東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

伝説の野外フェス

2013年04月30日 09時38分30秒 | 音楽の話

「伝説のライブ」が28年ぶりによみがえる・・・のタイトルの記事。1985年に国立競技場で開かれ、6万3000人を動員した野外音楽フェスティバル「ALL TOGETHER NOW」の音源が来月ラジオで放送されるとのこと。

このイベントでは、はっぴいえんどが1日限りの再結成を果たしたほか、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利、坂本龍一、松任谷由実による「サディスティック・ユーミン・バンド」も出演。若き日のサザンオールスターズやチェッカーズ、佐野元春らも参加し、各アーティストが貴重なライブアクトを繰り広げた。

【出演者一覧】THE ALFEE / アン・ルイス / イルカ / オフコース / 加藤和彦 / 後藤次利 / 財津和夫(チューリップ) / 坂本龍一 / サザンオールスターズ / さだまさし / 佐野元春 with The Heartland / 白井貴子 / 高中正義 / 高橋幸宏 / 武田鉄矢 / チェッカーズ / はっぴいえんど(大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂) / ブレッド&バター / 松任谷由実 / 南こうせつ / 山下久美子 / 吉田拓郎 / ラッツ&スター

実はこのライブを友人と観に行っていた。もう28年前、19歳の時である。かなり遠くの席で、現在のように大型ビジョンでアーティストが映し出されることもなく、目を離すと米粒よりも小さいアーティストたちを見失いそうになるような環境だった。当日は確か曇り空で入場前に隣の神宮球場で(六大学?)野球観戦をしたな~とか、サザンがチラシに記載されていないのはサプライズで登場した為だったが、他のアーティストが登場前にうっかり発表してしまったんだよな~とか、山下久美子がライブ中にポロリと出ちゃったんだよな~とかすかな記憶が蘇る。

残念ながら当時の記憶があまりないのは、豪華過ぎる出演者のせいなのか?それとも28年という歳月なのか?ラジオをチェックしてもう一度確認してみよう。それにしても改めて出演者を見ると、よくチケットが入手出来たものだな~と感心してしまう。

【明日5/1(水)は定休日です。月初ですけど・・・】

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新人たちの春

2013年04月29日 09時40分12秒 | 不動産屋の話

たどだどしい口調の営業が増えると今年も新人たちの春が来たんだな~と実感する。「的を射ない」「要領を得ない」「あり得ないミス」等々・・・指示された仕事を右も左も自分自身何をしようとしているのかよく分からないままでこなしているのが良く分かる。どんまい、どんまい。そのうち分かるさ。

先日配布されて来たアパートの募集図面。広いロフトが付いていて、吹き抜けで開放感がありそうだと図面だけでイメージが膨らむ。ただ・・・よくよく見ると・・・玄関が無い。それは図面上ワンフロアでは明記が出来ない為で、階段下(風呂の下あたり)にあるのだろう。それは別にミスじゃない。

ただその募集図面には肝心の「賃料」が抜けていた。果たしていくらなんだろうか?

そもそもこの図面を新人さんが作成したかどうかは不明だけどね。

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妻からのDV増加中

2013年04月28日 10時11分28秒 | ニュースの話

Yahooニュースより

近年、妻からのドメスティックバイオレンス(DV)の相談事例もが増加している。「妻には『自分の時間を削って子育てをしている』との不満とストレスが日々たまり、それが夫への軽視につながり、暴力へと発展する場合がある。フライパンやワインボトルで夫を殴り殺した事件もあった。暴力だけでなく、侮辱し男のプライドを傷つけるモラルハラスメント的な『言葉の暴力』もあり、こちらのほうがダメージが大きい場合もあるとのこと。

妻のストレスがDVへと変わってしまう兆候は、その言葉遣いで見分けられる。男言葉で怒鳴りわめき散らしだすと要注意だという。「早く食べ終えてくれないと後片付けに困るじゃない!」はまだOKだが、「いつまで食べてんだよ!」は相当に危険ゾーン。「グズなんだよ。おまえは!」は完全OUT。DV被害にあってしまう夫には妻に優しい、几帳面、家事をよく手伝う、普段から粗野なそぶりを見せないなど共通した人物像が浮かび上がってくるという。

