた加山さんも もう80歳を越えました。昔は若大将だったのにね。
上原謙さんの作品は原節子さんとの『めし』『山の音』
芥川比呂志さんが出ていた『煙突の見える場所』を
いずれもBSプレミアムで 相当前に観ました。
お母さんたちのお話、そのとおりだと思い、そしてその場の状況も目の前に浮かび笑ってしまいました。
『赤ひげ』は当時、試写会で観ました。
三船敏郎と加山雄三の師弟関係、あの作品が黒澤監督の同時代的に観た最初の作品でした。
だから印象は強く、同年代の二木てるみが憑かれたように床を拭くシーンが強烈でした。
それと内藤洋子も覚えているということは、年齢的に共感があったのでしょうか。
その点、少し年上の桑野みゆきは、残念ながら記憶に残っていない状態です。
でも桑野みゆきの場合、当時たくさんの作品に出ていたせいか、どの作品とかはわからなくてもよく馴染んでいた人でした。
古い作品を昔から観ているせいか、上原謙とか、関口宏の父・佐野周二とか、中井貴一の父・佐田啓二に親しみを感じてしまっています。
その点、今の若い俳優、特に女優はみんな同じように見えてしまい名前も覚えられず、最近では名を覚える気力もなくなりました。
自分では年を取ったとは自覚していませんが、これがはやり老年の証拠かなと冷や汗をかく現状です。
それでも気持ちだけであっても、精神的には若くしていたいなと思っています。