やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【国語教材論】24 説明文:「見立てる」(5) ~結論:仮説aは成り立たない~

2012年09月08日 | 教育1 小学校国語教材論

※【国語教材論】シリーズは、小学校国語教科書の「説明文」について、主にその「(主観的)現実度」を検討するもの<参照>。「主観的現実度」とは、その作品の真実性、妥当性・適切性などのこと。前記観点での特化した教材論ですが、関連する「指導」についても考えます。原文(引用)は青字

■説明文2「見立てる」作:野口 廣((小学5年用光村国語教科書p38~39)(5)
 教科書を持たない方のために、全文を再掲します。(※原文は縦書き。段落番号、色字化は松永による。)
   見立てる  野口 廣(のぐち ひろし)

(1) わたしたちは、知らず知らずのうちに、「見立てる」という行為をしている。ここでいう「見立てる」とは、あるものを別のものとして見るということである。たがいに関係のない二つを結びつけるとき、そこには想像力が働いている。
(2) あや取りを例に考えてみよう。あや取りでは、一本のひもを輪にして結び、手や指にかける。それを、一人で、ときには二、三人で、取ったりからめたりして形を作る。そして、ひもが作りだした形に名前がつけられる。これが、見立てるということだ。あや取りで作った形と、その名前でよばれている実在するものとが結び付けられたのである。
(3) この場合、同じ形に対してつけられる名前が、地域によってちがうことがある。その土地の自然や人々の生活のしかたなどによって、結び付けられるものがことなるからだ。
(4) 日本でよく知られている写真○1の形は、地域ごとにちがう名前をもっている。「あみ」「田んぼ」「ざる」「たたみ」「かきね」「しょうじ」「油あげ」など、日本各地で名前を集めると、約三十種類にもなる。それぞれの土地の生活と、よりかかわりの深いものに見立てられた結果といえる。
(5) あや取りは、世界各地で行われている。写真○2は、アラスカの西部で「かもめ」とよばれている形である。しかし、カナダでは、同じ形に対し、真ん中にあるトンネルのような部分が家の出入口に見立てられ、「ログハウス」(丸太を組んでつくった家)などという名前がつけられている。
(6) 見立てるという行為は、想像力にささえられている。そして、想像力は、わたしたちをはぐくんでくれた自然や生活と深くかかわっているのだ。
 ※挿絵・写真はここを見てください。

1【現実世界】のなかの、について書かれて(=説明して)あるのか? 
その4

(2) 仮説の検証 
その3
仮説a「見立てる」という思考行為について書いてある。その3
<言語表現に対する疑問(の一部)その2>
 
根本的な疑問・・・第(1)・(6)段落は、体裁を整えるための「つけたし」ではないのか? ~ここまで再掲~

 前回
は文章構成の不自然さについて述べました。
 今回は
第(1)段落第3文に対する疑問について検討してみます。

 たがいに関係のない二つを結びつけるとき、そこには想像力が働いている

 この文をすなおに読むと、次の段落で実例として書かれている、(たまたまできあがった)あや取りの「あみ」と、実際の「網」は、《「たがいに関係がない二つ」の物》ということになりますが、本当に「関係がない」のでしょうか?
 《後で「あみ」と名づけられたあや取りの》と、《実際の「網」の形》似ているからこそ、あや取りの名として「あみ」と名づけられたのではないでしょうか。
 この場合、普通は、5年生もその親も先生方も、「二つの物には関係がある」と思われるのではないでしょうか。
 そうすると、「たがいに関係のない」という語句の意味が理解できなくなります。

 そこで、どうしても《どういう理由でこの理解できない、あるいは誤解しやすい第3文が書かれたのか「教材分析」するしかありまん。

 ・「物と物の関係」って?・・・めんどくさくなりますがつきあってください。
(※小学生の教材文ですから、ここではハイレベルの「相対性理論」や「量子力学」のようなハイレベルの物理学ではなく、低レベル(?)の古典的物理学の知識で考えてください。それでさえ私が正確に理解しているかどうかはよく分かりませんが…)

 この説明文では、「ある物」と「別のある物」の「関係」のことを述べてあります。
 
 1.「ある物」と「まったく同じ物」は物理的に存在することはできない。したがって、どんな「二つの物」を比べても、必ず「違う物」である。
  ※たとえどんなに同じ物に見えるとしても、同じ時空間を占めることはできないので、「まったく同じ物」ではない。
  
  ここでとりあえず、この筆者は上記の意味で「たがいに関係のない二つ」と表現しているのだ、と解釈しておきます。

 2.「どんな二つの物も必ず違う物である」のに、ヒトは「関係がある」と言う。「関係」とはなんのことを言っているのだろうか?
  ※ここでは《できごととできごとの関係である「因果関係」や、心理的な「人間関係」ではなく、「物と物との関係」だけについて考えます。

 ・【りんご】と【ミカン】は関係がある。なぜなら、どちらも果物、あるいはどちらも果樹園にある、あるいは…
 ・【熟したトマト」と「テントウムシ」は関係がある。なぜなら、どちらも赤い色。
 ・【ボルト】と【ナット】は関係がある。なぜなら、二つとも鉄でできている。あるいは二つは組み合わせて使われる、など。

 このようにみてくると、「物と物との関係」というのは、おおむね《ヒトが複数の物について見つけ出した「共通性(=共通の属性など)」》のことを意味しているようです。
 したがって、第3文の「結びつける」の意味は、「物と物を結んだりくっつける」という具体的行為ではなく、「共通性を見つける」とか「関係づける」という、脳内の働きを表していることが分かります。

 その脳内の働きは、《分析し、比べ、共通性や相違性について認識・評価する》などの能力、つまり「思考力(の一部)」ということです。
 (※第3文では「想像力」ではなく、「思考力」や「考える力」と書く方がより正確で分かりやすいのではないでしょうか? 「ロマンチック?」ではなくなりますが…)

<仮説aについての検証の結論>

 
第(1)段落の第2・3文を、(おこがましくも)いくらかでも分かりやすく(=直接的な表現で、かつ、できるだけ短く)書きなおしてみました。

 
ここでいう「見立てる」とは、「あるもの」を、「別のものを表すもの」として見るということである。たがいに関係のない二つのものを関係づけるとき、そこには「思考力」が働いている。

 
はっきり言えば、この表現にしたとしても、内容が複雑で、かつ高度に抽象的なので、これだけでは5年生にとってとても理解が難しい文章です。
 しかも、第2文の意味内容に比べて、第3文の意味内容はより多く、より抽象的になっています。
 ですから、普通はこの第2・3文の「難しい意味」を理解させるために、いくつかの具合例をあげて説明するはずなのですが、実際に(2)~(5)段落に書かれているのは、「あや取りの名前のつけ方」という題がふさわしい《とても分かりやすくて、身近なところから世界にまで視野が広がるとても良い説明文》です。

 ということで、仮説aは成り立たないと結論します。

 この説明文は、著者の野口さんは「あや取り」のことを書きたかったのに、《なんらかの理由で「想像力」についてまで題材を広げざるをえなくなった》説明文なのではと推理いたします。

 ~次回は、仮説bcdとまとめ~

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