以前、「40代男性のあなたも20代女性と恋愛可能ってホント?」という文章をアップし、大いなる疑問を呈したところだが、「ほーらみろ!」という記事があったので、紹介する\(^o^)/
女がダメ出し 痛い[40代バブル男]の共通点
前の40代男をヨイショしたのがzakzakで、引きずり下ろしたのはSPA!
おいおい、完璧におんなじメディアじゃねーかよ!\(^o^)/
まあ、そんなことは措いておくとして、どちらの方により信憑性があるかといえば、これは間違いなく今回のSPAの記事だろうな。
なーんて冒頭からご託を述べているが、「うっかり、ときめ」かせたのは、オノレらと同根の夕刊フジなんだからお忘れなきようにね。
中身を読むと、なるほどなあと頷けるところも結構ある。
オレらのような50代前半は、高校を卒業する頃に石油ショックだの学園紛争だのがあったりして就職や進学では割合苦労をした方なのだが、それから10年くらいあとの年代は売り手市場で企業が学生の争奪戦を演じていた頃に当たるわけだから、彼我の意識の差にはオレでも驚くことが多い。
とまあ一応は一般論を申し述べておくが、だからといって、40代のほとんどがこんな連中ばかりだなんてわけがないことは改めて述べる必要のないほど自明の理だ。
就職してからしばらくして、例の「失われた10年」などを経験し、それこそ塗炭の苦しみを味わった中で、それでも必死にがんばってきた連中が、今やっと責任ある立場として実力を発揮し始めているところなのである。
無論ドロップアウトした人々も結構いるのだろうが、それは何もこの世代に限った話ではなく、何れの世代にだって時代の流れについて行けない人間は一定程度存在するのだし。
だからむしろこの記事で考えさせられたのは、今の20代や30代前半の世代の価値観が、それより上の世代と相当大きくかけ離れてきていることについてだ。
高級車、ブランドものの腕時計やアクセサリー、高級ワイン、都心高層マンション、一流の料理店やバー、などといった、自分を飾るための一種のステータスのようなものが、この若い世代にとっては殆ど価値を見いだせないシロモノ(クジャクや七面鳥のディスプレイみたいなものかな)であり、そんなところにカネを使うこと自体、信じられないほど浅はかで「痛い」行為だと思っているであろうこと。
うむ、恐らくその感覚自体、市井に生きる普通の庶民としては至極まっとうで健全なものだとオレは思う。
オレたちの世代はもう少しセコくて、車なんかにしても「いつかはクラウン」とか「スカGのRに乗るぞ」なんていいつつも、大半の連中はカローラやサニーあたりで満足していた(車が買えただけでもいいと思っていた)し、ロマネコンティなんて名前を聞くだけでも震え上がるがせめてシャトー・ラフィット・ロートシルトくらいは一度で良いから飲んでみたいとか、清水の舞台から飛び降りる気持ちでドンペリを飲もう(もちろんピンドンなどではなく白で、かつ量販店のバーゲン品を買って)なんて感じだったかな。
そんなオレらを尻目に、BMWの3シリーズを乗り回している後輩もいて、聞けば長期のローンを組んで購入し、最初の車検の折にもしも気に入った新車が出ていればそちらに乗り換えて行く(ローンは新車と乗車中の車の現在価値との差額で再計算)、なんてことをしているそうで、たまげてしまったことを思い出す。
つまり、車に乗り続けている限りローンは払い続けるのだが、いわば長期間にわたるレンタカーみたいな位置付けとなるような気がした。
いったい最後はどんな形で収束していくのだろう、と素朴な疑問が湧いたものだが、自分としてはそんな手法を採るつもりもなく、第一、ローンを組んでまで車を買おうだなんて思わなかったから、詳しく問いただすこともしなかったのであるが。
しかし、そこまでしてBMWの3シリーズのオーナーになりたいのだな、と思うと、何となく彼がいぢらしくもみえたものだが(^_^;
というわけで、この記事で揶揄され笑い倒されている40歳代の連中が、今後も同様な生活感の中で暮らしを維持しようとしていく場合、果たしてキャッシュフローが回り続けるのだろうかという大きなお世話的心配の他に、20代から30代前半世代の異様に冷め切った物欲のなさに、何だかこの国の先行きが案じられてならない。
いうまでもなく、世の中はモノが動いてこそ活性化される。
これからの社会の中心的な存在となって行くであろう若い世代が、消費という行為に対してこれほどまでに保守的であるということは、デフレからの脱却の可能性は根本的にかなり薄いものと思わざるを得ない。
まあ、これからはエコの時代なんだからそれはそれで慶賀すべきことだとは思うが。
ところで、例の沢尻エリカが45歳のダンナと離婚するそうだけれども、何だかタイミング良すぎだな!\(^o^)/
女がダメ出し 痛い[40代バブル男]の共通点
前の40代男をヨイショしたのがzakzakで、引きずり下ろしたのはSPA!
