せっかくの三連休だというのに、天気は今一つ。
音楽でも聴いてゆっくりするのが一番なのかもしれない。
そんなわけで、ラトル指揮ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲第9番を聴いている。
第4楽章の補筆完成版(2011年改訂版)付だ。
知っての通り、ブルックナーはこの曲のフィナーレを完成させることなく身まかった。
650小節にも及ぶ多くの断片が残されており、多くの学者の手によって、その構築が試みられている。
そうした試みに関してはもちろん批判もあろうが、近年、かなり膨大なフィナーレの草稿が相次いで発見されていることもあり、オレ自身は、非常に意義のある試みだと考えている次第。
いずれにしても、こうして好きな音楽に浸りきれる極私的な時間を持てるのは大変嬉しいことで、単身赴任の贅沢とも言えるだろう。
昨年から単身生活となり、一年を経過しているが、なにものにも邪魔されないこうした時間は実にありがたいものだ。
話は唐突に飛んでしまうが、時折ふと思うことがある。
それは、女という性の複雑さについてだ。
男というものは、自分でいうのもなんだがかなり単純な論理構造で動くところがある。
パートナーである女に行動や精神面をいともたやすく把握されてしまい、その掌の上に踊らされてしまっているかのような。
その点、男にとって女は極めてミステリアスな存在で、容易にその心理(真理)にはたどり着けない。
もっと端的にいってしまえば、「面倒くさい」という思いが強いのだ。
そのことでよく聞くのは、女は、誰か心に想う人がいると、四六時中その人のことを考えて倦むことがないという話。
ただしこれには異論もあって、たとえば高校生くらいの頃は、男の方が女のことを四六時中考えていて、勉強も手につかずテストの成績も悪くなるというのに、女の方は「それとこれとは別」とばかりに勉強への影響などはみられないという。
これはオレ自身にも身に覚えがある。
だが、大人になってくると、どうやら事情は変わってくるらしい。
近頃、二人だけで過ごす時間が少なくなった。
せっかくの休日なのに会ってくれないこともある。
メールを送ったのに返信がこない(あるいは遅い)。返信の中身もそっけない。
電話をかけてもつながらない。つながっても面倒くさそうに対応することがしばしばある。
待っているのに電話をちっともかけてこない。
等々。
そして、「あの人はいったい私のことをどう思っているのかしら?」「きっと私のことなんかどうでもいいんだ」「もしかすると誰かほかに好きな人がいるのかもしれない」などといった「妄想」に近い焦燥感を覚えるといった具合。
もちろん、本当に男の気持ちが離れている場合もあるだろうが、男にしてみれば、そんな四六時中、女のことばかり考えてはいられない。休みの日などは自分の好きな趣味に没頭
したいこともあるし、つきあいだって結構ある。
なんでそんなことがわからないのかと、苛立たしい気持ちになる、というわけだ。
先に書いたような、好きな音楽を静かに聴いているとき、女から電話でもあってその時間を中断されたとすれば、オレでもちょっとムッとしてしまうかもしれない(そんなシチュエーションは残念ながらないのだが)。
先日、職場の同僚と話をしていて、やはり女は面倒くさいという話になり、にもかかわらず女房以外の女と浮気しようだなんてどうして考えるのだろう、全く気が知れないとの点で意見が一致した。
まあ、お互いそういう話題からはかなり遠ざかった地点にいるからに相違なく、その意味ではたぶんにやっかみの気持ちもあってのことではあるが。
しかし、巷を騒がせるストーカー事件をみてみると、男の方が女につきまとって事件を起こすことが多いようにも思われ、そうなのであれば、先にかいた「面倒くさい」という話も、男女の区別ではなく、それぞれのパーソナリティによるものなのかもしれない。
何にせよ、男の女の関係は難しいものだ。
音楽でも聴いてゆっくりするのが一番なのかもしれない。
そんなわけで、ラトル指揮ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲第9番を聴いている。
第4楽章の補筆完成版(2011年改訂版)付だ。
知っての通り、ブルックナーはこの曲のフィナーレを完成させることなく身まかった。
650小節にも及ぶ多くの断片が残されており、多くの学者の手によって、その構築が試みられている。
そうした試みに関してはもちろん批判もあろうが、近年、かなり膨大なフィナーレの草稿が相次いで発見されていることもあり、オレ自身は、非常に意義のある試みだと考えている次第。
いずれにしても、こうして好きな音楽に浸りきれる極私的な時間を持てるのは大変嬉しいことで、単身赴任の贅沢とも言えるだろう。
昨年から単身生活となり、一年を経過しているが、なにものにも邪魔されないこうした時間は実にありがたいものだ。
話は唐突に飛んでしまうが、時折ふと思うことがある。
それは、女という性の複雑さについてだ。
男というものは、自分でいうのもなんだがかなり単純な論理構造で動くところがある。
パートナーである女に行動や精神面をいともたやすく把握されてしまい、その掌の上に踊らされてしまっているかのような。
その点、男にとって女は極めてミステリアスな存在で、容易にその心理(真理)にはたどり着けない。
もっと端的にいってしまえば、「面倒くさい」という思いが強いのだ。
そのことでよく聞くのは、女は、誰か心に想う人がいると、四六時中その人のことを考えて倦むことがないという話。
ただしこれには異論もあって、たとえば高校生くらいの頃は、男の方が女のことを四六時中考えていて、勉強も手につかずテストの成績も悪くなるというのに、女の方は「それとこれとは別」とばかりに勉強への影響などはみられないという。
これはオレ自身にも身に覚えがある。
だが、大人になってくると、どうやら事情は変わってくるらしい。
近頃、二人だけで過ごす時間が少なくなった。
せっかくの休日なのに会ってくれないこともある。
メールを送ったのに返信がこない(あるいは遅い)。返信の中身もそっけない。
電話をかけてもつながらない。つながっても面倒くさそうに対応することがしばしばある。
待っているのに電話をちっともかけてこない。
等々。
そして、「あの人はいったい私のことをどう思っているのかしら?」「きっと私のことなんかどうでもいいんだ」「もしかすると誰かほかに好きな人がいるのかもしれない」などといった「妄想」に近い焦燥感を覚えるといった具合。
もちろん、本当に男の気持ちが離れている場合もあるだろうが、男にしてみれば、そんな四六時中、女のことばかり考えてはいられない。休みの日などは自分の好きな趣味に没頭
したいこともあるし、つきあいだって結構ある。
なんでそんなことがわからないのかと、苛立たしい気持ちになる、というわけだ。
先に書いたような、好きな音楽を静かに聴いているとき、女から電話でもあってその時間を中断されたとすれば、オレでもちょっとムッとしてしまうかもしれない(そんなシチュエーションは残念ながらないのだが)。
先日、職場の同僚と話をしていて、やはり女は面倒くさいという話になり、にもかかわらず女房以外の女と浮気しようだなんてどうして考えるのだろう、全く気が知れないとの点で意見が一致した。
まあ、お互いそういう話題からはかなり遠ざかった地点にいるからに相違なく、その意味ではたぶんにやっかみの気持ちもあってのことではあるが。
しかし、巷を騒がせるストーカー事件をみてみると、男の方が女につきまとって事件を起こすことが多いようにも思われ、そうなのであれば、先にかいた「面倒くさい」という話も、男女の区別ではなく、それぞれのパーソナリティによるものなのかもしれない。
何にせよ、男の女の関係は難しいものだ。