信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

グリーンパークブリッジ周辺からの風景&長野県町村会先進地視察2日目

2024年09月26日 | 私の活動報告
 9月26日(木)は晴れて、日差しがたっぷりと降り注ぎ、昼間は気温が上昇し、汗をかく夏の暑さが戻りました。

グリーンパークブリッジ周辺からの風景
△▽ 毎朝恒例の写真と動画は、先日撮り溜めの朝日が差してきたグリーンパークブリッジ周辺からの風景です。


 長野県町村会先進地視察2日目は、ホテルを午前9時15分に出発し、余市町に伺いました。余市町の先進地視察として、齊藤町長はじめ橋端課長や職員の皆さんにご対応をいただきました。

 最初に我が長野県町村会羽田会長から、視察対応に対しての御礼や、23町35村の長野県、ワインバレー構想の話などの挨拶をされて、北澤次長から出席者の紹介をしていただきました。

 次に齊藤町長から北海道179市町村で後志総合振興局内で20市町村であり、フルーツ栽培が盛んでリンゴからぶどうに転換され、果物栽培がとても盛んであるなどの歓迎の挨拶をいただき、続いて余市町の産業振興について説明していただきました。

 齊藤町長は外務省に入省され、在ロシア日本国大使館など、内閣総理大臣官邸国際広報室、北海道天塩町副町長の後、余市町長になり、現在2期目でした。
 余市町は明治時代からにしん漁で栄え、肥料として使い農業を行い、当時のにしん御殿は、銀座三越と同じくらいの価値があったとのことでしたが、にしんが獲れなくなってきて、リンゴの商業産業として取り組み始めました。

 しかし、リンゴも青森県に抜かれ、リンゴからぶどうとワイン用ぶどうに変わってきました。1974年に最初のワイナリーが出来てから、36年後の2010年に2件目のワイナリーが出来、今は19件になっているとのことでした。
 それは、ワイン特区を取得したこともありますが、長野県小布施ワイナリー次男の曽我貴彦さんが行った研修制度で、家族で移住してきた門下生達が独立して増えてきたとのことでした。

 町長として6年目になり、産業振興には、戦略策定と資金、外交の3本を考えて取り組んできて、町の税収は約16%であり、全国平均は約35%ですが、北海道後志総合振興局では、4番目の自主財源比率であり、多くが当地区では3~4%とのことでした。

 信州ワインバレー構想の長野県の予算付けは、独自ブランディングが出来て素晴らしいと言われ、当町はドイツ系ワイン用ぶどうから、人気のあるシャルドネとピノ・ノワールに植え替えると1.5倍の補助を出し、栽培農家の意見は二つに分かれたとのことでした。

 デンマークコペンハーゲンに視察に行く機会があり、食事の傾向を考え、世界のベストレストランの「ノーマ」に飛び込みで余市ワインを売り込みいき、見事に気に入られ、6年前定価4,000円のワインが、プレミアが付いて、9,000円だったワインが、今では90,000円になっていて、なかなか手に入らす、ふるさと納税は10億円近くになり、その内ワインは3割ほど占めているとのことでした。

 人財戦略では、地域おこし協力隊として、マスターソムリエの方などを雇い、オーストリアのリーデル社と日本で初めて連携協定するなどマーケティングを屈指してきて、ワイン産業は観光、建設など裾野が広く、人口減少の状況に地域に富を蓄積して、持続可能な町にしたいとのことでした。
 その他にも様々なお話をお聞きし、我々とも担い手の確保や農業所得の向上等の農業問題、6次産業化、地方創生、外国からの参入などの意見交換をし、とても勉強になる研修ができましたことに感謝を申し上げます。


 余市町は日本のウイスキーの父と呼ばれるニッカウヰスキー創業者「竹鶴政孝氏」が、第一の蒸溜所建設の地として選びました。日本のスコットランドと称される気候と豊かな自然の中、創業時と変わらない伝統の技を今に受け継ぎ、力強く重厚なモルト原酒をつくりつづけて90年になるとのことでした。

 普段は見学コースになっていない、余市蒸溜所正門の2階会議室に招いていただき、机も椅子もガラス等の当時のままで、歴史を感じる趣のある室内は別世界のようでした。

  2022年2月、キルン塔(第一乾燥塔)をはじめとする複数の施設が、日本のウイスキー産業発展におけるかけがえのない歴史的資産として認められ、重要文化財に指定されました。

 発芽した大麦をピートでいぶしながら乾燥させ、麦芽をつくる施設の乾燥塔(キルン塔)は、今は使用していませんが、いぶした臭いが感じられました。

 もろみをポットスチルと呼ばれる単式蒸溜器で2回蒸溜し、余市蒸溜所では伝統的な石炭直火蒸溜により、力強く重厚なモルトウイスキーがつくられていました。


 創業者・竹鶴政孝氏の執務室として1934年7月に建てられ、ニッカウヰスキーの原点となった旧事務所の看板の「大日本果汁株式会社」の日本の「ニ」と果汁の「カ」を取って、「ニッカ」と付けたとのことです。

 竹鶴政孝氏がリタ夫人と暮らした余市町の郊外山田町の住居を、2002年に移築し、和洋折衷のスタイルは夫妻の生活様式を反映していました。特別に室内も案内していただき、お二人の生活の様子をお聞きし、記念撮影をさせていただきました。


 創業時に建てられた貯蔵庫のある場所は、元は余市川の中洲で、床は土のままで適度な湿度が保てるよう、また、外壁は石づくりで夏でも冷気が保てるように設計されていました。

 ニッカミュージアムは、ウイスキーづくりの時間の流れをブレンダーに焦点を当ててご紹介するコーナーや、ニッカウヰスキーを代表する4つのブランドに関する展示を通して、ニッカウヰスキーの魅力に触れていただくことのできる見学施設でした。
 テイスティング・バーは、蒸溜所限定商品を含むニッカウヰスキーの様々なおいしさをお楽しみいただけるコーナーでした。

 スペース中央に実際のポットスチル(蒸溜器)を配し、蒸溜から長い年月の貯蔵を経て生まれるウイスキーの時の流れに想いを馳せながら楽しめる空間演出を施していました。

 工場長さんはじめ関係の皆さんには、普段視察出来ない場所までご案内いただき、丁寧に詳しくご説明いただき、ニッカウィスキーの創業者・竹鶴政孝氏の足跡と伝統の味を継承している技術などを研修でき感謝申し上げます。

 2日目の最後は、広大な牧草地で羊たちが草を食む、北海道らしい牧歌的な風景が広がり、眼下には石狩平野の雄大な景色を一望できます「さっぽろ羊ヶ丘公園」に行き、1976年、ボーイズ・ビー・アンビシャス(少年よ、大志を抱け)の言葉で有名な北海道開拓の父「ウィリアム・スミス・クラーク博士の立像の前で記念撮影をしました。

 本日生坂村では、小学校でイクサカラットリンタイム・金管練習、中学校でかしわ祭準備45分短縮特別日程③・放課後リハーサル(生徒会)、乳幼児お下がり会、健康応援隊in小立野、民生児童委員協議会定例会などが行われました。




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