原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

秋桜(コスモス)

2011年08月19日 09時26分27秒 | 携帯電話用

 もう八十はとうに過ぎているお婆さんがいる。身長は145㎝ほど。腰が曲がっているので実際はもっと背が低く見える。日差しの良い日は、腰に手をやりながらゆっくり外を散歩している。そんなお婆さんの唯一の楽しみが畑いじりであった。曲がった腰で鍬を使い、地面に座り込みながら草むしりをする。傍から見ると、まるで畑をなめるように触っているとしか思えない。キュウリや白菜などの野菜を作る傍らにコスモスも植えていた。二週間ほど前から、じっと畑を見つめ続けているおばあちゃんの姿があった。どうやら自分が育てたコスモスの成長を、楽しみながら見ていたようだ。

コスモスを眺めるおばあちゃんのそばを通った。ふだん通り「こんにちは!」とあいさつをした。「ハーイ!」おばあちゃんはいつも、こんな風にあいさつを返す。耳が少し遠いが、あいさつはわかるらしい。決してボケているわけではない。笑いながら通り過ぎようとした時であった。おばあちゃんが声を出した。

「オラのコスモス、いいべ!」

なんと、コスモス自慢を始めたのだった。過去にこんなことはなかった。よほどうれしかったのか。

「そうだね、きれいに大きくなったね」

そう答えた。耳が遠いから全部が理解したかどうかは不明だが、こちらの意思は伝わったと思う。

「いいべ!」再びおばあちゃんは言った。うれしそうに顔をくちゃくちゃにして笑った。

会話はそれだけであった。が、なぜかその時の、一瞬が、心に残った。

コスモスはすでに背丈が2mほどに伸びている。おばあちゃんよりはるかに大きい。そんなコスモスを丹精込めて育てた、という感慨があったのだろう。いつも眺めていたのは我が子の成長を見る思いと同じであったのかもしれない。同時に、自分のコスモスを誰かに褒めてほしかったのかもしれない。通りすがりの者にさえ自慢をする気持ちが、なんとなく理解できる。もう少し褒め言葉を加えてあげても良かったのでは、そんな思いが後になって湧いた。

(80歳過ぎのおばあちゃんが育てたコスモス)

私の母も畑いじりが好きであった。好きというより、昔は当たり前のことだったのかな。自宅の小さな庭に、トウモロコシ、キャベツ、イチゴ、トマトなど植えていた。食糧難時代の名残なのかもしれない。どこの家庭もそうしていたような気がする。時折、畑仕事を手伝わされたが、私はまったく苦手であった。収穫したものをいつも食べていながらである。今になってそのことを少し後悔している。もう少しあの時身を入れていたなら、畑ぐらい自分でできるようになったのかもと。

歳とってから母は花壇づくりに精を出す。名前の知らない花が今も実家の庭に咲き乱れている。私が苦手のために、母の花壇は今や荒れ放題となってしまった。どうやら私のDNAには母のそうした素質や嗜好は遺伝されなかったらしい。

人類が畑を作り始めたのは稲作が始まった弥生時代より前の後期縄文時代からだという説がある。農業は食料を調達する手段として考えられたものだが、それだけでは無く、いろいろなことを人類に教えた。土とのかかわりから大地や地球を知り、種を植える時期や収穫のために季節を知り、時の経過の概念を知った。太陽という存在や月の存在も農業のためにその価値を知ることになった。宗教もこうした背景で生まれている。種を植え、芽を出させ、成長させる。そして収穫という一連のサイクルが、人類のサイクルの基本になった。畑仕事こそ、いろいろな意味で、いまある人類の原点になっていることはたしかだ。

科学技術が進み、原子力の開発がどんなに進んだとしても、人類の原点はやはり大地という自然とともにあることを忘れてはいけないのかもしれない。

畑いじりが苦手の私は、狩猟民族のDNAだけしか残っていない。それだけで時代遅れとも言える。

おばあちゃんのコスモスへの思いを、私ももう少し大切にすべきなのだ。そう思いながら、母に線香をあげ、お盆を過ごした。いまだ放置したままの花壇のことを詫びながら。

コスモスはメキシコが原産である。日本には明治期にイタリア人によって持ち込まれたとか。今ではすっかり日本にすみついているいるようだ。渡来当時は「あきざくら(秋桜)」と呼ばれていた。英名のコスモスは宇宙のコスモスからきているらしい。星がきれいにそろう宇宙に見立てて、花の名にコスモスと付けたと聞いた。いまでは秋桜と書いてコスモスとも言う。このようになったのは1977年に発売された、山口百恵の歌「秋桜(コスモス)」(作詞作曲:さだまさし)が大ヒットしてからのことだという。歌の伝播力はやはりすごい。

コスモスの茎は蔓のように細く頼りなく見える。しかし、この花の強さはゾンビも驚く。台風などで倒されても、地面に着いた茎から新たな根を出す。外来種の本来的な強さを持っている花なのである。明治時代に日本にやってきて、瞬く間に日本中を席巻した理由はここにあった。

コスモスをシンボルとする市町村はたくさんある。わが標茶町のシンボルも実はコスモスであった。言われて気付いたが、わが町のいたるところでコスモスが咲いている。シンボルなのだから当然であった。だが、この訳を知っている町民はどれほどいるだろうか?


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
男と女! (numapy)
2011-08-19 12:22:20
男が花にあまり興味を持たない、というのは人類が肉食を始めた頃からのDNAかもしれませんね。
男は獲物を捕ってくる。女はそれを分配する。そんな役割が、植物を育てる、花を育てる、という本能的な嗜好に変化してったんじゃないかと、勝手に仮説を立ててます。
草むしりに長時間精を出す作業は、とても耐えられない!女は偉いと思います。
ところで写真、キレイですね。少しいいコスモス撮りたいのだけど、いいのが見つからない・・。
返信する
私の場合は土いじりが苦手 (原野人)
2011-08-19 13:36:06
花には興味があるのですが、土に触るのがあまり得意ではない。前世に何かあったのではと。
標茶にはいたるところにコスモスが咲いてます。道東では、この花が咲くころから、秋は急速に早まります。本州ではまだ暑い日が続くと言うのに、夜はちょっと肌寒い。申し訳ない気持ちです。
返信する

コメントを投稿