「妻の指示通りにゴミ捨てや掃除などを手伝う夫は、DVに傾きかけている妻には奴隷に見えてしまう。だからエスカレートする。乱暴な言葉遣いも、否定されなければ肯定されたことと同じ。『自分さえ我慢して妻の言うことを聞けば家庭はうまく収まる』と考える男性もいるが。これは大間違い。暴言・暴力はどんどんエスカレートする。そんな両親を見て育つと男の子は女性のいいなりになり、女の子は男の子から愛されない子になりやすい」とのことで解決策は1つ。夫がはっきりと主張すること。「家事分担のコレは手伝うがコレはやらない。その言葉遣いはやめろ」と夫としての思いを明確に伝えること・・・とのこと。

目を疑いたくなるようなニュースである。最近私の周りにも非常に家事や育児を手伝う男性が増えている。もちろんそれはとても良いことだと思うのだが、同時に妻への不満の声もよく耳にする。ブログを始めた初期の頃に自分の家事について書いたが、それから7年近くが経過しても、子供の手前、行動で示すことが増えたものの基本的な考え方はあまり変わっていない。

以前、紳助が「(結婚当初は)妻と戦え」と言っていた。もちろん腕力ではなく、自分の希望や主張を伝えろと言う意味なのだが、それはあながち間違っていない。文化や生活習慣が違うふたりが同じ屋根の下で暮らすのだから、当然ぶつかり合う。それを上手く軌道修正して、新しい家庭のルールを作らなくてはならない。譲るべきところは譲歩して、貫くべきところは頑なに貫くことが大切だろう。ただ何事も感謝されるのは「最初だけ」で二回目以降は当たり前になる。ある程度の妥協と協力は必要だが、「初めからそんなに張り切らないこと」が大事なんだろうと思う。 

優しい夫と甘い夫は似て非なるものである。

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いつも彼女と一緒だった・・・

2013年04月27日 09時40分48秒 | 音楽の話

夢を見た。

余りにも意外な人物の登場だったので、目覚めてから近況を確認しようと枕元でネットで調べて見た。検索エンジンに名前を入れると、名前と一緒に「死去」のワードが並んだ。

う、嘘・・・目がすっかり覚めた。

サイトには「先月3日に骨髄異形成症候群のため亡くなった・・・」との文字。

その人は・・・本ブログにも2006年7月2010年11月に登場している須藤薫。高校一年の夏に出会ってから、もう31年のお付き合いである。逝去に際して「よく聴いたな~」とか「好きだったな~」と過去形になるケースが少なくないが、今も私の携帯プレーヤーには彼女のアルバム全曲が入っており、「今も」聴き続けているアーティストのひとりである。

本当に私はあなたの楽曲が好き「だった」・・・ではなく「今も好きだ」。一曲、一曲にキラキラとした眩しい青春の欠片が散りばめられている。高校一年の夏、ユーミンとのライブで衝撃を受け、レコードをすべて集め、カセットテープに録音してウォークマンで聴き、MD、MP-3と機種が変わってもいつも彼女と一緒だった。

学生服姿でひとり観に行った今は無きライブハウス・新宿ルイードを始め、インクスティック芝浦ファクトリー(1987/4/22)、青山ベルコモンズ、(当時の)芝郵便貯金ホール、中野サンプラザ(1988/4/24)や早大の学園祭でのライブも見に行ったものだ。1993年に結婚・出産で休養した頃は、ネット環境がまだ整っていなかった私は所属レコード会社に今後の活動予定等を質問したのが縁で、担当者さんと仲良くさせて頂き、1998年に活動再開の情報等を色々と親切に教えて頂いた。再開後は銀座SOMIDO(1998/12/21)、渋谷CLUB QUATTRO(1999/3/31)、六本木スイートベイジル(1999/12/2)・・・目を閉じれば彼女の歌声が聞こえてくる。私の中でこれだけ多くライブ会場に足を運んだアーティストは他には居ない。もっと見ておけば良かった。

訃報を知った朝、身支度を整えている際、彼女と初めて出会った曲「FOOLISH~渚のポストマン」を流した。享年58歳・・・最後に夢に出て来てくれて有難う。これからも聴き続けます。そしてまたいつかHELLO AGAIN・・・心から合掌・・・

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煮物作り

2013年04月26日 09時54分30秒 | 美味しい話

私の連休初日。晴々とした天候と何も予定の無い自由な一日が私のテンションを上げてくれる。

朝の「彼」との散歩も軽やかに、散歩後には意気揚々と食材の買い出しに出掛ける。牛タンを見つけ、里芋と共にカゴに入れる。牛タンを90分煮込んでいる間に、里芋料理に取りかかる。ごくごくシンプルにイカと大根を入れて「里芋煮」を作る。煮物を作るなんて~と自分自身に感動するが、なかなかこれが美味い。自分の料理センスにクラクラする。 

