原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

吾(地球)を一周せし、最初の者

2010年08月27日 09時02分45秒 | 海外
地球を最初に一周した人物は、マゼラン海峡を発見したマゼランと思っていたら、マゼランは航海途中のフィリピンで亡くなっている。彼の後を継いで船団を率いてスペインに帰ったのがファン・セバスティアン・エルカーノであった。最初の世界一周者として名誉を受けたのである。日本ではあまり有名ではないが、スペインのバスク地方にあるゲタリアという小さな港町(人口2628人)が出身地。彼の銅像が町の名物となっている。

彼は1522年9月6日にスペインに帰還。3年に及ぶ長い航海が終わる。その航海がいかに過酷であったか。出発した時の船団が5隻。帰還したのはたったの1隻。総勢265名の乗組員は18名になっていた。しかし、スペインにもたらした利益は莫大なものであった。たんにスパイス貿易の利益だけではない。新天地への進出はそのまま領土拡大につながる。マゼラン一行の航海はまさに侵略への航海であったからだ。
彼らは右手に銃、左手に聖書をもっていた。力で征服すると同時にキリスト教の布教も合わせていた。南米大陸の海岸線で生活していた先住民族がそのために滅亡していったという歴史も併せ持っていたのである。この話は長くなるので、元に戻そう。

(ゲタリアは中世時代の面影の残る街。中央に見えるのがサンサルバトール教会)

カルロス一世がエルカーノに授与した紋章は、地球の図の上にPrimus circumdedisti meと文字が記されていた。「吾を一周せし、最初のもの」という言葉である。世界一周を認めた言葉であった。
ところが近代になって、この世界一周に異論を唱える学説が出てきた。一つはマゼランの奴隷であったマライ人のエンリケであるという説。彼はフィリピンから奴隷としてスペインにつれてこられ、マライ語ができるということでマゼランに同行した。従って彼がフィリピンのセブ島に着いた時点で世界一周を成したことになる。一つはやはりマゼランだという説。以前の航海でガマが発見した喜望峰を回る東コースでフィリピンまで行っている。従って西回りでフィリピンについた時点で世界一周ができた、と説く。
最近ではもっとすごいのが出ている。最初の世界一周者は中国人だという。それもエルカーノの400年以上も前だというのだ。その名は鄭和。軍団を率いて東南アジアからインド洋を闊歩した軍人である。彼が大西洋もしくは太平洋を渡っていたというのは推測と想像にすぎない。さらに、世界一周はすでにアラブ人が実現していたという説もある。これとても想像の域を出ない話にすぎない。

どのように検証しても、一つの意思(つまり世界一周という)で実現したものはエルカーノの以前にはない。奴隷は自分の意思ではないし、マゼランは途中で挫折した。いくつもの航海を合わせて世界一周というのはやはりおかしい。それをいうなら、大昔のグレートジャーニーやポリネシア人の大航海などについて、さらに検証しなければならないだろう。

(捕鯨の拠点でもあったゲタリア。今もたくさんの魚が水揚げされる。ホッケやアンコウが有名。炭火焼で食べさせる名物レストランもある)

余談だが、昔、ある評論家と争いとなったことがある。ゴルフの「年間グランドスラム」についてであった。グランドスラムというのは、マスターズ、全英オープン、全米プロ、全米オープンの四大タイトルを取ることである。これを年間で達成したゴルファーはまだいないと、私がある本で記述した。それに評論家が咬み付いた。タイガー・ウッズが実現したと、彼は主張した。たしかにタイガーは2000年の全英を皮切りに三つのメジャータイトルをとり、その翌年のマスターズで優勝。四大会連続で制覇している。しかしこれは2年がかりのもの。同じ年にグランドスラムは達成していない、というのが私の言い分である。
この評論家は以前から私に悪意があった。思い当る理由は一つある。ゴルフの原点となったリース(今はない)のコースは6ホール、という彼の主張を私が覆したのが始まりだった。リースの原点は5ホールであった。これが彼のプライドを傷つけたのかもしれない。もちろん私は間違いを指摘しただけである。以来、何かと問題をぶつけるようになる。彼が正しいこともあった、が、多くはどうでもいい話であった。
タイガーの記録についてはアメリカでも議論になった。しかし、やはり年間グランドスラムとは呼べないというのが結論となり、今は『タイガー・スラム』と呼ばれている。

これと同じで、何回かの航海を合わせて世界一周なんて、やはりおかしい。エルカーノ名誉は正しく継続されなければならない。しかしながら、目立とうとするが故に、いたずらな論争を巻き起こす風潮は、困ったものだと思う。

(北スペイン名物ピンチョスがずらり。名産の白ワインやビールのつまみに最適)

大航海時代の有名人はたくさんいる。ヴァスコ・ダ・ガマ、キャプテン・クックなどなど。マゼランを含め彼らはいずれも名誉を得た後も海を目指し、航海途中で命を落としている。あのコロンブスでさえ故郷のジェノヴァ(イタリア)に戻ることはできなかった。当時の海の男たちは、まさに海に生き、海に死んでいった。命をかけてさらに荒波に向かう勇気に、ただ感心する。それに比べて、わが人生は!恥ずかしく、悔い多し。比べるべくもないか。

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2 コメント

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歴史は後世がつくる・・ (numapy)
2010-08-27 10:00:28
自分で歴史を調べていくのは苦手です、というか根性が足りない。努力する胆力が欠けてるんでしょうね。でも、人が調べてくれる歴史は面白い。ラクラク知識が手に入る。無精者にはこよなくありがたい。
そうそう、中国の「王」たちは、天下をとると必ず歴史を書き換えさせたといわれますね。
沢山の真実が生まれるゆえんです。一体事実はどうなってるんだろう?
ダーウィンの名声も、本来ならばウォレスが獲得してたのかもしれない。こうなったら、自分史を美化してくれる若者にさんざん酒でも呑ませておきますかぁ・・。
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事実がすべてではないことも、 (原野人)
2010-08-27 16:18:07
確かに歴史は後世に作られるものかもしれません。特に評価は顕著ですね。どこまでも現代に合わせた感性で評価するものですから。
中国は歴史の書き換えはもちろんですが、前王が作った建造物まですべて取り壊してました。つまり根こそぎ換えてしまうことが目標だったのです。
江沢民が推奨した反日教育の危うさなど当然ですね。歴史認識が違うどころの話ではありません。内容そのものが違うのですから。中国人にそのことをいくら説明しても、理解されませんでした。もっとも、外国に出ている中国人は比較的こちらの言うことは理解していましたね。
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