原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

台湾シリーズ⑥―八田與一物語(2)

2012年08月31日 08時04分20秒 | 海外

 

台湾に貢献した日本人として、李登輝元総督も最初にその名をあげる八田與一はダム建設により台湾の華南平野を大穀倉地帯に変身させた功労者であった(前回までのあらすじ)。1930年に完成したダムは、いまだに現役で稼働している。清国が「化外の地」と例えた台湾の近代化に、日本がいかに尽力していたかが分かる。同じ植民地とした朝鮮半島でも日本は同様の政策をとっていた。にもかかわらず韓国や北朝鮮は反日教育を徹底し、日本に対する感謝など全くない。台湾の人とは真逆。その理由は国民性の問題なのかもしれない。


(台湾総督府。日本時代に建築されたもの。戦争で一部破壊されたが昔のままに再現されている)

土地の人ともに働き、人情味あふれる八田與一の人柄は地元の人にも深く愛された。灌漑用水路が完成した後の一九三一年に、地元の人たちが集まって八田に対する感謝の一つとして、彼の銅像を造ることを提案し。それを聞いた八田は頑として拒否する。理由は、偉そうに建つ銅像の姿を嫌ったからであった。八田はそういう人物であった。いかにも明治時代の日本人らしい。そこで、選ばれた銅像の姿は自然体の普段の姿の八田を表わすものであった。それで八田の了承を得たのである。それが今に残る作業服を着て座る銅像となった。決して偉ぶらない八田の姿と考え方が生かされた銅像であった。

この姿は八田が物事を考えたりする時の独特のもので、髪の毛を触るのも癖であった。機嫌の良さを占う仕草でもあったと伝わっている。何か相談したい時は、この動作を見てから相談したと、今も台湾の人に語り継がれている

この銅像をめぐる話はその後も逸話として残されている実は銅像が破壊される危機が二度あった。一度目は終戦末期、物資不足の戦時下で金具類の供出を求められた時。銅像もその範疇であった。もう一度は終戦で日本が去、蒋介石が台湾を掌握した時である。蒋介石は日本的なものをすべて排除している。神社はその槍玉に上がった最たるものであった。日本人の銅像も然りである。銅像は破壊される運命であった。しかし、二度とも地元の人がこれに従わなかった。誰かが密かに銅像を隠した。一時行方不明となる。随分時間を経てから、隆田駅の倉庫で銅像は発見されている。まだ蒋介石が存命中であったので、再び隠された。後年になって買い戻され、元の位置に戻ったのは一九八一年であった。蒋介石の死後である。銅像は嘉南の人たちの手で隠し通されていたのであった。



八田與一はダム建設の後、再び官吏として復帰。水利事業にまい進する。一九四二年にフィリピンの水利工事建設を命ぜられ、船で向かう途中の五月八日、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受け輸送船は撃沈。八田はここで五十六歳の命を失う。彼の亡骸は偶然に日本の漁船に引き上げられ、故郷の金沢に埋葬された。残された妻の外代樹は衝撃を受けるものの、子供たちを守り、台湾の嘉南に疎開し、そこで終戦を迎えている。日本人は全員台湾を去らなければならないことが決定される。前から決めていたことなのか、台湾を去ることを嫌ったのか、それは分からないが、一九四五年九月一日に、外代樹は夫與一が完成させたダムに身を投げる。嘉南のたちは心から哀しみ、悔しがったという。盛大な葬式を行い、夫とともに入る墓を立てた。その墓は今も八田與一の銅像の後に残されている。嘉南の人たちは銅像の前を通るとき、必ず銅像に向かって手を合わせる。毎年五月八日には盛大な式典が今も行われている。

(妻の外代樹が身投げをした場所と推定されている発電所そば)

近年の珊瑚潭はその美しい湖畔風景を利用して、観光地公園としてきれいに整備されている。八田與一の銅像のそばには当時の輸送に使用された機関車なども展示され、ダムや放水路なども公開されている。二〇〇一年には放水路の近くには八田與一記念館が完成した。彼の功績と嘉南平野の歴史が語り継がれている。湖の北側はおおきな公園となってい。その名は中正公園。湖を見渡す堰堤の上には巨大な蒋介石の銅像が立っている。背を伸ばして立ち上がるどこにでもある代表的な銅像の姿であった。八田が一番嫌った姿の銅像の姿がそこにあった。それが逆に八田の人間性を思い出させる別の効果もあるように思えた。

(八田與一博物館)

周辺には北京にある天壇のコピーがあり、牌坊も立っている。なぜこのようなものがここにあるのかよく理由は分からないが、公園として使われているのは確かであった。公園内には国民宿舎、休憩所、ボーイスカウト・センター、レンタルボート乗り場などがある。美しい自然を楽しむ行楽地として穏やかな風景が流れていた。八田與一の残した遺産とともに。

明日91日は八田與一の妻外代樹の67回目の命日である。



*台湾についての過去ログも参照ください。

200923日 西郷菊次郎

20101224日 元日本人

20121216日 明石元二郎 台湾シリーズ①

201223日 本省人と外省人 台湾シリーズ②

2012316日 芝山巌事件 台湾シリーズ③

2012828日 八田與一物語(1) 台湾シリーズ④


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2 コメント

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明治人! (numapy)
2012-08-31 11:25:12
八田與一のことは、後藤新平だったか、誰のはなしだったかで知ってましたが、奥さんのことは知りませんでした。
それにしても明治の人たちのケレンミのない生き方は感動ですね。時代を経るに従って、段々マネーウイルスに侵され、人間が小粒になってきた。これは世界中そうだと思います。
ロムニーなどを大統領に選んだら、アメリカは潰れますね、間違いなく!
技術日本の象徴 (genyajin)
2012-08-31 13:16:25
多くの日本人は気付いていることだけど、日本は技術力の国だと思います。それで世界に君臨できた。ところが上り詰めると前身力がなくなります。その結果、マーケティングで韓国に負けてしまった。でもこれからですよ。日本の真骨頂が発揮されるのは。そう期待したいです。でも政治はダメですが。
アメリカ大統領は結局オバマだと思います。モルモン教の大統領は黒人より抵抗感があると思いますから。

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