黒川能 1964年黒川村の記憶 船曳由美著・・を読んでいる。3回目読むぞー・・と宣言したのは数日前の話だが まだ時間があるので4回目に突入してさっき読み終えた。借りたのは先月の24日で予約待ちの人がいるので返却期限は今月8日である。もう一度いけなくもないが まあある程度覚えるくらい読んだので 明日もう一度ぱらぱら見て 月曜か火曜の天気次第で返却してくるつもり。しかし本書 今年読んだ中では断トツに良い。面白いか?と言われたら 農村よりもゴールデン街や渋谷がいいや・・という人には全く向かない。限られた読者の為に書かれた本である。著者の船曳由美氏は1937年生まれだから 本書の取材に入った1964年というと27くらいか・・あとがきに載ってる写真が若々しい。2010年に上呈された100年前の女の子でもカバー裏に写真が載ってる。この時は73だから今年83になる。数年前から足が悪かったようでもう黒川村には行けなかったようで当時の取材ノートと電話やいろんな方の協力でできた本である。ご本人は編集者・エッセイストだが船曳由美名義で出された本は 100年前の女の子と本書だけ。今は多分東京在住だと思われるが 99年で定年退職されるまで集英社で編集者をされていたから黒川村は船曳氏にとっての理想郷であったがそこに腰を落ち着けることは叶わなかったようだ。あたしは大病して体が会社勤めは無理になったので自営になったわけだが あたしの理想郷は学生時代を送った京都である。いつ彼岸の人になるかも知れないので 最後は京都の土になりたいので今は移住計画進行中である。さて 本書読めば読むほど失われた記憶の感が強い。まあ56年前の記録である。その10年後には農地の基盤整備で大型機械がが入るようになり 村は大きく変わる。昨今では諸般の事情から当屋を辞退する人も多いみたいだし 64年当時のように民家を明け渡して神事を行える環境が減ってきたので 最近では1日目は公民館で行うことが多いようだ。2日目は春日神社らしいが。まあ64年当時で上座・下座合わせて氏子は300 ほぼその半分を当屋でもてなし 繋がる縁者は脇当屋でもてなしてたようだがこれが1600ほどだ。上座・下座とも都合1000人近くをもてなすわけで 奉納でいろんなものが届くとしても当屋の負担は大変なものである。が一生に一度あるかどうかの名誉なお役目だから頑張るわけだが。ちなみに京都の葵祭の斎王代は選ばれるとほぼ2千万かかるらしい。斎王代に選ばれるというのは名誉なことなので親族はなんとかしてひねり出すようだ。まあ当屋はそこまではいかないとは思うが一世一代の晴舞台である。でまあ 地区が総力を挙げて催行する王祇祭だが 1日目の舞台となるのは当屋の家である。仕切りが全部外れるとは言っても 氏子全てが入れるわけではないところに われわれ日本人の共通の財産は誰にでも平等に開かれているべきだ・・なんてわけのわからんことを言い出す奴がいるから話がおかしくなる。春日神社の氏子でも無く 当屋に奉納すらしない観光客にそういうことを言える権利があるのか?と腹立たしく思う。祭りはタダ・・って発想がそもそもおかしい。王祇祭は黒川村の地域の結で結ばれた氏子が1年がかりで準備して奉納で成り立ってる神事である。なんでも平等 祭りはタダ・・て 日本人はそこまで堕落したのか?と情けなくなる。まあ本書は良書で本棚に収めたいのであるが 値段が3960円とお安くない。何年かして古本がある程度安くなったら買おうと思う。
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