カレーに添える為に煮込んだ牛タンだったが、出来の悪さにこれまたクラクラして、撮影することさえ省略した。 

帰宅の遅い息子用にオムライスを作る。なかなかの「包み」具合に嬉しくなり、47歳を迎えたこともありケチャップで47の文字を入れる。

あれ?カレーは?それは明晩用である。老夫婦は煮物とちょっとしたつまみがあれば十分だ。

だって今日一日頑張れば、翌日は何も作らなくてもいいからね。

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映画:「やじきた道中 てれすこ」

2013年04月25日 09時28分19秒 | 映画の話

昨年末に勘三郎を偲んで放映されていた「やじきた道中 てれすこ(2007年公開)」を録画して、四ヶ月が経過してようやく観た。

【解説】「東海道中膝栗毛」でお馴染みの、弥次さん、喜多さんの物語に、落語の人気演目「てれすこ」を取り入れた人情喜劇。花魁・お喜乃の手玉に取られた弥次さんが、喜多さんと三人で沼津まで下る珍道中だ。監督は、『愛を乞うひと』の平山秀行。平山監督は、『しゃべれどもしゃべれども』でも、落語を素材にしているが、「落語を取り入れた正統派の時代劇、王道の映画を作りたかった」とインタビューで語っている。主演は中村勘三郎、柄本明の芸達者な弥次・喜多コンビに、花魁役の小泉今日子。『転々』などで、本領を発揮し始めた小泉今日子だが、本作の花魁では女優として見事に開花。勘三郎、柄本の二人に引けをとらない演技を見せている。

勘三郎の実姉・波乃久里子を始め、舞台で共演している藤山直美 、笹野高史 、坂東彌十郎、ラサール石井のお馴染の顔ぶれから、松重豊 、間寛平、吉川晃司 、柳家三三(さんざ)、ベンガルと豪華キャストが次々と登場する贅沢な作品である。キャストを知らずに観たので、登場する度に「おぉぉ」と声を出しそうになる(特に三三)。歩くのが好きな私は三人で東海道を歩く様子をもっと見たくなる。みんなでワイワイガヤガヤ歩くってやはりいいもんだ。そしてキョンキョンはいつまでも私たち世代のアイドルであると再確認しつつも、改めて勘三郎はもういないんだな~と、劇中の笑顔を観ながらしみじみと思う。

それにしても謎の生物「てれすこ」がタイトルにも入っているものの、あまり登場せず、劇中でもあまり重要な意味が無かったのは何故なんだろう・・・

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保存メール

2013年04月24日 09時00分00秒 | 休日のつぶやき

【本日は定休日。予約投稿にて】

会社や携帯に届くメールの中で、何通か「保存」するメールがある。それは今後も利用するような仕事上での内容が少なくないが、個人的にとても感動したり、勇気づけられるメールがある。数としては年に数通であるが、時々読み返してはとても清々しい気持ちにさせてくれる素敵なメールであり、先日も「保存メール」が届いた。恐らく送った本人からすれば何て事の無い内容だと思うのだが、その時の私にとっては非常に「保存に値する」メールの内容だった。感動したぁって感じである

ふと・・・私はこれまで誰かの保存に値するようなメールを送ってたことがあるのだろうか?と思いつつ、また今日もしょーもない文面をせっせと送るだろう

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東大ノーヒッター

2013年04月23日 09時28分04秒 | 野球の話

東京六大学野球リーグの東大-早大2回戦で、早大の3年生高梨雄平投手(埼玉・川越東高出)が早大勢で初、リーグ史上3人目の完全試合を達成した。

六大学リーグでは22人(23度)のノーヒットノーラン達成者で、これで六大学ですべての大学が達成した・・・との記事を読み、六大学「すべて」で?とすぐに達成者一覧表に目を移した。藤本英雄(1942春・明大)、藤田元司(1954春・慶大)、杉浦忠(1957秋・立大)、星野仙一(1966秋・明大)などなど名だたるメンバーの中に、1927年春に「東大の」東武雄投手が立大相手に早大よりもかなり早くノーヒットノーランを達成していた。この試合の敗戦でリーグ戦50連敗中となり、これまで約半分にあたる11度もノーヒットノーランを喫している東大においてはなかなか想像しにくい歴史的事実である。

