子育て支援といえば…
保育園の増設、そして待機児童の解消が
よく言われます。
国内でも最大規模だった待機児童を抱えた横浜市が
公立保育園をすべて民営化し
自由競争の波に押し込むことで
保育料に雲泥の差をつけながらも、増設に成功。
待機児童を最大時期の1/4にまで減少させました。
…が、そこで
忘れ去れらているのが「学童保育」ではないでしょうか
両親ともに就労家庭が増加している現代
そして、シングル家庭が多くなっている現代
地域の差はあれ、
学童保育施設はどこでも切望されているはずです。
先日は、市長と懇談し
学童保育(大和市では「児童クラブ」といいます。以下「児童クラブ」)の対象年齢拡大を要望しました。
しかし、たいへん難しい課題であるとの返事
希望する家庭が少ない。
施設面で、学校側の協力が得られない。
市長の権限では何もできない。
教育委員会や校長会の意向が影響する。
現場(働く職員側)からの拡大要望がない。
…とのこと。
ほんとに?
担当の職員と話していると
「高学年までを対象にするために、指導員の増員などを要求しても、予算削減でカットされてしまいます」
とのこと。
市長と職員の話…矛盾していますよ?!
いったい、どっちがホントなの?
私たちの親世代や、専業主婦家庭からみれば…
児童クラブに通わなくても、ひとりで留守番をさせればいいじゃないか。
なにかあれば、ご近所に頼めばいいんじゃない?
…なんて、声も聞こえてきますが
昨年の3.11に帰宅困難者を経験した働く父や母
電話もつながらず、子どもの安否を心配しながらも
児童クラブにいることを確認し、ホッとしたものです。
日常、朝から出かけ、夜に帰宅する就労家庭では
ご近所とのお付き合いする時間もなく
いざと言うときに「預かってください」とは言えません。
また市内では、日中の明るい時間、人通りの多い道でも犯罪が増えています。
子どもが安全に健康的な日々を送るためには
小学校卒業までの児童の「安全な居場所」は必要です。
児童クラブは単に親の帰宅まで子どもを預かっているところではなく
「家」同様の役割を果たしています。
子どもたちは、児童クラブの部屋に入るとき
「ただいま♪」といって入ります。
核家族が進んでいる昨今、
子ども同士が異年齢での世界観を学ぶ重要な場所です。
自我か確立していく小学生の時期に
保護者や担任以外の大人と接することも貴重な体験です。
さまざまな人と接して、たくさんの愛情を得ることが
こどもの自己肯定感につながっていくのです。
高学年は高学年という年代のニーズで、
低学年とは違った側面からも、児童クラブは必要であるとも思います。
いま、中学生でも
「居場所」を求めた子どもたちの姿を夕闇の街に見かけることがあります。
子どもたちが犯罪やトラブルに巻き込まれないためには、何が必要なのか?
家庭のしつけと一昔前のようにひとくくりには片付けられない複雑な社会現象があります。
子どもの居場所を確保することが、
私たち大人の
自治体の、役割ではないでしょうか。
地域が子育てをする環境をつくる…とは
必要としている人々の自主的な取り組みや
ボランティア的な善意に任せるのではなく
自治体が公的機関として、責任を持って「設置する」「人的資源を出す」ことが大切なのだと思います。
まさか、この21世紀に
「お母さんが働かなければいい」なんて時代錯誤の意見は出てこないと信じたいですね
保育園の増設、そして待機児童の解消が
よく言われます。
国内でも最大規模だった待機児童を抱えた横浜市が
公立保育園をすべて民営化し
自由競争の波に押し込むことで
保育料に雲泥の差をつけながらも、増設に成功。
待機児童を最大時期の1/4にまで減少させました。
…が、そこで
忘れ去れらているのが「学童保育」ではないでしょうか
両親ともに就労家庭が増加している現代
そして、シングル家庭が多くなっている現代
地域の差はあれ、
学童保育施設はどこでも切望されているはずです。
先日は、市長と懇談し
学童保育(大和市では「児童クラブ」といいます。以下「児童クラブ」)の対象年齢拡大を要望しました。
しかし、たいへん難しい課題であるとの返事
希望する家庭が少ない。
施設面で、学校側の協力が得られない。
市長の権限では何もできない。
教育委員会や校長会の意向が影響する。
現場(働く職員側)からの拡大要望がない。
…とのこと。
ほんとに?
担当の職員と話していると
「高学年までを対象にするために、指導員の増員などを要求しても、予算削減でカットされてしまいます」
とのこと。
市長と職員の話…矛盾していますよ?!
いったい、どっちがホントなの?
私たちの親世代や、専業主婦家庭からみれば…
児童クラブに通わなくても、ひとりで留守番をさせればいいじゃないか。
なにかあれば、ご近所に頼めばいいんじゃない?
…なんて、声も聞こえてきますが
昨年の3.11に帰宅困難者を経験した働く父や母
電話もつながらず、子どもの安否を心配しながらも
児童クラブにいることを確認し、ホッとしたものです。
日常、朝から出かけ、夜に帰宅する就労家庭では
ご近所とのお付き合いする時間もなく
いざと言うときに「預かってください」とは言えません。
また市内では、日中の明るい時間、人通りの多い道でも犯罪が増えています。
子どもが安全に健康的な日々を送るためには
小学校卒業までの児童の「安全な居場所」は必要です。
児童クラブは単に親の帰宅まで子どもを預かっているところではなく
「家」同様の役割を果たしています。
子どもたちは、児童クラブの部屋に入るとき
「ただいま♪」といって入ります。
核家族が進んでいる昨今、
子ども同士が異年齢での世界観を学ぶ重要な場所です。
自我か確立していく小学生の時期に
保護者や担任以外の大人と接することも貴重な体験です。
さまざまな人と接して、たくさんの愛情を得ることが
こどもの自己肯定感につながっていくのです。
高学年は高学年という年代のニーズで、
低学年とは違った側面からも、児童クラブは必要であるとも思います。
いま、中学生でも
「居場所」を求めた子どもたちの姿を夕闇の街に見かけることがあります。
子どもたちが犯罪やトラブルに巻き込まれないためには、何が必要なのか?
家庭のしつけと一昔前のようにひとくくりには片付けられない複雑な社会現象があります。
子どもの居場所を確保することが、
私たち大人の
自治体の、役割ではないでしょうか。
地域が子育てをする環境をつくる…とは
必要としている人々の自主的な取り組みや
ボランティア的な善意に任せるのではなく
自治体が公的機関として、責任を持って「設置する」「人的資源を出す」ことが大切なのだと思います。
まさか、この21世紀に
「お母さんが働かなければいい」なんて時代錯誤の意見は出てこないと信じたいですね