ケータイの覗き見なんかの話題を書いていたので、かなり遅きに失してしまったが、この話題もなかなか辛いものの一つだった。
フリーアナ自分のブログに 友人の不倫相手暴露
ブログは既に削除されているが、ネット上ではWeb魚拓を初め、様々な場所にコピペされているので、その内容は容易に知ることが出来る。
このアナウンサーの記事の内容もかなり悲惨なものだが、これをネタに盛り上がっているネットの方の書き込みもすごい。
不倫相手の男性が簡単に割り出せるような書き方をしてあったので、既にネット上にあった顔写真も特定されている。
当然、氏名や会社、役職なども知れ渡ってしまったので、この男性、今後この仕事を続けていく上で相当な影響を被ることになるだろう。
ネット上の反応は、「一方的過ぎる」「女の方にも責任はある」「ここまでする必要があるのか」といった疑問・批判が大半を占めているように感じられた。
なぜこうした反応になるのか、分析はそういう専門的な方面に任せるが、感覚的にいえば、結局このフリーアナウンサーが「熱くなり過ぎた」ことに原因の一端もあるのではないか。
無責任な相手方との交渉の間に二度の流産をしてしまった友人(「A子」さんとなっている)の無念さは想像するに余りあるものだが、ネットという公開スペースで、しかもそれなりの知名度のある人間が怒りに任せて一方的な断罪記事を書いたのではちょっと行き過ぎだろう。
つまり、書いている本人よりもネットの方が比較的に冷静なのであり、従ってこうした批判が押し寄せてくる、というわけだ。
仮に、事実を淡々と書き(もちろん相手方の氏名・身分を特定できるような書き方もせず)、「不倫」というものの結末がどれほど悲惨で不幸なものであるかを示せば、それで十分に警鐘となったはずで、それは畢竟この男性の行いに対する強力な批判につながっていったのではないか。
にもかかわらず、ここまで下品(敢えて書く)な表現をもって暴露・批難記事を書き散らしてしまった。
果たしてA子さんは、こんなふうに公表されてしまうことを望んでいたのだろうか。
これによって、たとえ相手方の男性(「K氏」としてある)が社会的に断罪されたとしても、それでA子さんは満足するのだろうか。
とどのつまりは、フリーアナウンサー氏の自己満足(友達思いの自分が義憤を感じて、無責任な相手方を断罪する)なのではないか。
フリーアナウンサー氏は、「Kが確実に悪いと思う」として、その理由の一端を次のように書いている。
なるほど。言いたいことは分かる。
だが、「妻帯者だと知っていたから最初は近づかなかった」とするのであれば、A子さんは少なくとも、妻帯者と深い付き合いになるのは良くないことだと分かっていたのであろう。
K氏も最初は妻と別れる気でいたらしい。
であれば、子供を作るのは、K氏のいうとおり「結婚して」からにすればよかっただけの話だ。
それを軽々に(と敢えて表現する)流産に至るような行為へ走るとはどういう仕儀なのだ。
このBlogの中では、K氏とA子さんの関係を「純愛」と表現しているが、心の通い合いだけでは収まらず、結局のところ肉体的な悦楽を目的とするところまで行き着くことを我慢できなかっただけなのではないのか。
体の関係を拒めばK氏がA子さんから去っていった可能性ももちろんあろう。だが、そんなことで去っていくような男なら、それまでだ。セックスレスとなった妻との間では満たされなくなった性欲を、A子さんによって代替しようとしていたのかもしれないのだから。
K氏と妻との間がいかなるものであったのか、それはわからないが、少なくともこの夫婦が人工授精をしてまでも子供を欲したというのは事実だろう。
彼は本当に子供が欲しかったのかもしれない。
これまで妻との間に子供が出来なかったことは、彼をして妻から去らしめる大きな誘引であった可能性もある。そしてA子さんとの出会い。A子さんの妊娠…。
しかし、二度の妊娠は、主にA子さんの個体的な弱さによって流産という悲しい結果となる。
妻と離婚しA子さんと結婚しても、恐らく子供は望めまい、そんな中において人工授精とはいい条、実の子供を持つことが出来るようになった。
恐らく、彼としてはこの子を堕胎させようなど(A子さんの前では別として)思ってみなかったのではないか。
しかし、A子さんとの関係も断ちたくはなかった。従って言い出せずにずるずると関係を続けてしまったのだろう。優柔不断なヤツ…。
いずれにしても、不倫というものは、結果としてそれにかかわる全ての人を不幸にするものなのだな。擬似恋愛的な関係がうまく回っている間は、少なくともその当人達は幸せの絶頂にあるのかも知れぬ。しかし、その配偶者は恐らく塗炭の苦しみを味わっていることだろう。
配偶者がありながら、新たな愛を見つけ、それをもまた大切に育てていきたいと思うのであれば、決して感情に溺れないことだ。
オレの知っている人たちの中に、奇跡的に配偶者以外の恋愛を何十年にもわたって維持し続けている例が二つばかりある。
いずれも、厳しいまでに己の欲望(特に肉体的な)を律し、お互いを精神的な支えとして尊敬しあっていた。
人が人を愛することは誰にも止めようがない。要はそれを如何に純粋なものに高め、持続させていくか、ということではないのか。小さな火を灯し続けること。これは極めて難事ではあるが不可能事ではないのだから。
ところで、ネット上には、このフリーアナウンサーとA子さんが同一人物であるという見解も存在する。
真偽のほどは定かではないが、もしもそうであるとするのなら、(その行動の当否は措くとしても)ここまで書きたくなる気持ちも分からないではないけれどもね。
フリーアナ自分のブログに 友人の不倫相手暴露
ブログは既に削除されているが、ネット上ではWeb魚拓を初め、様々な場所にコピペされているので、その内容は容易に知ることが出来る。