おいおい、完璧におんなじメディアじゃねーかよ!\(^o^)/
まあ、そんなことは措いておくとして、どちらの方により信憑性があるかといえば、これは間違いなく今回のSPAの記事だろうな。
’87~’91年に起こったバブル景気。この間の狂乱っぷりも、もはや昔話となり、当時、就職活動を行った“バブル世代”も、40代の立派な中年である。そして今、なんでも、このバブル世代が「若い女のコにモテる!?」と、うっかり、ときめいているんだとか
なーんて冒頭からご託を述べているが、「うっかり、ときめ」かせたのは、オノレらと同根の夕刊フジなんだからお忘れなきようにね。
中身を読むと、なるほどなあと頷けるところも結構ある。
オレらのような50代前半は、高校を卒業する頃に石油ショックだの学園紛争だのがあったりして就職や進学では割合苦労をした方なのだが、それから10年くらいあとの年代は売り手市場で企業が学生の争奪戦を演じていた頃に当たるわけだから、彼我の意識の差にはオレでも驚くことが多い。
とまあ一応は一般論を申し述べておくが、だからといって、40代のほとんどがこんな連中ばかりだなんてわけがないことは改めて述べる必要のないほど自明の理だ。
就職してからしばらくして、例の「失われた10年」などを経験し、それこそ塗炭の苦しみを味わった中で、それでも必死にがんばってきた連中が、今やっと責任ある立場として実力を発揮し始めているところなのである。
無論ドロップアウトした人々も結構いるのだろうが、それは何もこの世代に限った話ではなく、何れの世代にだって時代の流れについて行けない人間は一定程度存在するのだし。
だからむしろこの記事で考えさせられたのは、今の20代や30代前半の世代の価値観が、それより上の世代と相当大きくかけ離れてきていることについてだ。
高級車、ブランドものの腕時計やアクセサリー、高級ワイン、都心高層マンション、一流の料理店やバー、などといった、自分を飾るための一種のステータスのようなものが、この若い世代にとっては殆ど価値を見いだせないシロモノ(クジャクや七面鳥のディスプレイみたいなものかな)であり、そんなところにカネを使うこと自体、信じられないほど浅はかで「痛い」行為だと思っているであろうこと。
うむ、恐らくその感覚自体、市井に生きる普通の庶民としては至極まっとうで健全なものだとオレは思う。
オレたちの世代はもう少しセコくて、車なんかにしても「いつかはクラウン」とか「スカGのRに乗るぞ」なんていいつつも、大半の連中はカローラやサニーあたりで満足していた(車が買えただけでもいいと思っていた)し、ロマネコンティなんて名前を聞くだけでも震え上がるがせめてシャトー・ラフィット・ロートシルトくらいは一度で良いから飲んでみたいとか、清水の舞台から飛び降りる気持ちでドンペリを飲もう(もちろんピンドンなどではなく白で、かつ量販店のバーゲン品を買って)なんて感じだったかな。
そんなオレらを尻目に、BMWの3シリーズを乗り回している後輩もいて、聞けば長期のローンを組んで購入し、最初の車検の折にもしも気に入った新車が出ていればそちらに乗り換えて行く(ローンは新車と乗車中の車の現在価値との差額で再計算)、なんてことをしているそうで、たまげてしまったことを思い出す。
つまり、車に乗り続けている限りローンは払い続けるのだが、いわば長期間にわたるレンタカーみたいな位置付けとなるような気がした。
いったい最後はどんな形で収束していくのだろう、と素朴な疑問が湧いたものだが、自分としてはそんな手法を採るつもりもなく、第一、ローンを組んでまで車を買おうだなんて思わなかったから、詳しく問いただすこともしなかったのであるが。
しかし、そこまでしてBMWの3シリーズのオーナーになりたいのだな、と思うと、何となく彼がいぢらしくもみえたものだが(^_^;
というわけで、この記事で揶揄され笑い倒されている40歳代の連中が、今後も同様な生活感の中で暮らしを維持しようとしていく場合、果たしてキャッシュフローが回り続けるのだろうかという大きなお世話的心配の他に、20代から30代前半世代の異様に冷め切った物欲のなさに、何だかこの国の先行きが案じられてならない。
いうまでもなく、世の中はモノが動いてこそ活性化される。
これからの社会の中心的な存在となって行くであろう若い世代が、消費という行為に対してこれほどまでに保守的であるということは、デフレからの脱却の可能性は根本的にかなり薄いものと思わざるを得ない。
まあ、これからはエコの時代なんだからそれはそれで慶賀すべきことだとは思うが。
ところで、例の沢尻エリカが45歳のダンナと離婚するそうだけれども、何だかタイミング良すぎだな!\(^o^)/