子どもへの虐待への事件が後を絶たない。
たぶん、私が子どもを持ったからなのだろうけれど、その手の事件に耳が前よりもいくようになりました。
聞くたびに、胸がどうしようもなく痛みます。
子どもはもちろんかわいそう、
と同時に子どもに手をあげてしまったお母さんの身をひかれるような痛みもまたわかります。
手をあげようなどと思ってわが子を痛めつける人間などいないでしょう。
お母さんはそれだけ孤独であり、その孤独をさらに追い詰めるように子どもが泣く、
その行為の繰り返しが事件の引き金になったのだろうと思います。
私にとっても人ごとと思えません。
夜泣きの一番ひどい時期は、雪がしんしんと降り積もる寒さの厳しい真冬。
心身共にぼろぼろになっている状態の中、またその日も、夜中
1時間といわず30分ごとに体中を振り絞るように泣いては母を求める息子。
そして、それを抱っこした状態で、体育館を「眠ってくれ」と祈るようにさまよい歩いていたのを昨日のことのように思い出します。
それでもなお、泣き出したその瞬間
一瞬文字通り、ぽーいと息子を投げ出したくなった衝動にかられ、
「あ、この瞬間なのか」とそっと思いました。
窮地に追い込まれた人間は、一瞬先の行動を予測する頭の中の余裕さえなくなってしまうのだと、はじめて気付きました。
この一瞬を客観的に見る自分がいたことが、
「事件」になるかならないかの違いであり、
誰にでも当事者になる可能性を秘めているのではないかと。
これは共に体育館をさまよい歩いた連れ合いの意見であり、私もまた同意見です。
私の母は幼児虐待の事件を耳にするたびに
「子どもに一体何の罪があるだろう。子どもは何もできないのに。母親しか頼る人がいないのに」
と本気で憤慨し、同じ言葉を何度も繰り返していました。
幼い子どもだった私は、流すように聞いていたが、
親になった今は、この言葉を聞くたびに深い安心感をおぼえます。
どんなに子どもが泣いても、どんなに親が切なくても守らなくてはいけない
という無意識による強い意志がそこにあるからだ。
きっと、こうした事件が重なるごとに加害者のことをもっと考え、擁護する意見も増えるでしょう
それはあるべき姿だと思います。
と同時に、こうした無条件な愛による言葉も、もっと増えてほしい。
私が「加害者」にならなかった理由のひとつには、
親になる前から聞かされた、この無条件な他の子への愛の言葉にもあると今にしてそう思う。
集落の一人暮らしのおばあさんは
「子どもを育てることは『この世の勤め』」と、
つらつらと流れるような言葉の中でそう言った。
この言葉がもつ重みと、現実の育児をとりまく状況は溝が限りなく大きいけれど、
せめて一人の母として、その溝が浅くなるようにと思ったりしたのでした。
たぶん、私が子どもを持ったからなのだろうけれど、その手の事件に耳が前よりもいくようになりました。
聞くたびに、胸がどうしようもなく痛みます。
子どもはもちろんかわいそう、
と同時に子どもに手をあげてしまったお母さんの身をひかれるような痛みもまたわかります。
手をあげようなどと思ってわが子を痛めつける人間などいないでしょう。
お母さんはそれだけ孤独であり、その孤独をさらに追い詰めるように子どもが泣く、
その行為の繰り返しが事件の引き金になったのだろうと思います。
私にとっても人ごとと思えません。
夜泣きの一番ひどい時期は、雪がしんしんと降り積もる寒さの厳しい真冬。
心身共にぼろぼろになっている状態の中、またその日も、夜中
1時間といわず30分ごとに体中を振り絞るように泣いては母を求める息子。
そして、それを抱っこした状態で、体育館を「眠ってくれ」と祈るようにさまよい歩いていたのを昨日のことのように思い出します。
それでもなお、泣き出したその瞬間
一瞬文字通り、ぽーいと息子を投げ出したくなった衝動にかられ、
「あ、この瞬間なのか」とそっと思いました。
窮地に追い込まれた人間は、一瞬先の行動を予測する頭の中の余裕さえなくなってしまうのだと、はじめて気付きました。
この一瞬を客観的に見る自分がいたことが、
「事件」になるかならないかの違いであり、