彼はノーヒットノーラン以外にも、1925年秋季対法大戦で六大学リーグ初の本塁打を放ち、リーグ通算60試合に登板し16勝32敗、207奪三振で16勝は東大史上2位。東大(当時は帝大)が六大学リーグに加盟できたのは東の力投のおかげであったと言われる・・・そうでそれはそれは凄い選手だったようだ。

このような記録から読み取れる歴史の重みは野球のもうひとつの楽しみ方でもある。

【明日4/24(火)は定休日となります】

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本:「銀座の秘密~なぜこのクラブのママたちは、超一流であり続けるのか」

2013年04月22日 09時38分13秒 | 本の話

銀座の秘密~なぜこのクラブのママたちは、超一流であり続けるのか すご腕女性10人の金言」を読んだ。

 

バブル崩壊にリーマン・ショック、東日本大震災と厳しさを増す銀座の夜の街iにおいて、それでも文化人や政財界人らが足しげく通う高級クラブがある。中でも「超一流」と言われる「マスコミで有名とかではなく、銀座の人が超一流と認める人」を選び抜いたママ10人が成功の秘訣を 聞き手自身も銀座のママと言う少し趣を変えた一冊・・・とのこと。

私自身銀座でママがいるようなお店で飲んだ事自体殆ど無いのだが、昔から銀座のママにはどこかカリスマ性を感じていた。決して「見た目」だけでは勝負していない彼女たちの魅力は何だ?とばかりに読み進める。「自分のライフスタイルをみつけて貫く」「品位を保つためには世の中を広く知る」「男には無駄な時間が必要→無駄に見える時間の中で得た情報や遊び心、人脈が後々必ず役に立つ」「人間力とは粋であること→粋な心意気が生きることに繋がる」「銀座で遊ぶ価値=自分を見失わない冷静さを保ちつつ、ひと夜の夢に狂うダンディズム」等々、銀座は男を磨く場所だとママたちは口々に唱える。

十人十色の色々なママが登場するのだが、共通点は「圧倒的な行動力」と同時にどこかみなさん「粋」な感じがすることだろう。職人気質やプロフェッショナル根性を感じさせられ、読んでいるだけでついこちらの気持ちが良くなるような言葉の数々が続く。なるほどな~とほんの少し銀座の良さを垣間見た気がした。どのような職種であれ私はプロとしての自覚がある人にいつも憧れてしまう。ついつい銀座の相場を調べてみたが・・・私にまだまだ敷居が高かったものの、それに見合う何かがきっと銀座にはあるのだろう。

それにしても銀座って響きはやはり素敵である。

H君、M先生。ようやく読み終わりましたので、この次にみなさんの本に取りかかります。ちょっと待っててね。

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7回目の訪熊~おまけ編

2013年04月21日 09時52分28秒 | 二代目のつぶやき

今回の旅で改めて思ったこと。

やはり私は飛行機があまり好きではない。

もちろん目的地に早く到着出来ることと、空港の雰囲気は好きなのだが、やはりどう考えても鉄の塊が空を飛ぶのは変だし、物理的にも不自然である。また行きの便では感じないのだが、いつも帰りの便の離陸時になると恐怖で変な汗が出る。それはこの空港独特の地形なのか?旅が終わった喪失感からなのか?

雲ばかりの車窓も味気ないし、座席と窓の位置も微妙にずれていて見ずらいし、(後部座席に乗客がいる場合の)リクライニングの許容範囲の角度が今もよく分からない。

九州新幹線が繋がったと言ってもまだ東京から熊本まで新幹線で(乗り替えても)6時間弱掛かってしまう。これが半分の3時間であれば、私は迷わず陸路を選択するだろう。だからリニアモーターカーの一日も早い実用化をただただ望む・・・

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7回目の訪熊~後編

2013年04月20日 09時41分39秒 | 街の話

ひと休みした後、大浴場の露天風呂に入り、夕食の時間まで部屋でゴロゴロする。高校時代共に過ごしたバレーボール合宿のように布団でゴロゴロしながら、しょーもない話に花を咲かすが、ついつい花が満開になり過ぎて、寝られやしない・・・車中でもあんなにもたくさん話したのに女子会のように会話が続く。ようやく夕食の時間となったものの、前夜の酒がまだ残っていて、軽く飲んだだけで部屋に戻り、21時には夢の中だった・・・おかけで朝5時に目が覚める。すっかり爺さんだ。鳥のさえずりが気持ちいい。