このアナウンサーの記事の内容もかなり悲惨なものだが、これをネタに盛り上がっているネットの方の書き込みもすごい。
不倫相手の男性が簡単に割り出せるような書き方をしてあったので、既にネット上にあった顔写真も特定されている。
当然、氏名や会社、役職なども知れ渡ってしまったので、この男性、今後この仕事を続けていく上で相当な影響を被ることになるだろう。
ネット上の反応は、「一方的過ぎる」「女の方にも責任はある」「ここまでする必要があるのか」といった疑問・批判が大半を占めているように感じられた。
なぜこうした反応になるのか、分析はそういう専門的な方面に任せるが、感覚的にいえば、結局このフリーアナウンサーが「熱くなり過ぎた」ことに原因の一端もあるのではないか。
無責任な相手方との交渉の間に二度の流産をしてしまった友人(「A子」さんとなっている)の無念さは想像するに余りあるものだが、ネットという公開スペースで、しかもそれなりの知名度のある人間が怒りに任せて一方的な断罪記事を書いたのではちょっと行き過ぎだろう。
つまり、書いている本人よりもネットの方が比較的に冷静なのであり、従ってこうした批判が押し寄せてくる、というわけだ。
仮に、事実を淡々と書き(もちろん相手方の氏名・身分を特定できるような書き方もせず)、「不倫」というものの結末がどれほど悲惨で不幸なものであるかを示せば、それで十分に警鐘となったはずで、それは畢竟この男性の行いに対する強力な批判につながっていったのではないか。
にもかかわらず、ここまで下品(敢えて書く)な表現をもって暴露・批難記事を書き散らしてしまった。
果たしてA子さんは、こんなふうに公表されてしまうことを望んでいたのだろうか。
これによって、たとえ相手方の男性(「K氏」としてある)が社会的に断罪されたとしても、それでA子さんは満足するのだろうか。
とどのつまりは、フリーアナウンサー氏の自己満足(友達思いの自分が義憤を感じて、無責任な相手方を断罪する)なのではないか。
フリーアナウンサー氏は、「Kが確実に悪いと思う」として、その理由の一端を次のように書いている。
A子は、妻帯者だと知っていたから
最初は、近づきませんでした。
ところが、
「あまりうまくいっていないから」ということを餌に
KからA子をその気にさせていったのです。
「妻とは子供ももうできない」とか、
「A子と結婚して、子供を作りたい」など
はめてA子をだましたのは、K です。
そんなこと言われて、信じない人はどこにいるのでしょうか。
少しでも好きだったら、それを信じてしまうのが常でしょう。
なるほど。言いたいことは分かる。
だが、「妻帯者だと知っていたから最初は近づかなかった」とするのであれば、A子さんは少なくとも、妻帯者と深い付き合いになるのは良くないことだと分かっていたのであろう。
K氏も最初は妻と別れる気でいたらしい。
であれば、子供を作るのは、K氏のいうとおり「結婚して」からにすればよかっただけの話だ。
それを軽々に(と敢えて表現する)流産に至るような行為へ走るとはどういう仕儀なのだ。
このBlogの中では、K氏とA子さんの関係を「純愛」と表現しているが、心の通い合いだけでは収まらず、結局のところ肉体的な悦楽を目的とするところまで行き着くことを我慢できなかっただけなのではないのか。
体の関係を拒めばK氏がA子さんから去っていった可能性ももちろんあろう。だが、そんなことで去っていくような男なら、それまでだ。セックスレスとなった妻との間では満たされなくなった性欲を、A子さんによって代替しようとしていたのかもしれないのだから。
K氏と妻との間がいかなるものであったのか、それはわからないが、少なくともこの夫婦が人工授精をしてまでも子供を欲したというのは事実だろう。
彼は本当に子供が欲しかったのかもしれない。
これまで妻との間に子供が出来なかったことは、彼をして妻から去らしめる大きな誘引であった可能性もある。そしてA子さんとの出会い。A子さんの妊娠…。
しかし、二度の妊娠は、主にA子さんの個体的な弱さによって流産という悲しい結果となる。
妻と離婚しA子さんと結婚しても、恐らく子供は望めまい、そんな中において人工授精とはいい条、実の子供を持つことが出来るようになった。
恐らく、彼としてはこの子を堕胎させようなど(A子さんの前では別として)思ってみなかったのではないか。
しかし、A子さんとの関係も断ちたくはなかった。従って言い出せずにずるずると関係を続けてしまったのだろう。優柔不断なヤツ…。
いずれにしても、不倫というものは、結果としてそれにかかわる全ての人を不幸にするものなのだな。擬似恋愛的な関係がうまく回っている間は、少なくともその当人達は幸せの絶頂にあるのかも知れぬ。しかし、その配偶者は恐らく塗炭の苦しみを味わっていることだろう。
配偶者がありながら、新たな愛を見つけ、それをもまた大切に育てていきたいと思うのであれば、決して感情に溺れないことだ。
オレの知っている人たちの中に、奇跡的に配偶者以外の恋愛を何十年にもわたって維持し続けている例が二つばかりある。
いずれも、厳しいまでに己の欲望(特に肉体的な)を律し、お互いを精神的な支えとして尊敬しあっていた。
人が人を愛することは誰にも止めようがない。要はそれを如何に純粋なものに高め、持続させていくか、ということではないのか。小さな火を灯し続けること。これは極めて難事ではあるが不可能事ではないのだから。
ところで、ネット上には、このフリーアナウンサーとA子さんが同一人物であるという見解も存在する。
真偽のほどは定かではないが、もしもそうであるとするのなら、(その行動の当否は措くとしても)ここまで書きたくなる気持ちも分からないではないけれどもね。