誰にでも当事者になる可能性を秘めているのではないかと。
これは共に体育館をさまよい歩いた連れ合いの意見であり、私もまた同意見です。
私の母は幼児虐待の事件を耳にするたびに
「子どもに一体何の罪があるだろう。子どもは何もできないのに。母親しか頼る人がいないのに」
と本気で憤慨し、同じ言葉を何度も繰り返していました。
幼い子どもだった私は、流すように聞いていたが、
親になった今は、この言葉を聞くたびに深い安心感をおぼえます。
どんなに子どもが泣いても、どんなに親が切なくても守らなくてはいけない
という無意識による強い意志がそこにあるからだ。
きっと、こうした事件が重なるごとに加害者のことをもっと考え、擁護する意見も増えるでしょう
それはあるべき姿だと思います。
と同時に、こうした無条件な愛による言葉も、もっと増えてほしい。
私が「加害者」にならなかった理由のひとつには、
親になる前から聞かされた、この無条件な他の子への愛の言葉にもあると今にしてそう思う。
集落の一人暮らしのおばあさんは
「子どもを育てることは『この世の勤め』」と、
つらつらと流れるような言葉の中でそう言った。
この言葉がもつ重みと、現実の育児をとりまく状況は溝が限りなく大きいけれど、
せめて一人の母として、その溝が浅くなるようにと思ったりしたのでした。
娘が小学1年の頃だったでしょうか。
なんでこんなことをするのか?と思うことがあって、娘の心の内を聞いたところ、お兄ちゃんの方をひいきしているように感じていたそうです。
自分では兄妹対等に接しているつもりでしたが、娘はそう感じなかったようです。それからは子どもの気持ちを聞いてあげることが大切なんだと気がつきました。やはり口に出して言ってくれないと、気がつかないものです。
自分も子どもをもち、今でも(小学6年と5年)子育てって大変だ~!と感じています。これからもこの思いはずっと続くと思いますが、その時その時、子どもと向き合っていくことが大事かも・・・と感じています。
集落のおばあさんの言葉、見習わなくちゃ~だわ。
母は決して聖母ではないですからねえ。
無条件に「母の愛」をとなえてはいけませんよねえ。
兄妹という2人のお子さんの育児となると、一人っ子とはまた違う大変さがあるでしょうね。
でも、そこまで思いを引き出せたっていうのはすごいですね、さすが、という感じがします。
集落のおばあさんの言葉は、すごいです…
格言です。
わたしはそれを毎回切り取っていました。
全然他人事じゃなかったから。
私は知らない土地であまり知った人もいない中、ほとんど夫の協力も得られずムスメと二人きりという状態。
何をしても泣きやまない時には布団の上に放り投げてしまったこともあったし、思いっきり
たたいてしまったこともあります。
自分のしたことに対して、(これは虐待?)と悩んだことも度々ありました。
ムスメが保育園に行き始めてからは、そんな悩みもなくなったけれど、そういう思いを抱えているときには、他の人になかなか本当のことを話すこともできませんでした。
あの時のわたしは、自分がもっとひどいことをしてしまうんじゃないかと自分で自分がこわかった。紙一重の状態でした。
虐待は決して許されることではないけれど、
そうしてしまう親も本当は助けるべき存在のような気がします。
P.S 経皮毒の記事の引用、ありがとう!
hiiponponさんの状況は、弱い私だったら間違いなく連れ合いをなじってしまうだろうなあ、なんて思ったりしました。
だから、ここまで娘さんを育てられたこと、あらゆる方面から、様々な意味で本当にすごいなあ、と思ってしまうのです。尊敬してしまいます。すごい、の一言で表現しきれないのですが。
「紙一重」という言葉は本当ですね、私もよくその言葉思いました。決してひとごとでもなければ、自分は絶対しない、なんていいきれない。だからこそ、この問題に対してサポート体勢(あるいは周囲の理解)がもっとあればなあ、としみじみ思います。
追伸:経皮毒の記事の引用させていただきました。事後報告でごめんなさい。
またいろんな情報、教えてくださいね。