布団に友人を残したまま、ひとり大露天風呂へと向かう。高台にあるホテルの外廊下はかなり寒くそして長い・・・震えながら足早に前夜とは違う露天風呂に飛び込む。

露天には大小様々な浴槽があり、小さなひとり用に浸かりながら、目を閉じて静かな雲仙の朝を満喫する。部屋に戻ると朝が苦手な友人はまるで息絶えたかのように深く眠っている。友人は昔から声を掛けても目覚めるまで30分以上は掛かるので、体を揺すり、その間にもう一度専用露天を楽しむ。朝食も夕食同様素晴らしい食べっぷりの友人に感動しつつ、チェックアウトをして山を下る。国道沿いにある火砕流で被災した旧大野木場被災校舎を見学する。校舎の骨組みはかろうじて残っているものの、歪んだ鉄枠が火砕流の凄さを物語っていた。また校庭には昭和18年に卒業生が成人式に記念植樹したいちょうの木がある。火砕流で焼けてしまったものの、奇跡的に生き返ったそうだ。復興の象徴である立派な大木である。

【校舎後方が1991年の噴火で出来た平成新山】

その後、島原城を見学。この時点でフェリーの時間が迫っていたので、入城もそこそこに武家屋敷見学は省略する。

そして多比良港で再びフェリーに乗り込む。 

フェリーのデッキから普賢岳が遠くにかすんで行くのが見え、そして長洲港に到着。別れの時間が刻一刻と迫って来るのを、とりとめのない会話で埋めて行く。 約2時間弱で空港へ到着。

それにしてもこの三日間はよく喋ったな~人様には到底聞かせられない、46歳の親父同士の会話とは思えない内容ばかりだったが、何故あんなにも笑えるのだろう。初めて会った頃のような高校時代の時間がこの三日間流れていたような気がする。まるで浜田省吾の「19のままさ」のようだった。行きの機内では「仕事終わりのベルに~」のJ・BOYで始まり、「19のままさ」で過ごす。なんだかお洒落じゃん。

いつものように別れの空港では駐車場への駐車を拒否して、車寄せで荷物を降ろして、「サングラスを掛けたまま」握手をしてさっと別れた。そのまま空港内へ入ろうとしたけど、ふと振り返ると・・・駄目だよ~最後まで見送っちゃ本当に楽しい三日間だったな~長時間の運転、お疲れ様でした。一応「運転代わろうか?」と小さな声で何回か呟いたんだけど、聞こえて無かったかな? 道を間違えないあなたは格好良かったですよ。

とにかくまた会う日まで、お互い頑張りましょう。次回は東京だね。今回は飲みのペース配分を間違えた私だったけど、次回も大いに飲んで、笑いましょう。

【今日はCの誕生日。もう10年の付き合いになるなんて驚きだ。おめでとう!!!】

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7回目の訪熊~中編

2013年04月19日 09時36分59秒 | 街の話

さっきまで飲んでいた友人の車がホテル前に到着する。雲仙行きのフェリーに乗り込む前に以前連れて行ってくれたホルモン定食店で早めのランチを済ませる。それから本来であれば熊本港からの出港だったのだが、フェリー整備の関係で少し離れた長洲港へと向かう。山間、海岸沿い、のどかな田園風景を走り抜け、約90分でようやく長洲港に到着。車ごとフェリーに乗り込み、多比良港まで45分の船旅を楽しむ。

デッキで一服しながら、次第に雲仙普賢岳が迫って来る。そして2011年9月以来の長崎再上陸である。 

港からサッカーをモチーフにした外灯を横目に進むと、高校サッカーの名門・国見高校前が見えてくる。サッカーに思い切り集中出来る環境である。車は雲仙地獄を目指して山道をグングンと登って行く。ん?やばい友人の運転が荒々しくなり始めた・・・

長崎県島原半島の中央に位置する雲仙地獄は江戸時代にキリシタンが連れて来られ、熱湯による拷問で棄教を迫られた殉教の地として知られる。1991年火砕流で43人の犠牲者を出した雲仙岳は、江戸時代にも噴火があり、幾度も姿を変えてきたものの、27年に山岳部門で日本八景に選ばれた当時とすでに山並みが異なるものの、名声を損なうことがない雄大さ。雲仙には最盛期に1千人の僧坊があったと伝えられる仏教の地でもあり、明治初期には上海あたりから避暑に訪れる米欧の人たちで賑わったそうだ。また明治の地理学者・志賀重昴(しげたか)は「日本風景論」で、主峰の頂から四方ぐるりと見渡せば「限界豁達(かったつ)にして山海を掌上に弄し、九州半面の景象躍然として眉端に集まる、その観光無限」と書かれている。

