遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

町内バス旅行、京都太秦映画村 2

2016-06-30 14:04:58 | 映画
平成28年6月30日(木)

京都太秦映画村の美空ひばり座

映画文化館

昼食後、映画村内を1巡し、東映城大手門の近くに在る
「映画文化館」を見学しました。
文化館に入ると直ぐ右手に「美空ひばり座」が有り、
昭和の大スター、美空ひばりの銅像が出迎えてくれます。

美空ひばりの銅像


国民栄誉賞の授賞式

東京キッドのレコード

ひばりの歌の旅路

ひばりの軌跡

1989年(平成元年)、国民栄誉賞受賞の紹介パネルが
在り、息子の和也さんが受取、ひばりの遺影を手にする
萬屋錦之助が立会する写真が、、、。
場内は、美空ひばりの軌跡、活動年表等に加え、
スチール(映画)、発売レコード、衣装などが展示されて
居ます。

東京キッドのポスター

美空ひばり
1937年(昭和12年)5月29日生~1989年(平成元年)逝去
12歳でデヴュー以降、歌謡曲、映画、舞台等で活躍、
昭和を代表する歌手、女優として女性で初めて国民栄誉賞
を受賞。
1949年(昭和24年)8月コロンビアから「河童ブギウギ」
でデヴュー、翌年、「悲しき口笛」(松竹)で映画デヴュー
続いて「東京キッド」「あの丘越えて」「角兵衛獅子」等
が、映画、主題歌伴に大ヒットとなり一躍スターの道を、。
美空ひばりを語れば、その軌跡は枚挙にいとまがなく、、
あらためて、昭和を代表する女性の一人と確信します。



今回の旅行参加者には、美空ひばりファンが多く、、
この展示館に見入って居りました。

次に館内中央の階段を上ると、日本映画の父と言われる
牧野省三氏の業績を讃え、、その後の映画製作の発展に寄与
された方の中から「牧野省三賞」を選考、、、
受賞された方々の写真と映画作品を紹介する展示館が在り
ました。



牧野省三
1878年(明治11年)9月22日生~1929年7月25日逝去
父は漢方医、母は名の在る娘義太夫師で、母方の実家は
禁裏(宮中、皇居等みだりに中へ入れぬ場所)な左官屋
大地主で実家の敷地内に芝居小屋(千本座)も所有。
母の影響で、幼少期から芸事に親しみ、舞台に上がる。

1904年(明治37年)尾上松之助と出会い、千本座の役者
を使い、映画製作を始める。
後、尾上松之助と200本程の映画を作る。
1912年(大正元年)日活の設立に加わり関西撮影所長に。
後に牧野教育映画製作所を設立、2年後マキノ映画製作所
に改名、1年後、東亜キネマに吸収合併、この頃歌舞伎
役者を起用する事で所内の片岡千恵蔵等の俳優と折合い
付かずトラブル続出、生抜きの俳優が次々脱退する。
1929年(昭和4年)7月25日、心蔵麻痺で死去、50歳。

1958年(昭和33年)牧野省三の業績を讃え、後進の
映画人を表彰する」牧野省三賞」が設立された。



映画の殿堂入りの監督、俳優、映画関係者

牧野省三賞

俳優
片岡千恵蔵、月形龍之介、市川歌右衛門、勝新太郎
鶴田浩二、市川雷蔵、嵐寛寿朗、萬屋錦之助、
三船敏郎、岩下志麻、三田佳子、松方弘樹、
渡哲也、山田五十鈴、淡島千景、、

片岡千恵蔵

長谷川一夫

阪東妻三郎
監督
伊藤大輔、内田吐夢、田坂具隆、マキノ雅弘
衣笠貞之助、稲垣浩、黒澤明、山田洋次、
木下恵介、市川崑、新藤兼人、深作欣二、
今村昌平、大島渚、中島貞雄、木村大作

島津保次郎

城戸四朗(松竹)

大川博(東映)
製作者、他
岡田茂、宮川一夫、八尋不二、中岡源権、
野上照代、、、



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