くねくねの山道をガンガン攻める。昨夜のお酒なのか?運転なのか?気分が少しだけすぐれないぜ・・・山頂を少し下りると硫黄の匂いと煙が立ち込める雲仙地獄に到着する。思っていた以上に広い地獄で、もちろん温泉たまご(とサイダー)を購入する。

地獄温泉を後にして、来た道を少しだけ戻り、この日の宿を目指す。山の中腹にそびえ立つかなり大きな旅館である。友人は数ヶ月前に来たことがあり、とても良かったのでここを選んだとの事。私は今回一番楽しみにしていたのが、専用露天風呂であった。フロントで受付を済ませ、はやる気持ちを抑えつつ、部屋へと向かうが、遠い・・・かなり遠い・・・そしてようやく部屋に辿り着く。一番に部屋の専用露天を確認する。おぉぉ~ええやんか!!気が付けば湯船に浸かっていた。浸かった状態では島原湾を見降ろせないが、なかなか気持ちがいい。

その後、隣室のカップルが入浴を始めたので、つい声をひそめて、そそくさと部屋に戻った。さあひと眠りするか?

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7回目の訪熊~前編

2013年04月18日 09時32分21秒 | 街の話

いつものように羽田空港でメールを送る。

私にとって搭乗前の大切な「儀式」である。旅の安全を祈願してビールでひとり乾杯しながら、「お仕事、ご苦労様です。私、これからまた冒険の旅に出掛けます」と友人たちに送信したら、電源を切って夕陽を横目に機内へと入る。

3列3列の小ぶりな機内は約50%ほどの乗車率だった。いつものように「行きはすぐに降りられるように」前方寄りの通路側の席と決めている。手荷物を収納し、隣も前席も空席の快適な環境でシートベルトを締め、いつものように「蒸気でアイマスク」とイヤホンを用意したら準備万端である。旅はいつでもこの瞬間が一番ワクワクする。早く動き出さないかと目を閉じながらソワソワする。そして機体がようやく動き出し、飛行機のスピートがMAXに上がり、体がシートに吸いつけられれば離陸である。後方から赤ちゃんの泣き叫ぶ声がかすかに聞こえる。怖いよね~私だって怖いさ・・・しばらくしてシートベルト着用ランプの消えたのを耳で確認して、この日のオープニング曲、浜田省吾の「J・BOY」を流し、アイマスクを着用して仮眠を取る。仮眠から覚めると、四国上空を飛んでいた。CAさんからコンソメスープを受け取ると、もう間もなく火の国入りである。機内のモニターで到着予定時刻が表示される。あと20分、ついつい口元が緩んでしまう。「誰かが待ってる向かう旅」の私はいつも気が急いてしまい、早く早くと思ってしまう。

定刻通り20時過ぎに無事到着。私にとってはすっかり来慣れた空港の到着ロビーには、わざわざ探さなくてもすぐに見つかる友人が出迎えてくれる。昨年11月の東京以来の再会である。まあ~それにしても私たちはよく会うものだ。友人の車で市街地まで移動。21時過ぎに繁華街の中にあるホテルにチェックインをし、荷物を置いたら、すぐに出掛ける。ドアを閉める前に一度部屋を振り返って思う。今回も「横たわるだけ」「荷物を置くだけ」「シャワーを浴びるだけ」なんだろうな~と・・・

馬刺しで乾杯して、馴染のマスターから焼酎をサービスして貰い、たっぷりたらふく飲んで、差しつ差されつ、突っ込み突っ込まれ・・・・・・気が付けばホテルで朝を迎えてた・・・本当に時の流れが早い。ガンガンする頭が昨夜の飲み具合を教えてくれる。久し振りの飲み過ぎである。チェックアウトは11時なので、ゆっくりとシャワーを浴びて、友人が車で迎えに来るまで、熊本随一の繁華街である下(しも)通りから上(かみ)通りを散歩し、新聞とオレンジジュースでボーとした頭で昨夜の余韻を楽しむ。

ん~それにしても頭が痛い・・・

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最初からクーポン

2013年04月17日 09時00分00秒 | 休日のつぶやき

【本日は連休最終日。予約投稿にて】

休日は「クーポンネタ」が多い・・・

コンビニやファーストフード店、チェーン店等、本当に様々なお店でクーポン券が発行されている。

もしかしたら実施していないお店の方が少ないのかもしれない。

巷にはクーポンだらけで、クーポンが溢れている。

次回来店時に使用出来るクーポンは次回の再来店を促しているので分かり易いのだが、中には「その場」で即利用出来るものもある。

だったら最初からその分、値引きすればいいじゃんって思う。

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47歳のエンディングノート

2013年04月16日 09時00分00秒 | 休日のつぶやき

 【本日は連休初日。予約投稿にて】

本日で47歳になった。ひぇぇ~である。すっかり爺様である。

やはり今年も感じるのは非常に微妙な年齢であるということだ。取り立てて何かあるような年齢ではなく、自分自身に「47歳である」と自覚を促さないと何歳なのか忘れてしまいそうである。恐らく来年も同じようなことを言っているだろう。年々様々な場面で、年齢を痛感する事が少なくないが、大切なことはそれを「嘆く」のか否かのような気がする。だから嘆かないように頑張ろうっと思う 

さて先日雑誌にエンディングノートの特集が掲載されていた。「自分の人生と言えども、その最期は誰かに託すことになる・・・」とエンディングデザインコンサルタントのコメントに頷きつつ、ページを読み進めると自分で書き込む氏名・生年月日の欄から始まるノートが付いていた。内容を確認する「携帯電話等のデータの処理法」から「葬儀」「戒名」の有無、「病気の告知」「延命治療」「遺産」・・・と多岐に渡っていた。自分だったら・・・と「現時点」での私のエンディングノートを作成してみた。あくまでも「47歳の現時点」であるので、明日には、来週には、来年には変わっている可能性大である。

■携帯電話やパソコン内のデータ

中身を確認せずに破棄せよ。見たってきっとイイ事なんて無いからね・・・

■告知について

病名も余命も告知して欲しい

■延命治療について

いっさいの延命治療を拒否

■最期を迎える場所

家族の判断に任せる。自宅は大好きだけど特にこだわりはない。無理は禁物。

■臓器提供・献体について

もし使って貰えるのであればどうぞ使ってやって下さい。

■最期の瞬間に呼んで欲しい人

ディスクトップのフォルダ「何かあった場合の連絡先一覧」を確認

■葬式の形式について

盛大に行って欲しい。

■遺影について

只今準備中

■戒名について

不要

■葬儀の希望

お清めは参列者さんを待たせず遺族も同席して一緒にお通夜~ラスト宴会。飲み物もバーボンからカクテル、シャンパンまで各種取り揃えておくように!!カラオケありもいいかもね。またBGMは桑田佳祐の「真夜中のダンディー」「それ行けベイビー!!」、サザンの「栞のテーマ」「慕情」、佐野元春の「someday」、柳ジョージ&レイニーウッドの「青い瞳のステラ, 1962年夏・・・」、浜田省吾の「19のままさ」、楠瀬 誠志郎 の「Party's Over」、 Hi-Fi SET の「Farewell party」等々・・・。また出棺時はサラ・ブライトマンの「Time To Say Goodbye」、THE BANDの「ラスト・ワルツのテーマ」を流す事

■墓について

散骨して欲しい(場所はまだ熟考中)。いつも言っているようにお金は「生きている人」が使ってこそ活きたお金になるものだ。死者に散財する必要はない。私はお墓の中には居ないからね。

またすでに親しい友人たちには「万が一」の時には、私の引き出しの○●にある■□は中身を見ずにそのまま処分するように依頼済みである。頼んだよ、友人たち。私には形見分けするような高価な品は無いけど、もしも子供たちが欲しかったらどうぞ自由に使いなさい。またノートの最終ページには「大切な人に遺したいメッセージ」として「妻」「子供や孫」「親友や大切な人」そして「死ぬまでにもう一度会いたい人リスト」はまた別の機会にしよう。

書き終えた後に改めて考える。思えばもうここまで来たんだな~と・・・遺書のような堅苦しいものではないので、とても気軽に書けた。そして不思議なものでちょっとすっきりする。

 ちなみに「裏エンディングノート」なるものも付いていたが・・・それは・・・

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